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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2002年6月3日

紫陽花が咲いたと思ったらワールドカップが始まった。
もともとサッカーにもスポーツにも興味がないのだが
「ねえねえ、あなたもシャンソンやってるんなら、
フランスのサッカーくらい観て話のネタにした方がいいよ。」
という親切でおせっかいな人の電話で
2日目にTVをつける。

「ジタンはタバコ。ジダンね、ジダン。」
そのフランスは初日セネガルに負けてしまっていた。
スポーツ解説者はハングリーさの差でしょうねえ、
などといっていたが、
セネガルといえばヨソの国に来て宝石盗んじゃった選手のいるチーム、
そりゃハングリーだわなあと納得する。

観てみると確かにスゴい。
ボールがビュンビュンビュンビュン右左、左右に行きかう。
ズバーッとシュートする。
サッカーってこんなにスピーディなスポーツだったっけ。
ボールの行方を目で追う私のカラダも揺れている。

ひとつのボールに国をかけ、命をかけ、名誉をかけて
汗みどろで挑みかかる、いろんな国のオトコたちをみていると、
立派な芝生の競技場が突然
砂ぼこりのハラッパだったり、
壊れそうなバラックの脇のゴツゴツした空き地だったりに見えてくる。
皮フの色の濃い目の選手たちが特にそうだ。
アフリカや南米の貧しい国で少年たちが遊べるものは
きっとボールひとつだったんだろう。

そしてこのボールひとつでどんな富でも手に入るとわかって
一生懸命走って蹴って、走って蹴って
ぶつかって転んで、またぶつかって転んで。

こうして功なり名遂げたオトコはどういうわけか
きれいなオクサン、かわいいコドモ、でっかいイエを手に入れる。
独身主義者だったり、同性愛者だったりしてもいいのだろうが
今のところ聞いたことがない。

ずいぶん前のことになるけれど、
電車の中に裸のオンナのヒトがうつ伏せで寝ている写真を使った
広告が貼られていたことがあった。
確かお酒の宣伝で、
そのオンナのヒトはもう今ではオバサンだけれど
その頃は当然若くピチピチしていて
そり返った上半身の胸のあたりがミョーに悩ましい。

悩ましいというのは、単にオッパイの先っぽが
見えそうで見えないからだが、
しばらくその写真を見ていた私は、隣の友人に聞いてみた。

ねえ、おっきいオッパイで先っぽがないのと、
ぺっちゃんこで板みたいなオッパイだけど先っぽがあるのと
どっちがいい?

突然の質問にうろたえた友人は、それでもしばらく考えていたが
ぺっちゃんこでも先っぽがある方がいいと答えた。

だってもし先っぽがなかったら、
触っててもそれが本当にオッパイかどうかわかんなくなっちゃうかもしれない。
ぺっちゃんこでも先っぽがあって初めてオッパイなんだよ、やっぱり。

彼のいうことは何だかとてもよくわかった。
そうか、オッパイは先っぽがあることで初めてオッパイという存在になるんだ。
先っぽがなければ、いくらおっきくてもオッパイとはいえない。
モノゴトには頂点、頂上が必要なのだ。

日夜ボールばかり追って死闘しているオトコが求める頂点は
やっぱりオクサン、コドモ、イエだったりするんだろう。
そのために、あるいはそれを守るために彼らは戦う。
頂点のないものは存在しないも同然だ。

これはサッカーのみにあらず。
でも、ブサイクなオクサン、かわいくないコドモ、ちっぽけなイエで
とりあえず3点セットはそろっているというヒトも多いので
ここはちっちゃくても先っぽのあるオッパイ同様
誇りをもって生きるべきだろう。

さあ明日はいよいよ日本戦。
目指すは頂点。

2002年6月10日

夜の8時すぎ、中野のエスニック料理屋にいたのは
私と友人を含め3組だけだった。
サッカーの日本対ロシア戦で、それどころではない。
みんなテレビにかじりついているらしかった。
心なしか、あたりのどの店も早く閉めたがっているようだ。

家に帰り応援する。
おどろいたことに日本の勝ち。

テレビでは海の向こうや、六本木や、そこいらじゅうの大騒ぎを
映し出す。
肩を組み抱き合って喜んでいるヒトたちや、
車を倒し火をつけて怒っているヒトたちを映す。
ヒトは集団になってうごめいていた。

