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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2000年6月7日

6月に入って、暑い日がつづく。
そういえば、二年前の今頃、声帯の手術をしたのだった。
“声帯結節”というやつで、ショクギョービョーといえば
いえないこともないが、忘れもしない、
はじめて行った神楽坂のちっちゃな店。
2ステージ目の最初に“ラストダンスは私と”。
さいご、「ちょうだーい!!」と思いっきりよく叫んだとたん、
ブチッという、いやなカンジ。
アレ、でない。声が‥‥でない。

「私に3分間下さい。」と、
どこかのアナウンサーみたいなことをいって、
水をのんだり、アーアーいってみたり。
中域から上が、まったく出ない状態で狂ったように唄ってしまう。
もう、どうにでもなれ。これでおしまい。THE ENDだ。
翌日、病院にいくと「声帯から血がでています。」という。
ホトトギスのようだ、と思う。

三田の済生会病院の病室の窓から、一言もいえぬまま、
東京タワーを見ていた。
昼も夜も見ていた。

“微熱少年”という、松本さんのつくった映画の中で、
しばらくぶりに、赤い東京タワーを見た。
私が見ていた東京タワーと、おんなじだった。

明日、カタロニアへ行きます。
誰も聴いてくれないかもしれないけれど、“鳥の歌”を唄います。

2000年6月14日

タイヘンな旅でした。

チケット紛失による、KLMとの仁義なき戦いやら、
高感度フィルムをめぐる、
赤外線ゲートくぐりのすさまじい攻防やら、
言葉の通じないラテンタクシーの運ちゃんに、
“クリビーレ!”(ライダーの名)と叫ぶだけで、
やっとたどり着くサーキットとか。
もう、ハラハラ、ドキドキ。
いつも、ボーっと旅をしている私には、
今回はまったく良い薬のようで、
体調までシャンとしてしまいました。

それにしても、私にカタロニアの土地で“鳥の歌”を唄わせたいと
考えた人たちのエネルギーには、驚きました。
彼らに、何の“得”も無いのです。
“なんで?”ときいても、“だって、いいじゃない!”
でおわるのでハナシになりません。
カンドーしてしまいます。

カンドーといえば、サーキットで働く日本の女性たち。
いろいろな外国の人たちと、さり気なく、しっかりと、
あったかく接します。
濃いめのお化粧と、オーバーアクション、
肩に力の入ったタイプのヒトしかしらなかった私には、
目からウロコです。
みんな、とてもサラサラと水か風のよう。
ステキで抱きしめたいくらい。

カタロニア、正確にはカタルーニャは、あいにくの雨と寒さで
どんよりした空を見るたび、“マイ・フェア・レディ”の
「スペインでは雨はおもに平野に降る」が思いだされます。
サーキットといっても、オートレースとロードレースの
違いも知らない私にはただの道路。
ああ、こんなところで唄うのだ。血の気の多いスペイン人の前で。
それも日本語で。
白いドレスは、空の色で白くみえません。

前夜、心に決めていました。
うけようと思うことなく、はりあげることなく、淡々と唄おうと。
私の“鳥の歌”を唄おうと。
私の歌をアイしてくれている人たちのために。
もしかしたら、私をディーバと思ってくれている人たちの
“想い”のために。

声は低くしたいと思いました。
唄う前にスペイン語でメッセージを読むので、
どうしてもトーンが高くなりがちになります。
メッセージの声も低くしようと思いました。
「私は今、愛してやまない“鳥の歌”をその生まれ故郷である
このカタルーニャで唄える喜びで胸がいっぱいです。
どうか皆さまの心にこの“想い”が届きますように。」

日本でビデオを見て、コケました。オンチです。
あんなに、落ちついていたつもりなのに。
でも、サーキットからと同じように、きっと、たくさんの
イビツな鳥が、カタロニアの空や丘に飛んでいったはずです。
歌を口ずさんでいたホテルの窓や
バスルームや着替えのバスの中から。

そう、おもわないと、ネ。

2000年6月20日

阿佐ヶ谷に住んでいる母親と、よく高円寺で待ち合わせをする。
ある日、時間より早くついた私は、中央線のガード沿いに
何ということなく歩いてみた。
そこには、時が止まったような店がひしめいていた。
フーッと風が吹いた。
“昔”の匂いがした。
アッと思ったら涙があふれた。
不意をつかれたなあ、と思った。
感覚が完全に“昔”にトリップしてしまっている。
そこに立っている私は、もう大学生になっている。
時代遅れのレコード屋らしき店のすきまをぬって吹いた風。
罪な風だ。

高円寺には古着屋が多い。
どこかの誰かの時間を背負ったフリをした服を、
若いコたちが買っていく。
私が若い頃着ていたような服もある。
母親が「昔にかえったみたい。」という。
ううん、“昔”になんか、かえってないよ。
だって私はもう“その頃”のあなたの年令に近いのだもの。
そう、“昔”になんか‥‥モドレナイ。

7月3日に、その高円寺でライヴをします。
正真正銘、当日リハーサルの“いきあタリ、ばっタリライヴ”です。
構成も演出も考えていません。
だから、どうなるかわかりません。
でも、ウキウキします。
もしよろしければ、来て下さいな。

2000年6月27日

「こまつ座」の新作「連鎖街のひとびと」を見に行く。
はじめタルくて、次に笑って、最後でやっぱり泣いてしまう。
井上ひさしというヒトの「こころざし」の高さと、
その「上品さ」に泣いてしまう。

来ているお客の大半は中高年。
平日の昼なのに満席。
こんなに待たれているのだ。
「カンドー」に焦がれる、ちゃんとした大人って、
こんなにいるんだと、またカンドーしてしまう。

この芝居に出ている「藤木孝」という役者さんが、以前テレビで、
「ボクは不器用だから、セリフを100回くり返すんです。
そうすれば、もし舞台で、アタマが真っ白になっても、
演劇の神サマがあんなに努力したんだからと、
かわいそがって助けてくれると思うんです。」
といっていた。
壁に貼った紙に「正」の字を
いくつもいくつも並べながら練習しているのだ。
本番一週間前にできあがったという脚本の舞台で、
彼はやはり少しぎこちなかった。

きっととてもタイヘンだったのだろう。
でも、私はその「神サマ」が助けてくれることを祈りながら見ていた。

私のレコーディングは一日に一曲のペースで
「遅筆堂」ならぬ「遅録堂」。
ここにきて、「打ち込み録音伴奏」との戦いがつづいている。
うまくノリきれていない。
先日は、あろうことか、自分でキレてしまった。
松本さんも、慶一さんも、さぞあきれたことだろう。
できないことが恥ずかしいと思った。
できて当たり前だと思った。
不器用なことを認めたくなかった。
でも私は、とっても不器用だった。
努力しないと、何もできなかった。
歌だって100回も唄わないと覚えられない。
ステージで歌詞を忘れるのは、まだ100回も歌っていないからだ。

かっこワルいところをさらけだして、
がんばるしかないよなぁ、と思う。
かっこワルいって、もしかしたら、
かっこイイかもしれないし。
それに、壁の前でしゃがみこんじゃうほうが、
よっぽどかっこワルいし。
そう、懸命に努力すること。
そうすれば「音楽の神サマ」だって
きっと助けてくれるでしょう。
こんな私だって。