「秋の日の結婚式」
仕事からの帰り道、ちょっとお茶しようと、かねてから行ってみたかった由緒正しい建物に入った。
ここは結婚式場でもあるので、花嫁花婿がいても不思議ではないが、ワンサといる。白いウエディングドレス姿があっちにもこっちにもいて、どうやら一番の撮影スポットであるらしいらせん階段あたりは順番待ちのよう。次から次へとカップルがやってきては、参列者の前でポーズをとる。
今日って大安なのかなあ、結婚式をしたこともないオトコと、結婚式はしたが結婚生活の続かなかったオンナが、月餅の添えられたお茶をズルズル飲みながら、まのびした顔でまわりを見渡す。
「フォール・イン・ラブ」、恋って確かに落っこちるものらしい。落ちたままならいいけど必ずはい上がろうとするからままならぬ。一人だけはい上がり、後ろの穴をしげしげ見つめ、ああサッパリしたとか、ついでに後ろ足で砂かけちゃおうとか。あるいはもう一回落ち直してみたいが、落ち方を忘れてしまっているとか。
いずれにしても、落ちている間の幸せは、生きててよかったと思わせる熱く濃い時間ではある。こんな楽しみがなけりゃ人生やってられないよと思う。
らせん階段の中程で並ぶ新婦の体にまきつけられた新郎の手つきを、アレってセクハラっぽくないかなどと、人の幸せの舞台に、この中年のオジサンオバサンの物言いときたら。本当なら自分の娘や息子を送り出す側にいてもおかしくはないのだ。
そういえば私が結婚したとき、母は今の私と同い年だった。あれから26年。どうやら、十年一日というのはホントのことらしい。
みなさんお幸せにね、秋の冴えた陽ざしの中、参列者の脇を、ジーパン姿のオバサンはジャマにならぬよう立ち去ったのだった。
「万物流転」
ア、と思ったら遅かった。ゴチャンと化粧ビンが手から洗面台の中に転がった。
どうもモノを落とすタチであるらしい。こんなものにも遺伝が関係するらしく、これはれっきとした父親譲りである。
テーブルの上から口までの間に、色々なモノが落下するので、その受け皿として食事中のエプロンは欠かせない。年が年だけに、この様はちょっとアブナイ感じではあるが仕方がない。まったく、どうしてこんなにこぼすのかと母親はいうが、私にもわからない。
クミちゃんが座ったところってすぐにわかる、と友人にいわれたとき、父親と自分がピッタリと重なった。なるほどこういうことだったのか。
他の人間と同居していれば、突然足の裏に突き刺さるように乾いて固い米粒や、パン屑やおせんべいのかけらを、まったくしようがないなあとブツブツいいながら拾うこともできるが一人暮しではそうはいかない。原因は全部自分だから、拾うときには何だかナサケナイ。自分で自分の介護をしているような気になる。
冬場は乾燥しているので、ただでさえ手にあるモノはすべりやすくなっているのだろうし、化粧品のビンなど何回落としたところでこれまで何ということもなかったと、タカをくくっていたせいもあるのだろう。確かにヒビの入った洗面台に呆然とした。ア、やっちゃった。思いもかけない事故の時に人が思うであろうこと。ア、転んじゃった、ア、足はさまれちゃった、ア、指切っちゃった、ア、線路に落っこちちゃった。こんな風に、ある日突然死んじゃうのかもしれない。
昨日までそこにあったモノが今日も同じにあるとはかぎらない。あわてず騒がず受け入れ生きていかねばならぬ。粗忽者はいったん捨てたホーローのカケラをゴソゴソ探しながら、長い人生に思いを馳せたのである。