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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2002年1月6日

昨年27日のコンサートが終わった後、
どうも何か置き忘れたような、フにおちない心もとなさが残った。
どうやら、打ち上げが忘年会と重なって参加者が多く
知っているヒトも、知らないヒトも
話したいヒトも、話したくないヒトも
若いヒトも、そうでないヒトもごっちゃになって
全体がまるで鍋もののようになったせいらしかった。
マゼコゼになった具そのままに、
「こころ」が落ち着くべき場所を見失ってしまったようだった。

そんなまま大晦日がやってきた。
ヒトケのない赤坂で、黒い毛の生えた外国の蟹をむさぼりながら
これからの「傾向と対策」を考えることにした。
ちょっと離れたテーヴルでは、立派な身なりの老紳士と
髪をふくらませた若い女のヒトがワインを飲んでいる。
訳あり気な風情がいかにも大晦日の赤坂らしい、などと
いっているうち店は早閉まいになった。
再開発中の元ホテルニュージャパンの暗い跡地を横目に
寒々と地下鉄へ向かう。
こうして「傾向と対策」は年越しになった。

翌日は新宿のホテルで中華料理。
元日に中華がこのごろなぜか続いている。
どうかしたのかと思うほどの暖かさ。
西新宿の高層ビル街には風も吹かない。

うつらうつらと帰宅、その日のうちに二度電話の子機をひっくり返し
その翌日にはリンリンとベルが二度鳴ってこと切れた。

母親といえばひどい風邪をひき、寝室を覗くと
寝顔がまるでデスマスクのよう。
あわててドアを閉める。
その後、「寝るのが一番」と忠告すると
眠ったらそのまま目が開かなくなっちゃいそうで怖いから
眠るのはイヤだという。

ボストンテリアのマービンまでやって来た。
はちきれそうに身のしまった胴体で跳ねまわる。
輪切りにしてみたくなる充実ぶりだ。
何でもかんでも食べそうになるので
何でもかんでも食べさせてしまいたくなる。
ダメダメと叱るマービンのおにいちゃんの眼はトロリと底なしに甘い。

まったくヒトもイヌもモノも正月からコワれてしまっている。
こんな中で、新年の心構えともいうべき「傾向と対策」は
一向に進展しない。

私はいかに、どうして唄って生きていくべきか。
などと考えていると、突然「紅白歌合戦」の「小林幸子」を思いだした。
みんなが「小林幸子」のマスクをかぶってのパフォーマンス。
左手に「小林幸子」のマスクを持った「小林幸子」が最後に叫ぶ。
「これからも自分探しの旅を続けていきます!」
怖かった。

考えすぎると、つまらなくなることも、ある。

2002年1月15日

「団体」は苦手だけれど温泉旅行は別だ。
去年に続き今年も気のおけない友人たちと一泊旅行に出かけた。
総勢8人。
旅行会社に勤める友人の仕切りで、何の不安もなく
ゾロゾロとビール片手に乗り込む「行き」の車両から、もう子供のようにワクワクしている。

今年は箱根。
連休中というせいもあって、フリーパスで回るどこにでもヒトがたくさんいる。
バスにも船にも登山電車にもロープウエイにもたくさんいる。
子供も年寄りも外人もたくさんいる。
私たちもたくさんいるので、うれしい。

ひなびた温泉宿の木枠の窓や手すりなんかを見上げると、
オトコと二人がいいような気もするが、
露天風呂を売りものにするおっきなホテル旅館は、やはり団体がいい。
女部屋と男部屋に別れて、ごった煮のように寝るのがいい。
夫婦であろうが恋人であろうが、修学旅行のような部屋割りがサッパリしていていい。

酒飲みのニンゲンばかりなので、どこでも宴会をする。
「常識ある都会人」として決して他人の迷惑にならないよう
気をつけてはいるものの、時としてあげた笑い声の大きさにハッとして
回りをキョロキョロする。
かわいいオジサンとオバサンたちである。
それぞれの家族のこと、仕事のこと、背負っているもののことなど
よくは知らないが、身ひとつで一緒の旅をし、一緒の時を過ごす。

二日目に、ほろ酔いでバスに乗っていると
窓の外にミョ—な格好のヒトたちが歩いている。
金髪に羽織袴だったり、ケータイ片手の振袖だったり、
黒装束の一団だったり。
ビックリしていると、公民館の前にさしかかる。
どうやら成人式が終わったところらしい。
面白そうなので、バスの中から、オトコのコたちに手を振ってみる。
オトコのコたちも手を振ってくれる。
なぜか「頼むぜ」という気持ちになる。
私たちより数段若い生き物たちに頼まれてもらわないと
困ることがたくさんあるような気がする。

