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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2001年12月2日

ちょうど一週間前のことだ。
出かける前のシャワーを浴びながら、
今晩10時からテレビで「冒険者たち」をやるんだなあ、
観られるかなあとボンヤリ考えていた。
すると突然そのテーマ曲の一節が口からついて出た。
「ヒューヒュヒュヒューヒューヒュヒューヒュー」
あざやかに口笛の響きまで蘇った。

今までこの映画をちゃんと観たことはなかった。
以前観た時は、「アラン・ドロン」が撃たれたところで、
アレアレ、主役が死んじゃうよ、とビックリしていたら
映画はすぐに終わってしまった。
もの悲しい美しいメロディーだけが残った、ような記憶がある。
ずいぶん前のことだ。

「アタシ思ったの。
若い頃だったら、どうしてアラン・ドロンじゃないのかって思ったとおもう。
でも今はすごーくよくわかる。
やっぱり年とると見方って変わるよねえ。」
翌日会った上條さんが、しゃべり出した途端
前日の「冒険者たち」のことだとわかった。

いわゆる三角関係の中で
若く美しいヒロイン「ジョアンナ・シムカス」は若く美しい「アラン・ドロン」
じゃなく、中年のフランス的じゃがいも感のある「リノ・バンチュラ」を
選んだのだ。
あなたと暮らしたい」といったのだ。

ウンウン、本当にそうだ。
私も今ならわかる、「リノ・バンチュラ」。
さすがフランスのオンナ、若いながらもオトコの選び方が並じゃない。

別に「ジョアンナ・シムカス」が偉いのではなく、
そんな映画を当たり前のように作るフランス映画が
大人でステキなだけのことだが、ひたすら感心する。
まったくフランス映画のオトコとオンナの描き方には
子供なんか絶対寄せつけないみたいなところがあって
アンタたちも、大人になったらわかるわよ、とつれない。
大人のプライドがある。
こびていない。

たとえば、大好きな女優「シモーヌ・シニョレ」が「年上の女」という映画の中でいう
セリフなんかすごい。
いつ思い出してもクラクラする。
「感覚を鋭くしておきたいの、この四日間のために。」
絶望の淵に立つ不倫のオトコとオンナが四日間だけ一緒に
過ごせることになる。
旅立ちの時、いつものようにオトコはオンナの唇に煙草を
くわえさせようとする。
それを拒むオンナのセリフだ。
子供にはちょっとわからない。

「シモーヌ・シニョレ」といえばダンナさんは「イヴ・モンタン」。
シャンソン歌手としても俳優としても有名だ。
その彼が晩年、白いシャツと黒いチョッキとズボンというシンプルな衣裳、
他には帽子とステッキだけで唄いきるステージは圧巻だった。
若い時と違って、青白い「人生の哀しみ」みたいなもんをまとって唄う
その姿はセクシーだった。

ちなみに「シモーヌ・シニョレ」は、ヒザから下は外人特有の細さだが
腰から胸、それから首も、雄牛のようにたくましい体型の持ち主だ。
それでも、胸の大きく開いたシャツをはおり、低い声でつぶやくと
これまたとびきりセクシーなのだ。
セクシーに年令と体型は関係ないということか。

そういえば、近頃日本では、
「シモーヌ・シニョレ」が「イヴ・モンタン」になったような、
あるいは「イヴ・モンタン」が「シモーヌ・シニョレ」になったようなヒトたちが
シャンソンを唄っている。
「ドラッグ・クイーン」というのか
頭には女性カツラ、胸は大きくふくらませ、
転んだら起き上がれないような厚底靴にギンギラギンのドレス。
幾重ものつけまつ毛と濃いアイシャドーでふちどられた眼と、
はみだしたルージュの唇からはもう誰が誰だかわからない。
モトのヒトがわからない。

ところがこれがけっこう人気者のようらしく、
もしかしたら、日本のシャンソンはこれからこういうオトコとオンナの狭間をうごめく
「ドラッグ・クイーン」型と、
カルチャーセンターで、シャンソンを習い、いつしか人前で唄うことに
生きがいを感じる
「オバサン」型だけになるのかもしれない。

「冒険者たち」は結局最後の一時間だけを観ることになってしまった。
でも、流れたテーマ曲は、まちがいなく、あのメロディーだった。
ヒューヒュヒュヒューヒューヒュヒューヒュー…

