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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2005年9月10日

「イマジン」

「黒人だとなぜブッシュはすぐに助けないのか、どうも怒りっぽくなって困る、年のせいか」というメールが来た。いやいや年のせいではない気がする。

すぐさま救援物資を、と日本の高官がいうのを見て不思議な気がした。だってアメリカじゃない、スマトラじゃないじゃない。アメリカって世界一お金持ちじゃない。

子供の頃、まだテレビが白黒だった頃、アメリカから来るホームドラマに私たちはため息をついた。フカフカのソファ、おっきな犬、冬でも一枚だけかける毛布、ガラス瓶から注がれるまっ白な牛乳、庭で揺れるブランコ。プルプル弾むベッドにも驚いた。ちょうどその頃私の家には居間はソファとして使えるという組み立て式のフランスベッドがやって来た。でもどうしてもテレビドラマのように弾まない。ピョンピョンはねてみても、何だか違う。親に聞いてもわからない。1960年代に入ったばかりの日本にアメリカの「豊かさ」の想像はできなかったのだ。

前回のアメリカ大統領選挙の時、ブッシュを支持するというアメリカ南部、普通の家庭の主婦のインタビューを見た。まだ若い彼女たちは屈託のない笑顔でいった。確かにイラクで殺される人たちはかわいそうだけれど、仕方ないわ、だってむこうが悪いんですもの。彼女たちの広い家の周りでは明るい陽光の下、木がそよぎ鳥がなき風が穏やかに吹いていた。ある日突然、それまであった家がガレキになり、村中が死に絶える生活が、今別の国にあるのだと、まったく想像もできないという晴れ晴れとした笑顔だった。

イマジン、想像する力、これしか人と人がつながる道はないように思う。人が人を救える道はない気がする。

大体がモノをたくさん作って使って、それで何でもうまくいくなんて想像力のなさが、こんな地球にしちまったんだ、ベラボーめ!年のせいか、私も腹の虫がおさまらない。

2005年9月24日

「人生は片道」

井上芳雄さんのコンサートにおじゃました。井上さんは今年26歳、ミュージカル界のプリンスともいわれている人だ。芸大出身という確かな技術に裏打ちされた天性の美声と、ペパーミント系の爽やかハンサム。客席はさまざまな年齢の女性でいっぱいだ。

井上さんが私のオリジナル曲「わたしは青空」を唄ってくれていると聞いてはいた。そしてステージでもパンフレットの中でも、彼はこの曲への想いを熱く語ってくれていた。東京の東武伊勢崎線で起きた踏切事故で彼の近しい人の奥さんが亡くなられたこと、この曲を聴いて、先に逝ってしまった人の想いを自分も唄いたいと思ったこと。

うれしかった。親子ほど年齢の離れた人に子供のように育てた「うた」を唄ってもらえたことで肩の力が少し抜けた気がした。「うた」と「ココロ」を次の世代に手渡せたような気がした。

26歳の私はジタバタしていた。もしかしたらスターになれるかもなどとチョロく夢見たコンテストにも落選し、やることも、やれることもないまま人生浪人を始めていた。親と同じ家にいることがどうにも不自然に思え一日も早く出ていけることを考えた末、八方円満な方法「結婚」を選んだ。相手も同じ夢破れた仲間、よっしゃこれから心機一転、二死満塁逆転ホームランを狙うのだと、新たにバッテリーを組むような気もちだった。けれど目を見張るような一発は出ぬまま何年も過ぎ、気がつくと相方はいなくなっていた。

終演後、濃紺のガウン姿で現れた井上さんは、びっくりするほど背が高く、やせてはいてもたくましい青年だった。たとえどんなにお金や名誉があっても若者にはかなわない、だって彼らには「時間」があるからといった知人の言葉を思い出した。でも若い時に逆戻りしたいとは思わないなあ、こんな大変な人生もう一回やり直すのはまっぴらだ、人生は片道に限る、深いため息と共にそうつけ加えたのだった。