小田原城にのぼったことが昔あったか、なかったか。
木の階段をフーフーいいながらのぼっていく。
はじめに、いつか学校で習った「五箇条のご誓文」が展示されている。
ヒトとしてすべき行いなどが記されている。
今も昔も「まっとう」なことに変化はなく
今も昔も「まっとう」なことができにくいのがニンゲンであるらしい。

お椀やおひつなどの道具の類は、しっかりと大きくて立派だ。
それに比べ、ふすまは小さくて丈も低い。
今より大分小ぶりのヒトたちが、大きな道具を使っている様子が見える。
身の丈に合わない道具を支配している様子をおもう。

「刀」より「矢」に引きつけられる。
「矢」は太く長く美しい。
この美しい鳥の羽のついた矢が刺さったところを想像する。
想像を絶する痛みの中で、カラダから長く伸びた矢の鳥の羽を見ながら
死んでいくことを想像する。

鳥といえば展望室からは鳩がバラバラと天守閣の屋根に
止まるのが見える。
航空隊のようにグルッと旋回してから次々に瓦屋根に止まっていく。
鳩をずっと見ているうち鳩になってしまった。
隣の大きな木までヒラリと飛んでみたり、
下でエサをやっている子供たちのところまでスーッと急降下してみたり。
鳩はいつも上から降りてきて下にいるものと思っていたのに、
その「上」にいると見方が変わる。
地上など鳥にとっては生活のほんの一部ということがわかる。
鳥たちは大きな空と空気の中で生きていた。
改めて鳥たちに畏敬の念がおきる。
見くびっていてすまなかったと思う。

「クミちゃーん!」
下から呼ぶ声で我に返り猛スピードで階段を降りる。
これから小田原駅前のソバ屋にいくのだ。
ソバ湯で割った焼酎は、雪の中たどりついた昨年と同じようにおいしい。
一年たってもおいしい。
給仕をしている女のコにいくつと聞くと「19」と答えた。
来年また来るからね、今度は20才だね。
いるわけないじゃない、来年まで。ねえ?
まぜっ返す。
私たちにもまた来年。
ザワザワと駅にむかう。

「心におみやげ見つけて小田原」
街頭に看板がかかっている。

2002年1月21日

気がつくと電話のコンセントがはずれていた。
ここ数日、夕方散歩に出る以外は家にいて
古いレコードやらカセットやらCDを取り出し、ひたすら聴いている。
滅多にないことだ。
それもシャンソンばかり。
やはり滅多にないことだ。

バルバラ、イヴ・モンタン、ベコー、アズナヴール、コラ・ヴォケール、レオ・フェレ…
レコード盤は、A面とB面をいちいち立ち上がってひっくり返し
細心の注意で針を上げ下げするだけでフーフーする。
音楽を聴くというのはつくづく大変なものであると感じ入る。
手元のリモコンで、1つ飛ばし、3つ飛ばして次ぎコレね、
など畏れ多いことだとわかる。
作る方も大変なら聴く方も大変なのだった。

あまりフランス語ばかり聴いているので
口の中がだんだんフグフググワグワしてくる。
日本のシャンソンを聴くことにする。
とはいっても、選べるのは2枚だけ。
高野圭吾さんと高関詢子さん。
どちらもやはりレコード盤で手間のかかることはなはだしい。
それでも美しいメロディーに乗った日本語が流れると
その独特の「香り」や「匂い」に陶然とする。
「意志」のある言葉はフランス語に負けていない。
「シャンソン」ではなく、ただの「ステキな歌」になっている。
エート、原詞はですねえ、などと頭のカタイ人々を
嘲笑うかのような豊かさだ。

日本語といえば、つい先だって
「ジンコウをカイシャする」という言葉が会話に出てきて
ビックリした。
「人口を膾炙する」という字で、「広く人々の口に言いはやされること」
の意であることは、
家に帰って早速辞書を開いてわかった。
ウーン。唸った。

その前に「月下氷人」という言葉が小説に出てきて
月下美人の関係者かと、また辞書を引くと
「結婚の仲立ちをするひと。なこうど。」
ウーン。

ついでに「反故」は「ホゴ」で
「ホゴにする」という漠然とした使い方しか知らなかった私は
「紙くず」の意味があることを知り、また唸った。

基本的には唸ることばかりの私なのだけれど
「人口を膾炙する」などと知らなくても
この先全然困りませんよ、という気はする。
せいぜいこれを使うヒトからバカにされる程度のことだ。