喜びも悲しみも怒りも集団でというのが
どうもピンとこないタイプのニンゲンであるらしい私は
ただただ呆然と画面を見つめる。

ずいぶん前、ことの成り行きで出演することになった
「レ・ミゼラブル」というミュージカルの時には、
心底悩んだ。困った。
「カンパニー」と称する出演者が50人くらい。
これまでにないミュージカルということで、
力を入れた東宝とスポンサーの資生堂は公演の始まりにあたって
「エコル・ド・レ・ミゼラブル」という学校をつくり
出演者たちにお金を払って授業をしてくれた。
バレエや声楽や歴史など。

今思えば何とありがたいことと思うが、
とにかくその集団性ゆえに学校が苦手だった私は
この年になってなんでまたと身の不運を嘆いた。

集団がイヤなのは個人が見えにくくなるからだが
見えにくくなった個人は、そのまた別の個人と
親しくなるのがむずかしい。
個人といいながら、もう個人じゃない。
集団という色の服を着たニンゲンはどこまでいっても
その集団色を脱ぐことができない。

「エコル・ド・レ・ミゼラブル」も終わり、本格的な稽古に入ってからも
毎日毎日はつらかった。
本番間近のある日、
出番のない私は暗い帝劇の客席で進行する舞台稽古を
見ていたのだが、突然どうにもならなくなった。

ここじゃない、ここじゃない、私のいる場所は。
思い立ったらもうダメだ。
「映画見てくる」となりの友人にいい残して
あわてる友人を尻目に有楽町に向かった。
その時の映画がトリュフォーの「アデルの恋の物語」。
あらすじはほとんど思い出せない。
お尻がムズムズするような後ろめたさを感じながら
罪を犯して暗い映画館に潜む犯人の気持ちが
わかったような気がした。
ハグれてしまった、そう思った。

自分に見切りをつけた私はそれから二度と
集団に関っていない。
ヒトは10人までですね、やっぱり。
宴会でも、授業でも、仕事場でも、温泉でも、
一人一人がよく見える、ああ風通しがいい、そんな感じ。

もしも自分の「オトコ」が集団の中で
車を倒したり、火をつけたり、ヒトを殴ったりしているのを
となりで見たらどうするかなあ、
コップを洗いながら考えた。

ふと昔、中国大陸であらん限りのコトゴトをしたあげく
帰ってきた日本で好々爺となったヒトたちのことを思った。

2002年6月17日

アイルランドがギリギリのところでシュートを成功させた時
スタンドのサポーターおじさんは感極まって後ろを向いた。
緑のユニフォームに「ベルファスト」とあった。

ベルファストといえば、ついこの前までの民族紛争で
ばんばんテロがあった町だ。
ブラッド・ピットがこの町出身のテロリストを演じていた
映画もあった。
行ったこともない、ちょっとキナ臭い町工場の匂いがしてくる。

そのアイルランドの選手が、対するスペインの選手とヒートして
何ごとか言い争っている。
どうみても違うコトバでいい合っている。
感情はコトバを超えるなあと感心する。

感心しながら観ていると延長戦に入ってしまった。
スペインは1人足りない10人。
また感心して観ていると、ついにPK戦になった。

どっちも負けなければいいのに、とおそらく
みんなが思っていることを思いながらドキドキみつめる。

重いプレッシャーと疲れの中、一流のプレイヤーたちが次々とゴールを外す。
スペインの最後の選手がゴールと勝利を決めた瞬間、
一人で拍手をした。
ベルファストおじさんは、まっすぐ前を見つめ
アイルランドのタオルを高くかかげた。
おじさんにも拍手をした。

ワールドカップが始まってから増えた、
「ニワカサッカーファン」の一人の私は
試合の始まる前の一連の儀式が特に好きだ。
黄色と赤という、どうみても黄色人種に似合わない配色の
服を着せられたコドモたちと手をとって入場してくる
緊張した顔の選手たち。

そして、国歌の演奏、
これがいい。
国によっては、前奏がやたら長くもう終わりかと思っていると
突然オペラのように歌が入ってくるものや、
始まりも終わりもよくわからないもの、
唄うためにはできていなさそうなもの、
誰も唄えそうもないもの、
アメリカやイギリスなどお馴染みのもの、
そんな中で私の一番はドイツ。
美しいメロディー、ハーモニー、わかりやすさ、唄いやすさ。
やっぱりだてにクラシックの大家を出してきた
国じゃないなあと思う。

日本の国歌はハモれないこともないけれどむずかしい。
まあ、ユニゾン音楽の国なのだから仕方ない。
でも、この哀しげで、はかなげで、まるでカゲロウみたいに
実体のない不思議なメロディーは、
「闘争」の前にはどうも向いていない気もするのだが、
「モノのあわれ」をさそっているようで奥深いともいえる。
「君が代」に抵抗があっても、ひらたく「キミガヨ」だと思えばいい。

