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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2000年11月6日

静岡は30年ぶり。
まさか、30年ぶりなんていえる年に自分がなるなんて。
感無量。

駅に降り立つと、右も左もわからない。
記憶のかけらもない。

ピアノの先生の家が静岡市にあったので、
毎週日曜、東海道線に乗って藤枝から通った。
大体20分くらい。
練習をしてない私は、静岡駅のかたい木のベンチで
一時間すわっていた。
そして、帰りの電車に乗った。
胸が痛んだ。

「観客席」にも書いたように、
はじめて行ったレコード屋さんが「すみや」。
その「すみや」さんで、松本さんとトーク&ミニライヴ。
音楽ライターの土橋さんの司会と、
途中飛び入りの慶一さんをまじえて、
楽しく進んでゆく。
唄うのは三茶以来。
「接吻」「情熱」「鳥の歌」そして「昼顔」
リピートしたくないなぁ、と思う。
同じことを同じようにじゃなくて、失敗してもいいから
毎回ライヴな気持ちで唄いたい。
アレンジだって同じ必要はない。
「正しいこと」なんて、音楽にはないんだから。
そうだ、そうだ、これからもっといろんなふうにしてやろうと、
がぜん楽しくなってくる。

終了後、ロビーでサイン会と握手。
この頃やっと、相手の目を見てお礼が言えるようになる。
ほんとに「ありがとうございます」だもの。

夜、練りもの屋の店先で黒はんぺんに見とれていると、
うしろから「すみません」と声をかけられる。
お母さんと娘さんの二人が「さっき。」と言う。
感動してくれたという。
また、「ありがとうございます。」

本来、どこにも行かなくて良いはずの松本さんは、
私のせいで、新幹線には乗るわ、サインはするわ、握手はするわ、
居酒屋には行くわで、申し訳ない。
申し訳ないついでに、あれもいい、これもいいと、唄いたい詞の
お願いまでしてしまう。
こわいもん知らず。

いろんなことがこわかった女のコは、
もうすっかり、こわいもん知らずの
オバサンになって静岡に戻ってきたのでした。

2000年11月13日

きのうは、朝から音楽の日だった。
めずらしいこと。
私がはじめて出した録音物
45回転LP「POKKOWA PA ? ( ポッコワ・パ?)」
ちょっとした事情で、あらためて聞いてみることに。
15年くらい前、全5曲のうち自作が4曲。

人間、一生のうち10曲は書けるという証明のよう。
アレンジ、プロデュースは溝口肇さん。
自分で言うのも何だけど、とってもいい。
今聞いても新しい。
早すぎたなぁ、と決まり文句のようにつぶやく。
このかわいいヤツを自費ででもCD化しなきゃ、
死んでも死ねないと、里子に会えない母親のよう。

夜、西荻の「アケタの店」に渋谷毅さんを聞きにいく。
浅川マキさんや、最近では小沢健二さんの伴奏(こんなコトバでいいのかなぁ)で、
すばらしいピアノを弾いておられる。
もちろん、初めてお会いするので緊張。

おそるおそる「AURA」をさしだす。
「あ、松本さん?」
う、松本さんを知っている。
共作もあるという。
話がはずむ。

2回目のステージ。
すっかり酔っ払ってしまったらしい渋谷さんは、
突然、唄をうたうという。

松本さんと作った唄だといって、うたいだすが
詞が出てこない。
忘れている。
ああ、最後はこういう詞だといって、
そこばかり何回もくりかえす。
「ナントカ、ナントカつるべおとし」
「ナントカ、ナントカつるべおとし」
どうやらいい曲のようなのだが、笑いころげてしまう。
一緒に行った友人たちが「今度、唄ったら?」という。

由紀さおりの「生きがい」という曲もうたう。
「いーまー、あなたは、めーざーめー」
ジャズピアノにのせてポツポツ唄う。
不覚にも涙がこぼれる。
また友人が「唄ったら?」という。

ああ、曲たちは、こんなにたくさんたくさんあって
忘れていった曲たちや、今つき合ってる曲たちや、
これから出会う曲たちは、
まるでオトコたちみたいに
入れかわり立ちかわり私の心を揺さぶって、揺さぶりつづけて
あれ、あれ、いってるまに
コトリと「私」が終っちゃうんだろう。
人生はみじかい。
「なんてーもんに手をだしちまったんだろう。」と
ニンキョーしてみる、また秋の午後。

