クミコオフィシャルサイト - Kumiko Official Site

クミコ - ココロの扉をたたくウタ

茶目子のつれづれ著作権表示

2006年10月14日

「おばあちゃん」

「おばあちゃん」に弱い。90歳とか100歳とか、見事に齢を重ね、しかもうっすらと微笑んでいられたりすると、ただもうありがたくて涙がこぼれる。

夫がいたころ、その夫のおばあちゃんもそういう人だった。敬虔なクリスチャンの彼女の前に出た途端、涙がドドと流れた。ザンゲしたこともないのにザンゲしたくなって困った。

昨日、またそんなおばあちゃんの記録映画を見た。独り暮らしを続けていたおばあちゃんが、息子家族と同居するため、古い家を取り壊す様を追ったものだ。

おばあちゃんは、血管の浮いた細い手で、毎朝トマトとリンゴとニンジンをジューサーにかけ、納豆をはさんだパンを2枚食べる。パンの耳の固い部分はジュースにヒタヒタして食べる。トマト切ったり、ニンジン切ったりジューサー洗ったり、そんなこと毎日続けるのは容易なことではない。だからどこの家でもホコリをかぶったままのジューサーを、このおばあちゃんはいとおしむように胸に抱える。

おばあちゃんはまたハギレの入った箱も大切にしている。捨てようとする息子に、体が動かなくなったときの楽しみに、その時何か作るために取っておくのだといいはる。なのに死んだおじいちゃんの使っていたオチョコなどはさっさと捨てようとするので、息子はあわてて拾い上げなければならない。

「おばあちゃん」は人間の中でも、超弩級(ちょうどきゅう)クラスの生き物らしい。以前見た映画の中でも、自閉気味の少年が、主人公の美しい女性をおばあちゃんと呼び、ついこの前には現実に、ハンバーガー屋の角っこで、取り締まりの警官に向かっておばあちゃん、おばあちゃんと叫ぶ柳みたいな青年を見かけた。

「おばあちゃん」とは何者であるのか、これからが楽しみでならない。女に生まれてきてよかった。

2006年10月28日

「食と心」

集団で1人の子をいじめ倒す話など、ニュースで聞くたび一体おまえら何食って育ってきたんだと、道理のわかるようなわからぬような怒りで身が震える。

オバサンの子供のころは、ハンバーガーだってピザだってなかった、スパゲティといえばあの真っ赤な、とここまで怒ったところで思いだした。世にも不思議なスパゲティナポリタン。

あれは高校のころだったか。駅近く唯一の洋食屋に入ったときのこと。出てきたスパゲティを一口噛んで、口も手もそのまま停止した。これはスパゲティというものだろうか、ここはレストランだからスパゲティなのだろう、しかしこれは本当にスパゲティなのだろうか、スパゲティとはこういうものだろうか。自問自答のまま飲み込んだ。

早い話「ゴム」なのだった。輪ゴムを太くしたような。アメリカのコメディーによくある、せっけんをチーズと間違えて食べブクブク泡を吹く男の姿が浮かんだ。

今もってアレが何だったのかよくわからない。アルデンテじゃないのとか新種じゃないのとかいわれてもわからない。深い謎だ。

先日ベトナム料理屋に行った。日本でも草分けの店のはずだったが、20年近くたった店はすっかり変わっていた。驚いたのが豚耳の一品。酸味の加わった、とは聞いていたがまさかラッキョが乗っかってくるとは思わなかった。その辺のスーパーでポリ袋に入って1袋200円ほどの甘ラッキョが丸のままゴロンゴロンしている。

世も末だ。料理人も経営者も、もう誇りなどドブに捨ててしまったらしい。これならまだあの悲しいスパゲティナポリタンの方が許せる。今はイタリアだってベトナムだってみんながスイスイ飛んでいく時代なのだ。モノの豊かさが人の心を貧しくした。これだもの、人の痛みもわからないガキどもがいても不思議はないと、また怒髪衝天。