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2008年8月31日までの観客席への書き込みです。


[1349]>秘密結社投稿者:Kii@同志 投稿日:2008/08/30(Sat) 20:04
むゆさん うまい。

[1348]蛙たち投稿者:むゆ 投稿日:2008/08/28(Thu) 22:03
8月26日 小雨の夜。
西銀座コリドー街の洞窟に秘密結社に集うように、
ある人は飛行機で、ある人は電車を乗り継いでやって来た同志たち。
小さなイス 大きなイス 低いイス 高いイス
たっぷりしたソファ 急ごしらえの折りたたみイス
総動員されたいっぱいのイスにそれぞれの笑顔。
なんとも温かい雰囲気の『蛙たち』でした。

黒いバッククロスのトップに赤のパンタロンのクミコさん。
時には天使、時にはけがれなき娼婦、時にはチャーミングなアジテーター
はたまた恋に狂う画家 --- はたまた ---- いやはや凄い!
髪はアップ、イヤリング、肩のヘップバーンリボンがおしゃれな上條さん。
凛々しいピアノと、その表情にひきつけられずにおられましょうか。

心躍る唄、ピアノとともに、沢山のメッセージをいただきました。
読んでくださった三篇の詩の作者
『生前の死亡通知』を用意して倚りかからず 簡素に 生き切った
茨木のり子さんは指針です。
シャガール爺さんやルオー爺さんほどにはいかなくても、
自分の感受性に水やりをするためにも、も少し生きなきゃと
今日は、のばしにのばしていた検診を受けに行って来ました。

手話とともに唄ってくださった『翼』ありがとうございました。
御代田におでかけになったのは、ご縁。
『ミ.ヨ.タ』はじめ沢山の武満ソング楽しみにしています。
明日は晴レカナ、曇リカナ ♪  

[1347]蛙明け投稿者:タカミぃ 投稿日:2008/08/27(Wed) 07:44
雨の蛙たち。心は躍るようでした。
どの歌たちも、まっすぐと私の心に響いてきて、涙とトリハダに一曲目から襲われてしまいました。
うって変わっての晴天、青空の本日。きのうもらった勇気とやさしさ、笑顔と歌とことばたち、わたしにしっかりと届きました。胸にうけとめて、さあ本日も出発します。

[1346]おかやま国際音楽祭投稿者:Kii 投稿日:2008/08/24(Sun) 21:41
ゲストに名前があがっていますが↓出演されるのでしょうか?
http://www.city.okayama.okayama.jp/shimin/bunka/ongaku/2008/syusai_syukusai.htm

[1345]お願い投稿者:メグ&ミッコ 投稿日:2008/08/22(Fri) 09:30
この場で恐縮です「蛙」のリクエストのお願いです。
「ありがとういのち」「船頭小唄」を是非!

[1344]美しい日々投稿者:Happyend R 投稿日:2008/08/14(Thu) 21:07
昨2007年がシャガール生誕120年でしたから1887年帝政末期のロシアで生まれました。父母ともユダヤ系で家庭は裕福ではなかったものの最先端の芸術に憧れパリへ絵画の修行にでます。

彼には裕福なユダヤ人宝石商の娘べラという恋人がいて、彼の誕生日に夢まで見たべラが彼のアパートを訪れてくれるというのが「美しい日々」の歌詞の内容だったと記憶しています。長谷川きよし作曲、荒井由美作詞の曲で多摩美出身のユーミンならではのモチーフともいえそうです。「誕生日」という有名なシャガール初期の傑作からインスピレーションを得たのでしょう。

この曲が「美しい日々」と名づけられたのは彼がユダヤ人ゆえナチスの迫害を逃れるためアメリカに亡命したこと、第2次大戦が終結し、フランスに帰れそうという間際にべラが病死してしまう将来があったからだということが最近ようやく理解できました。長文すみません。

[1343]シャガールさん投稿者:クミコ 投稿日:2008/08/11(Mon) 11:13
軽井沢といってもなかなかに「足」の難しいところ。
そんな場所に、ようこそお越しくださいました。
ありがとうございました。
「特別」な場所でのライブはやっぱり「特別」な感じがします。
特に今回はシャガール展。
翻訳を重ねた(ロシア語やイディッシュ語をフランス語にそれから日本語)シャガールさんの詞は初めは眼が点に。
言葉に血を通わせるには「理解」しかないと。
学生に戻ったような勉強の時間。
これまたいい思い出になりました。