2001年12月9日

「カツコ、足はちゃんと3本あるかい?」
「うん、おばあちゃん。ちゃんと3本あるよ。」
脳をやられてしまったおばあさんは毎日孫に同じことを尋ねた。
高校生だった友人は、そのたびに同じことを答えた。
そして足が3本あることを確認したおばあさんは安心して眠るのだ。

これはちょっとした悪夢のような話ではあるが、
つい先だって私が見た夢はかなり奥深いともいえるものだった。
どこかの駅のホームにグシャグシャの髪の毛とボウボウのヒゲのオトコが
立っている。
髪もヒゲもよく見ると色とりどりで、
花が咲いているところや鳥のさえずっているところもある。
ピンクや緑やうす紫に色分けされた髪やヒゲは
風にそよいだりしている。

なんでこんなふうに、とビックリして尋ねると
そのオトコはニコニコしながら
「だって気持ちいいじゃないですか。
ホラ、こうするだけで天国にいられるんですから。」
といって、目をクルクルとまわした。
彼の目に入るのは確かに楽園、天国に違いなかった。
自分で作った自分の顔の回りの天国。
天国なんて遠いところじゃないんですよ。
私はヘエーと感心した。

感心して目が覚めると、あいかわらずノドがヒリヒリしていた。
ここ一週間風邪をひいている。
ずいぶんひいてないなぁ、たまにはいいかなんて
思ったのがマズかった。
グズグズグズグズしていて、なかなからちのあかない風邪だ。

こういう時コンサートに行くのははばかられる。
もし途中でセキが止まらなくなったらどうしよう。
マスクとトローチをしこたまポケットにつめこんで出かけた。
有楽町の東京国際フォーラムAで「中島みゆき」。
ここは7月の「井上陽水」以来。
若いヒトから年配のヒトまでギッシリだ。
陽水の時と同様スタンディングになることも、もちろんなく
それぞれがそれぞれの想いの中で唄を聴けるのは極上の幸せだ。

「ふるさと」、途中でキーワードのようにこの言葉が浮かぶ。
歌の世界ではもう死語のようになりつつある「ふるさと」という言葉。
「そごう」も「都庁」もなくなった有楽町にできた国際フォーラムの中で
「中島みゆき」はいろいろな「ふるさと」を唄う。
変わっていく世界の中でヒトがヒトのままあり続けられる場所。
ヒトがいつか帰っていく場所。

そしてもう一つのキーワードは、やっぱり「勇気」。
21世紀が始まった途端、全世界の人々が見てしまった悪夢を
語りながら、
「地上の星はどこにある」と唄い「旅はまだ終わらない」と唄う。
重いストレートを打ち込むように唄う。
背中に稲妻が走る。
どこかのゆるい筋肉を切断されるような痛みが走る。
残ったものは「勇気」、そんな気がする。

「井上陽水」も「中島みゆき」も極楽のふりをして、地獄を見せる。
楽園だと思っていたら崖っぷちだったりする。
すっかりホンローされた私は
半ば熱にうかされるように半ばふるえながら会場を出る。
心を落ち着かせる、とりあえず一杯のビールまでの時間は長い。

夢に出てきた「頭部天国オトコ」に似たヒトが、そういえばいた。
新聞の宣伝のヒトかなんかで、ちょっとした話題の人物でもあった。
全身色とりどりで、まるで極楽鳥のよう。
突然おっきな音が流れてきたと振り返ると
テレコを片手にある時は歩いて、ある時は自転車で通り過ぎる。
あっけにとられる群衆を尻目に
この「極楽鳥オトコ」はひょうひょうと去っていくのだった。

一回目が合ってしまったことがある。
派手な彩色のマスクの下の眼は、レスラーのヒトたちがそうであるように
暗くシンとしていた。
どこかパンダの眼に似ていないこともなかった。

2001年12月16日

この不況下、友人が店を出すというので出かけた。
つい1ヶ月前には、生きているのか死んでいるのかもわからなかった。
ブラジルに行ったきり、帰ってきたのかどうかも知らなかった。