2000年11月20日

アイボ犬を飼うというヒトがいる。
毛もないし、ウンチもしないし、
ごはんも食べないイヌ。
生きたフリをしているイヌ。
イヌのフリをしたキカイ。

呼ぶと走ってくるのかなぁと友だちがいう。
走ってこないでしょ、いつもクネクネしてるよ、おんなじ場所で。
走ってんの見たことないもん、テレビで。

小さい頃の夏休み。
田舎のおばあちゃんの家の前で
道路をはさんで、黒いちっちゃなイヌがこっちを見てた。
呼ぶと走ってきた。
「名犬クロ」わかりやすい名前。
目と目の間が離れていて、少しトンマ面だけど、
かわいかった。
足が太い。
大きくなるよ、と大人がいった。
大きくなった。

大きくなって、かわいくなくなった。
うれしいと、すぐお尻をむけて飛びまわるバカイヌになった。
でも帰省して庭の隅で、つながれっぱなしの名犬クロを見るたび
胸が痛んだ。
あの時、私たちが呼ばなかったら、あのまま走っていられたのに。
こんなに大きくならなくても、走っていられたのに。

私がはじめて飼ったのがチャウチャウ。
天と話ができるらしいイヌ。
お金を貯めてやっと手に入れたそのイヌは
飼い主の手を二度もかんだ。

上と下からバックリくわえられた腕の包帯から血が滲んだ。
鈍く重い痛みが獣の牙の痛み。
できることなら、この先二度とこの痛みはごめんこうむりたかった。

「ヒトは、不思議と自分の性格に似たイヌを飼うんですよ」
という訓練士の下で訓練を重ねたチャウチャウは
ある夏の日、日射病で死んだ。

母親は電話口で泣いていたが、
そのちょっと前に「夫」というものを持った私は
妙にスッキリと「かわいそうだったね。」といった。

飼ったり飼われたりすることは、
たしかに楽しい。
イヌでなくても、ヒトだけで楽しめるうちは
それに越したことはない。

2000年11月27日

王監督がパチンコで20万円負けたため、規則により
それはゲーム差に換算され、
結局チームは首位から4位に転落してしまった、
というユメをみて目が覚めた。

一週間の始まりとしてはさえない。
ボーッとしたまま机の上に投げだされた
ピアニカの黒鍵のホコリを見る。
冬はホコリがよく見える。

寒い朝、やっとの思いでたどりついた
オトコの下宿の部屋で、
抱きよせられるのを待って、待って、
抱きよせられる瞬間
コタツのテーヴルのホコリが舞い上がった。
二十才そこそこの小娘はそれでもとてもうれしかった。

「お帰りなさい」というシチューのCMソングは
松本さんと筒美さんの作品。
台所に立つ原田美枝子さんが
つぶやくように唄っている。

土曜日そのデモテープ録りをする。
ピアノとの同時録音。
前日、少々飲みすぎた元少女の二人は
それでも予定の時間より早く録音を終える。

「帰る場所あるってだけで幸せがこみあげるでしょ」
ここが特に好きだ、と上條さん。
「さくらんぼ」の二人の子供を産んだ娘は
ライヴのリハーサルから涙ぐんでいる。

私は「ただいま」も「おかえり」もいわなくていい空間が
一番好きなのだけれど、
それでも唄いはじめの頃、親を説得して田端に借りた
三畳のアパートに一人で帰るのはいやだった。
結局一週間に一度帰るくらいだったが、
冷たい冬の部屋を思い出すと今でも寒々とした気持ちになる。

そのアパートには他にも、いろんなヒトが住んでいた。
都会で一人で生きているヒトたち。
深夜、洗面所で厚化粧のオバサンが、やかんにお湯を
わかして顔を洗ってたりした。
「こんばんわ」といった。

ヒト、それぞれの帰る場所。
冬のホコリの中で抱き合ったヒトも今は
どこかに帰って「ただいま」といっているんだろうか。