[1342]シャガールとクミコさん投稿者:むゆ 投稿日:2008/08/11(Mon) 08:11
雄大な浅間山に抱かれた蔦のからまる小さなウィスキーの蒸留所。
白樺美しい庭園に小さな村のように点在するレストランや美術館。
野外では樽材を使った作品の公開制作も行われていて---
緑いっぱいのレストランで昼食をとって、おいしいワインを
いただいて、ゆっくりシャガールの絵と出会って---
夏の盛りの避暑地でのなんとも贅沢なコンサート。

Masaさんが書いておいでのように、黒いドレスのクミコさんが
色彩豊かな絵の前にたったとき、息をのむようでした。
シャガールさんと呼んで、その詩を読み 想いを語り 唄い
時空を超えたその絵が動きだすような---濃密な時。

最後、一歩観客に近づいて
一人一人に花びらの一枚一枚を手渡すように唄われた 友よ は
深く深く母性が沁み渡るよう-- 美術館の空間がお御堂になった
ような--心洗われる唄。

まだ、余韻の中にいて そしてシャガールの深さに
もっとふれたいと思っている朝。
クミコさん、素敵な時間をありがとう。

[1341]素敵ですね。投稿者:タカミぃ 投稿日:2008/08/10(Sun) 20:17
masaさん、軽井沢へ出掛けられたのですね。
私は、たった今歌番組で、マイぺースの東京をはじめて耳にしました。
東京タワーをバックに。でも、私はクミコの歌がしっくりくるなぁ。なんて感じていました。
夏も本番で、明日から仕事に逆戻りです。
セミを沢山ゲットして、またもやチビ助たちとかけっこや、キックの嵐三昧の日々です。存分に楽しみながら進みます。ねっ。

[1340]メルシャン軽井沢美術館投稿者:masa 投稿日:2008/08/10(Sun) 09:23
クミコさんを歓迎するかのように 遠く雷鳴が轟く中・・
 
メルシャン軽井沢美術館 特別イベントは静かに始まりました
黒いドレスを纏った姿は
まるで印象派の絵画から抜け出たのではと思う程でした・♪

シャガールの詩の朗読とその説明
そこに歌を添える容で・・
難解なシャガールの詩と絵画ですが
クミコさんの朗読と説明で
シャガールの絵の見方が少しは理解出来たような気がしました・・(笑)
朗読と アンコールを含めて9曲の歌
1時間半とは言え 十分過ぎる濃密なプログラムでした・♪

終演後 会場を出ると夜空に綺麗なお月さま・・
高原の爽やかな夜風に酔いました・・(笑) 

[1339]本日は晴天なり投稿者:sayo 投稿日:2008/08/07(Thu) 01:27
8月6日は晴天の特異日
それで原爆が投下された。
今もなお後遺症に苦しんで居る人があるのに
「戦争を早く終わらせる為だった」という
言い訳で済ましてる大国が許せないです。
そして まだまだ戦争を仕掛けている。
原爆慰霊式典から夫は金色の小さな色紙を持って
帰りました。パンフの中に折り鶴を折って
下さいと入ってるのですが
「折り方を知らないから」と
平和を願う千羽鶴です。
平和であればこそ 自由に歌が唄えるし
 クミコさんの歌にも巡り会えた。
昔 軍歌以外は歌えない
時代もありましたから
それに 日本中の街が焼夷弾の爆撃に
あって 火の中を逃げ惑う 命からがら
歌どころでは 無いですよね。
 クミコさんの歌を聴きに行こう
と思うだけで 元気が出るから
今の平和が長く続きますように・・・

[1338]クミコ様 yongha様投稿者:ゆずり葉 投稿日:2008/08/07(Thu) 00:56
クミコさん、yonghaさん、ありがとうございます。

四半世紀ぶりに故郷に帰ったわたしには、
お帰りなさいを言ってくれる人も少なく・・・
とてもうれしい言葉です。
浦島太郎のわたしですが、
また、一から頑張ります!
もちろん、クミコさんの歌を聞きながら・・・

[1337]眼は投稿者:クミコ 投稿日:2008/08/06(Wed) 11:32
口ほどにものをいう、という通り監督の眼はまるっきり少年です。
つねに「完成」しない現在進行形。勇気づけられます。
(でも、ご自身の苦しみ悩みはいかばかりか)