たしか5、6くらい前のある日突然電話がかかってきて
「ボクね、思うにボクとクミコしかいないと思うのよ。」
特別親しかったわけでもなく、面くらったが、とりあえず会うことにした。
話をしても結局何だかよくわからないのだったが、
とにかく、二人でなにか音楽をしなければ、といっているらしかった。
地下鉄で並んで座る彼の横顔は、
やっぱりどこか異邦人の匂いがした。
「じゃあ、またね」といったきり音信が途絶えた。

そして今回、
「ボクね、いろいろあって、でもほら生きていかなきゃならないでしょ。
それでね、店出すことにしたの。」
彼の好きな歌い手5人でライヴを組んでショーチャージもとらず
安い値段で若いヒトにも聴きにきてもらう店にするんだという。
今の世の中では隅っこの音楽をみんなに知ってもらいたいんだという。

オープニングパーティー2日目の夕方、出かける用意をしていると電話が鳴った。
「今日、来てくれるんでしょ、ウメ持ってきてね、ウメ。」
「ウメ?」
急にお湯割りの梅が足りなくなったのか、あるいは梅酒か、
はたまた、どうして私の両親が水戸の出身だと知っているのかと
混乱していると、
「ウメじゃないわよ、フメン、フメン!」

「譜面」をもってきて唄えということらしい。
飲みにいくのにさあ、と思ったが、
来年からのCD制作のため出演を辞退した私の
せめてもの「お祝い」と思い、承諾する。

渋谷で降りて六本木通りをまっすぐ。
ビルの1階奥、ガラス張りのおしゃれな店。
「エスカーダ」という店の名前の由来らしくまん中に階段がある。
歌い手のヒトたちも、お客も顔なじみが多い。
ちょっと前に会ったヒトも、ずいぶん会わなかったヒトもいる。
会いたかったヒトも、会いたくなかったヒトもいる。
同窓会のようにワイワイとしている。
ピアノトリオのセットが置いてある。

店を出した友人は、歌い手の数が少ないということで
自分も一曲歌った。
「沈黙のバラ」、私も唄っている「人生は風車」と並ぶカルトーラの名曲。

普通に見ているだけでは、ちょっとアブなそうな、
下手をすると、路上生活者にも見えかねない友人は、
その瞬間「歌い手」に変わっていた。
私の大好きな類の、でも私が一番怖れている類の歌。
「歌」に「規則・理性」と「本能」の両面があるとしたら
限りなく「本能」に揺らいでいく歌。

ああ、これだなあ、きっと。
私がこの店で唄いたくないホントの理由。
私はこいつの前で唄いたくないんだ。
私を根底から揺るがす歌をうたうヒトの前でなんか唄えない。

「もっと唄ってよ」というと、
譜面がみんなどっかへいっちゃって探せないという。
歌い手の「財産」、膨大な譜面やなんかを、
ある日突然みんな燃やしたくなったりすることは私にもあるが、
そんな気持ちのまま、この友人はそれらを本当に「失ったもの」に
してしまったんだろう。
24時間以上もかけて、ブラジルと日本を往復しているうち、
いろんなものが、どうでもよくなっちゃったんだろう。
コツコツと積み重ねた、いとしい大切な「キャリア」は
それこそヒトの生きた証なのかもしれないが、
時々、「ご破算!」といってソロバンをバッとはじくように
せいせいとしてみたくなったりする。

何回もその「ご破算!」をしてきた友人も50才すぎて店を持った。
「ボクたちはね、天才なのよ」といってのけた、その「天才」であるはずの
私にも彼にも同じように時が過ぎた。
「もっとハダカにならなきゃダメよ」
パーティーのあと、さとすように友人はいった。
彼のもっている魅力的な歌の「毒」は適量をはかるのがむずかしい。
それは時として自身をも痛めつける。

「ハダカのフリ」ならできるかもしれない。
酔わずに飲んでいる私は思った。

2001年12月25日

知人へのちょっとしたお土産にと、立ち寄った洋菓子店には
若者が並んでいた。
クリスマスケーキの予約をしているらしい。
「お渡しは24日でいいですか?」
「24日?24日ってナンニチだっけ。」
店員に尋ねられた女のコは、そのまた隣りの女のコに聞きながら
突然アッと気づいたように恥ずかしげに笑って言った。
「24日は24日かぁ。」
「24日は午前にしますか、午後にしますか?」
「エート、エート」
女のコはまた、そのまた隣りの女のコの顔をうかがっていたが
「午前で」
やっとモソモソ答える。
そうして女のコ2人と男のコ1人は静かに店から出て行った。
あんなにボーッとしてるのは、コンビニで添加物だらけの
食べ物ばっかり買って食べてるせいだね、きっと。
無責任に母親といい合いながら、
そうか、もうすぐクリスマスかとショーウィンドーのケーキを覗き込む。