国歌が終って両チームが握手する場面が特にいい。
右のチームの選手が左に向って相手チームの一人一人と握手をしていく。
最後に一番はじっこの選手の腰とか腕とかを
ポンと叩いていくのを見るのが楽しみだ。
全員がするわけではないけれど、
右手で握手、左手で軽く「ポン」が、
オトコの大きさ、ニンゲンの余裕を示しているようで気持ちがいい。

それにしても走り続けるのはつくづく大変なことだと思う。
日本人はもともと「走る」ことをしなかった民族らしい。
その証拠に、昔の絵巻物などでは、
火災とか戦争とかの災難から逃れるヒトたちは両手を上げている。
「両手を上げる」のが走るコト。
両腕を前後に振り上げ全力で走る選手たちをみていると
歴史的感慨をおぼえてしまう。

そうそう、サッカーでもうひとついいのはユニフォームの交換。
異なる体臭、汗の交換は背中がゾクゾクして楽しい。
交換の最中、ハダカがみられるのももちろんいい。

2002年6月24日

「あたし、韓国ってキライ」
その夜、韓国対スペイン戦があるという昼飯どき
突然母親がいいだした。
「いつからコクスイ主義者になった」とたずねると
「これは私じゃない、おばあちゃんの意見」という。

ずいぶん前に母親の弟、つまり私のオジが
「オンナにダマされた」時
そのツツモタセをしていたのが韓国のヒトだった。
ツツモタセは美人局と書くけれど、
「ちっともキレイじゃなかった」と母親がいうのは
夫や息子などオトコをとられた側のオンナのいい分としてもっともだ。

とにかく多額のお金を支払った、このモメ事が
おばあちゃんを短命にさせた理由のひとつだと
身内では信じられているらしい。

そのオンナのヒトの名前が「ユリ」というので
今でも母親はおばあちゃんの位牌に「百合」の花を飾ることはない。
しばらくは「百合」そのものも我が家から消えていた。

でもそんなこといったら戦時中日本に強制連行されてきた
朝鮮のヒトたちの恨みはどうなる、といおうと思ったが
まあ、母親も含めて私だって「人類愛」などといってはいても
しょせんこの程度のものかもしれないと、
無力感に襲われ、そのまま茶をすする。

昨日のテレビでは、スペイン戦に勝って真っ赤にそまった
ソウル市内の映像を映し出していた。
警戒中のお巡りさんまでもがペインティングした顔でニコニコしていて
電話ボックスの上で騒ぐ青年を引きずり下ろしても
双方喜びあい抱き合ったりしている。
いざ戦闘体制になった時、戦車が通れるようにと
やたら広く作られた道路は赤いヒトでいっぱい。
大韓民国に生まれてホントによかったとみんながいう。

早朝、ゴミ出しのついでに取ってきた新聞をふと見ると
この国の改革が進むとは思わないというヒトが
約80%という世論調査の結果が。
ねぼけまなこではあるが、それでも
「何てネガティヴな国なんだ、日本は」と憤慨しつつ
またベッドに戻る。

いい方向に進むと思わないと物事はゼッタイいい方向に進まない。
やれるもんならやってごらんと思っていたら、どうなるんだろう。
一体誰がどうするっていうんだろう。
誰にどうしてもらうつもりなんだろう。
大体がこの世論調査ってのもおせっかいだ。
エーイ、こんな新聞やめてやると、
気持ちがおさまらないままゴロンゴロンする。

この「高みの見物」みたいなところは、
お芝居や演奏会などエンタテインメントにもあったりして
知人の演出家によると、
今、この時間をよりよく楽しむために客も参加しようという姿勢が
日本人には欠けているらしい。
客が演者をのせて、もっと良いものを見せてもらおうという
気迫がないらしい。
ここでも「さあどんだけのもんなの、やってごらん」という感じ。
演者も客もまずはココロを大きく広くもって
その場に臨むこと、これに尽きる気がする。
「楽しませてもらいたい」んじゃなくて「楽しみたい」と思うこと。

以前、韓国にいった時に買ってきたのが
農村で働くオンナのヒトの姿をした紙人形。
両手を胸の前で合わせ、大きく口を開いて空に向かって
高らかに唄っているような人形だ。
センプーキやパソコンにも名前をつける習性のある私は
早速これにもマジックで命名をした。
「KANKUMI」