原爆の手記を読むという番組がその後に。
中継された原爆ドームの柵の中、闇に横たわる数知れぬ瓦礫にはっとしました。
過去はない、人間は何も変わっていない、そんな気がしました。

故郷に帰られたかた、こちらへいらっしゃるかた、様々な人生が同時代に交錯します。
私たちは同級生ですね、時代の。
どうかお元気で。



[1336]昨日・・・投稿者:rerere 投稿日:2008/08/06(Wed) 10:36
テレビで宮崎駿さんのドキュメントを
観ていたら、宮崎さんのアトリエの中で
クミコさんの唄が流れていました。

自分の生まれてきたことの意味を
確認したいと、悩み苦しんでいる宮崎さんの
姿が印象的でした。

誰もが生まれてきたことの意味を探しながら
精一杯生きているのに、
その人間を一瞬にして消してしまう
原爆や、戦争を同じ人間がやってしまえる
ことに本当に、憤りを感じます。


[1335]「一本の鉛筆」に思う投稿者:yongha 投稿日:2008/08/05(Tue) 22:37
明日は63回目の原爆の日です。
僕の父もたぶん今日、福山から前泊で僕の広島の家に来ていることと思います。
定年になって毎回この8月6日には参列しています。

というのは父は原爆が落ちた時、宮島であの閃光を2回見たそうです。
今でも詳しく話そうとはしませんが父が宮島に配属されたのは運命のいたずらと言うのです。

父は福山の出身なのですが原爆が落ちた時は15歳だったそうです。
学徒動員で15歳位の年齢は軍需工場で働かされたそうですがその当時の父にも勤労の動員の通知が原爆が落ちる2か月前の6月頃届いたそうです。父の母が(祖母)その通知の召集期日を間違えて1週間後の日を伝えたそうです。そのことによって父は期日に遅れた父は宮島に配置をされたそうです。
同じ学校の同級生は期日通りに行ったため広島市内に配属されたそうです。
原爆が落ちる前まで父の勤めていた軍需工場がお休みの日は広島市内の同じ学校から行った友達を訪ねたりして友好を深めていたそうです。

しかし2か月後のあの日、市内に原爆が落とされ福山から行った父の同級生が全員、亡くなったそうです。広島市内と宮島は離れているので影響があまりなかったのでしょうが海には人や動物の死体が多く流れ宮島にも相当すう漂着したそうです。

1週間後に市内に残務整理で借り出された父は幸いにも二次被爆の兆候もなく(他の人は二次被爆した人が多くいらしたそうです)今まで元気ですごしておりますが、同じ学校から行った同級生の冥福を今でも祈っております。
亡くなった同級生の分まで長生きすると言ってますが、よる年波には勝てませんが何とか今は杖をついて6日の日は早朝5時位から会場に出かけております。

平和は本当に大事です。
この世から国同士の紛争がなくなればいいのですが・・・。

[1334]ゆずり葉さま投稿者:yongha 投稿日:2008/08/05(Tue) 21:56
お帰りなさい!
私も山口宇部からクミコさんを応援しています。
宇部にまたひとりクミコ応援団が増えた事、嬉しく
思っています。

[1333]クミコ 様投稿者:ゆずり葉 投稿日:2008/08/05(Tue) 11:24
久々の書き込みで、すみませんm(_ _)m

私事ですが・・・田舎の両親も年をとり、具合もあまりよくなくなってきたので、7月に、東京から田舎の山口宇部にもどりました。
4月の山野楽器のミニコンサートでは、北海道に行かれるので急いでいらっしゃるのに、握手までして見送っていただき、誠にありがとうございました。よい思い出になりました。
これからは、東京にいるときより、生クミコさんを見る機会が少なくなるのが残念です。
東京に生まれたかったなぁ・・・

遠くなってしまいましたが、これからも、クミコさんのご健康とご活躍をお祈りしております。

[1332]公演情報投稿者:茶目子劇場スタッフ 投稿日:2008/08/01(Fri) 19:54
皆様

8月に入り、夏本番到来の季節となりましたが、
皆様お変わりありませんか?
下記内容含めたコンサートスケジュールを更新致しました。
「公演情報」をご確認下さい。
■10月22日(水)「KAKEHASHI」
■11月23日(日)「あの素晴らしい歌をもういちど!」

今後とも、ご支援、よろしくお願い致します。

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