私の子供の頃はクリスマスケーキといってもバタークリームのものがほとんどで、
どうしてクリスマスのケーキは、他の日に食べるケーキよりおいしくないんだろうと
不思議だった。
いつもすぐに食べ終わってしまうおいしい三角形のちっちゃなケーキを
丸ごと食べてみたいと思いつづけて、
やっと丸ごとになった途端、その味は変わっていた。
きっと、これは分量のせいだ。
ちょっとの時と違ってたくさん食べるからおいしくなくなっちゃうんだ。
今から思えば、けなげな納得の仕方だったが
何のことはない、クリームが違っていただけのことだった。
そのうち、生クリームのクリスマスケーキがたくさん店頭に並び始めた。
おいしい三角形のショートケーキは丸く大きくなってもやっぱりおいしかった。
何だかだまされていた気がした。

父親が昔、イチゴのはさまった丸いケーキを買ってきてくれたことがあった。
病気とか手術とかばかりしている娘が哀れだったのか、
少しでも元気を出させてやろうと思ったのか、
箱から出てきたのは、その頃白黒テレビのコマーシャルで流れていた
「不二家」のケーキだった。
あこがれの「不二家」のケーキを前に、ドキドキワクワクしながらナイフをいれた。
夢のようだった。 ところが。
「アッ、何か入ってる、黒いモンが。
虫だ虫だ。こりゃダメだ。」

結局一口も食べないまま、父親は私を連れてデパートにその「虫入りケーキ」を返しに行った。
不安だった。
「取り換えてもらえばいいんだから、同じものと」と娘をなぐさめながら
父親は店頭で考えを変えた。
「やっぱり同じものはやめといた方がいい、違うものにしよう。」
不安は的中した。

こうしてイチゴのはさまった丸いケーキは煙のように消え、
得ようとしても得られない漠然とした暗示のような不安感だけが残った。
その「感じ」はずっと体の中に残りつづけた。
その後、何か目の前のモノをつかみそこねたりするたび、
その距離からくる脱力感と共にイチゴのはさまったケーキが頭の中によみがえる。
「喪失感ケーキ」とでもいおうか。

週末デパートに入ると、いつも閑散としている宝石売場にヒトが群がっている。
オトコ、オンナ、オトコ、オンナとふたりずつでウィンドーを覗き込んでいる。
一瞬何なのかわからなかった。
でもすぐに、これがかの「彼が彼女にクリスマスプレゼントを買ってあげる図」
というやつだとわかった。
オトコ、オンナ、オトコ、オンナと連なった様子を見ると
どうしても「ツガイ」という言葉がうかぶ。
色合いや形はちょっとずつ違うけれど「ツガイ」の鳥のようにみえる。
外を歩いていても、イルミネーションに飾られた街中に
「ツガイ」のヒトたちがあふれている。
いつもより多い気がする。
こんなに多かったのかと驚く。

「ツガイ」の次には「シソン」がうかぶ。
「ツガイ」と「シソン」は順序だろうが、
「シソン」なしの「ツガイ」で私も歩いていることに気づく。
「シソン」へ移行する「ツガイ」にはぜひとも頑張ってほしいが
「シソン」を考えなければ怖いものはない。
「しゃぶしゃぶ屋」に入る。

フロア半分が「牛関係」という気の毒なビルの4階。
入った時にはガラガラで元気のなかった従業員は
8時を過ぎ、ついに「席待ち」のお客が現れるにいたって活気づく。
やはりクリスマスなのだ。

こうして21世紀はじめのクリスマスは過ぎていった。
クリスマスケーキは食べなかった。
友人からどっさりもらった沖縄の「サーターアンダギー」を食べつづけた。
黒ごま入りの素朴な味。
どうもこちらの方がカラダに合っている気がする。