そこへいくと、先週行った小田原はすごい。
街角のゴミ箱に「燃せるゴミ」と大書してあった。
また昨日はNHKの若いオトコのアナウンサーが
「食べられる」と言おうとして「食べ」と「られる」の間で一瞬つまった。
あやうく「食べれる」と言いそうになったに違いない。
これらは笑い話のようでもあるけれど、
「燃せる」も「食べれる」もあと何十年もしたら
当たり前になっているのかもしれない。
言葉は生き物、当然の成り行きだ。

でも気になるのはヒトに使われなくなった多くの言葉たちだ。
この先一体どうなるのか、辞書にシカバネのように埋もれたままなのか、
これから先誰に使われるのか、誰に向かって使われるのか。

ためしにちょっと辞書を開いてみると
「浮かぶ瀬」などという粋な言葉が。
「苦しい境遇からぬけ出るとき。楽になる時。」

こんな美しい言葉、使ってみたい、言ってみたいと思うけれど
いつどこで使ったらいいのか。
浮かぶのはみんなのポカンとした顔ばかりだ。

ことほど左様に(一回使ってみたかった)
この時代、さまざまな言葉の行く末は厳しい。

昔使われていた「ランデヴー」はたしかに古い。
「アベック」もフランス語だが、もう古いらしいと聞いた。
じゃあ、他に何ていうんだよ、一体。

2002年1月29日

遊歩道に架かる中央線のガード下をちょっとはずれた所に
そのヒトはいつも座っている。
檻のように囲んだダンボールの中から上半身が見える。
お雛さまのように、毛布を裸の胸の前で重ね合わせ
いつも同じように穏やかに座っている。

よく見ると時々訪ねてくるヒトたちのために
椅子らしきものまで用意してある。
それほどヒトは訪ねてくる。
同じホームレスのようなオジサンだったり、
食べ物を入れた鍋を持ったオバサンだったりする。
毛布に包まれたヒトを囲んで、談笑するヒトたちというのは
やっぱり少し不思議な光景ではある。
でも、そんなことはどこにでもあっていいような気もする。

少し前までこのガード下には、沢山のホームレスのヒトたちが
寝泊まりしていた。
布団やマットレスが積み重ねられ、
ハンガーのかかった服や、傘がユラユラ揺れて、
林立した酒ビンにオシッコしそうになった犬を、
飼い主があわてて引き戻したりしていた。
ガード下は薄暗くジメジメしているけれど雨や雪はしのげる。
ガード下に社会があった。

それがある日誰もいなくなった。
せいせいと片づいている。
あるのは黄色い貼り紙だけ。
「このガード下で一切生活をしてはいけない。」

毛布に包まれたヒトだけが残った。
ガード下から少し移動して。
上を見るとたしかに空がある。
「生活の知恵」とでもいうのだろう。

カメラマンのイトコがちっちゃな個展をやるという。
題名は「Missing Santa(行方不明のサンタ)」
去年のクリスマスのことだ。
スイカのビーチボールを手に微笑む、ナニジンともわからない
老人を印刷したDMにひかれて
表参道の同潤会アパートに出かける。
取り壊し目前のアパートの古びた一室に並べられた
数枚の写真たち。
気の抜けたサイダーというと、聞こえは悪いが
そんな風にすべてのアクや汚れが抜け落ちてしまったような
やせた老人二人が写っている。
ある時は海で。
ある時は高層ビルの谷間の公園で。

このヒトたちホームレスのヒトなんだよ。
でも古雑誌とか売ってちゃんと生活してるの。
新宿の中央公園で寝泊まりしてるんだけど
友だちになってね、海に一緒に行ったの。
もうずいぶん行ったことないんだって。
すごくうれしそうだった。

すごくうれしそうだってことが、よくわかった。
そして私も、しばらくぶりに会うイトコが
ちゃんと「ヒト」になっていて、ちゃんと「オトコ」になっているのを見て
すごくうれしかった。
その日、東京では初雪が観測された。
寒い夜だったが私はあったかかった。

年が明けて暖かい日がつづく。
そして、新宿中央公園では爆発した小包が、
東村山のゲートボール場では少年たちが、
ホームレスのヒトの手足や命を奪った。