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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2005年3月11日

「点滴」

唄い手殺すにゃ刃物はいらぬ、てなわけで声が出なくなることが何よりも怖い。今の時期だと風邪。どんな場所にもマスクで顔半分を隠すスタイルで出かけるのだが、モノを食べる時だけはどうしようもない。ゴホン、ゴホゴホ、いやなセキをしている人が隣のテーブルに座っている。セキをしながらピザを食べている。やばいなあ、と思ったら次の日にはどうもおかしい。

よりによってレコーディングの日だ。いわゆる「本チャン」ではなく「仮うた」だからいいようなものの、それでも思考能力は完全にゼロ。おたまじゃくしは重なって見えるし、クミコさん、どうですかここと尋ねられてもフガフガ頷いている始末。

こんな時必ず連れていかれるのが点滴だ。ギョーカイご用達ともいうべき即効力を誇るこの医者に、去年の冬は何回通ったことか。東京青山表参道という一等地に居を構える医者は、少し笑ったキツネのような顔で今年もまた私を迎えてくれた。

カンコンといろんなアンプルの首を落としてはビニールの点滴袋に流し込む。先生、少しおやせになりましたね、などと軽口を叩いていられるのもここまで。とにかく痛い、苦しい。去年はビタミンCが入り始めた途端悶絶した。あまりに苦しいので医者にそういうと、何だ早くいってくれればいいのにと点滴スピードを遅くした。今年もまた息も絶え絶えに苦しいというと、今日はクスリを倍入れちゃったからなあ、という。風邪が辛いんだか点滴が辛いんだかわからない。一時間後フラフラと外に出た時には、二度と風邪などひくまいと固く決意している。

点滴がそんなに体に合わないっていうのはクミコさんに「野性」が残っているってことよ、キムチを食べながら友人がいう。どういうわけかその瞬間、人里に下りてきたため麻酔銃で撃たれ口から泡を吹いている熊や猪の顔が浮かんだ。

2005年3月25日

「ケセラセラ」

「集団」が何より苦手で「集団」と名のつくモノには一切関わらないようにしていた私が今「合唱団」にいる。「神楽坂女声合唱団」という名で、料理研究家の小林カツ代さんが「六本木男声合唱団」の向こうをはって作られたものだ。

小林さんとは、私がパーソナリティをつとめていたちっちゃなラジオ番組で知り合った。思えばこのローカルな番組にそれこそビックリするような方々がゲストで来て下さった。そしてその何人かの方とはその後もお付き合いさせていただいているのだから、人の縁というものは不思議なものだ。

食べ物にはそれぞれその時々の素晴らしい「生命」があって、それを私たちはいただいているのだと、マイクの向こう側で大根を切るような手つきで語る小林さんの言葉に私は一瞬ウッとつまって、それから涙がポロッとこぼれてしまったのだった。それを見ていて下さったのかどうか、終了後その合唱団に誘われた。そうそうたるメンバー。政治家、医者、経営者、作家、女優など尻ごみするようなキャリアの方々の中に、はぐれた鳥のようにおそるおそる入ってみたら、案外と居心地がいい。つかず離れずの程良い距離感を誰もが大切にしているせいらしかった。

先日、何人かでおしゃべりをしている時、ふと地震対策の話になった。んなもん用意なんかするわけないじゃない、どこにいるかわかんないだから。誰も水も乾パンも備えていないという。ケセラセラの集団であるらしいことがわかった。もちろん私もその類の人間なのだが。「人間先のことはわからない」、神戸で地震が起こった時思った。それ以前夫だった人が神戸の人で、東京から移り住めば一生大地震なんかにあわずにすむ、そう信じていたのだ。そして今回の福岡。誰も予想などしてもいない場所。やっぱり先のことはわからない。ケセラセラなのだ。