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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2001年10月1日

鳥の夢を見た。
鳥に「ガン」をつけられる夢。

あんまり青いので黒っぽく見える空の中、
出窓の外に止まった鳥が、中から見上げる私を振り向いた。
見たこともないライオンのような鳥で
あきらかな敵意をもつと、どこからかパチンコのような物を持ちだして
窓越しに私を撃つのだ。
私も応戦した。
傘を取りだし、その先っぽで「お前をやっつける」意志を示した。
ライオンのような鳥の眼はギラギラと輝いて私を憎んでいる。
どうして憎まれるのかわからないが、私も憎んだ。
怖かった。

次の場面では、なぜかサラリーマン風のオトコのヒトと歩いている。
私より年上の退職間近といった感じのヒトだ。
どこかで、そのヒトは私を押し倒してキスをした。
顔を離していった。
「ジジョーってことを、知らなかった。クミコと会わなきゃ。」

どうやら「ジジョー」は「自浄」で
私が唄っている「鳥の歌」のことをいっているらしかった。
近くでみると、おじいさんのようなそのヒトの顔を見上げながら
そうか、あれは「浄化の歌」なんだと思った。

次にそのヒトは私を横抱きにしながら
駒場の「アゴラ劇場」に入っていく。
ちょっと前、夕刊でこの劇場の記事を読んだせいだろう。
でもそこは、実際の「アゴラ劇場」とは似ても似つかない
昔のジァンジァンが地下道のようにながーく伸びてしまったようなところ。
そして壁には亡くなったマルセ太郎さんの写真が
いたるところにかかっている。
「アゴラ劇場」は「マルセ劇場」と名前を変えているらしい。

そこには1960年代からのアングラ芝居の名残りが
そこここにあって、地下道みたいな通路には
「その頃」のヒトたちのサインが並んでいる。
歩く速度に壁の「時」が移っていく。

カラダの熱いまま眼が覚めた。

そして昨日の日曜。
地下鉄から銀座四丁目あたりに出ると人だかり。
聞くと、これから「世界のおまわりさん」というパレードがあるという。
おじさんが、事前に配られたらしい、四角にきっちりたたんだチラシを
うれしそうに見せてくれる。
「ホラもう来るよ。音が聞こえるよ。」

ちっちゃな母親は背伸びをしながら、植込みの枝を支えに立っている。
「良かったね、いろんな国のおまわりさんが見られる。」
ところが、日本の警視庁音楽隊を先頭に
やってくる外国のおまわりさんは、
「パリ」と「ソウル」と「ドイツ」と「イタリア」だけだった。
そのかわり「千葉」や「埼玉」や「神奈川」に加え、民間の「警備保障会社」まである。
これは、もう「プロ」で、あまりのウマさに観客は「引いて」しまっている。
それにこのヒトたちは「おまわりさん」じゃない。

やっぱりテロのせいだね。
アメリカだってイギリスだって来るはずだったんだよ、きっと。
ロープをほどいて片づけ始めた交通整理のおまわりさんを横目に
また歩き始める。
もうすぐ降り出しそうな曇り空、
銀座の裏道を歩きながら、何だか元気のなかった
外国のおまわりさんたちを思いだした。
どこの国のおまわりさんも大変だ。
タイコを叩いていても、チューバを吹いていても、大変だ。

明日はたしか「戌の日」よ。
「戌の日」に「火入れ」をするといいんだよ。
一つのチョコレートケーキを二人でつつきながら母親がいう。
でも私、もうこのあいだホットカーペット一回入れちゃったよ。

「戌の日」はこれからお産をするヒトの腹巻の日だけでは
なかったらしい。
こんなこと、せっかく教えてもらっても、
もう私が誰かに教えることもないんだろう。

喫茶店のガラスのむこうに小雨がパラつきはじめた。

2001年10月7日

ちょっとしたなりゆきで秋葉原のロック系ライブハウススタジオに行く。
ライブハウスとはいえない、とてもちっちゃな所。
来ているお客も出演しているバンドもみんな若い。
コドモたちだ。

厚いドア2枚をあけて入ると、まさに「ゴー音」
それでも耳が慣れてくると、ギターをかき鳴らす少年たちの隙間に
「音楽の神様」のことを考える余裕ができてくる。
ここにもいるのかなぁ。きっといるんだろうなぁ。
がむしゃらに演奏する少年たちと、それに応える少年少女たちと。
TシャツにGパンがステージ衣裳の彼らを見ながら
その前日聴いた「ジミー・スコット」というジャズ・シンガーを思い出す。

4人のバンドも含めて全員がキチッと線の入ったタキシード。
来日中に76才になるという彼は、
ひとつひとつ客席に言葉を置くように唄う。
くわしい経歴は知らないが、たいそう苦労したヒトであるらしい。
2ステージを終えアンコールも終え、立ち上がって拍手する観客の中を
埋もれるように楽屋に戻っていく。

「敬虔」
音楽への敬虔さ、音楽の神様への敬虔さ。
ふだん使っていない言葉なのに、これしかないという気がする。
そして私たちは、その「敬虔さ」に拍手する。

友人がジミー・スコットを囲んでみんなで写真を撮るという。
再び現われた、ちっちゃな年老いた歌手は
もう立っているのもやっとというくらい疲れてみえた。
「生きているココロ」はもう、さっきのステージで終わらせてしまったようだった。
人生のいろいろなでき事が通り抜けたその体は
もう透明人間になってしまっているようだ。
多分、このヒトはもう神様に近いヒトなのだろう。
私は、そばに近づくこともできなかった。

ステージでは上半身裸のオトコのコが汗だくで速いビートを叩いている。
そういえば少し前にも突然上半身裸になったギターのコがいた。
気合いが入っているという証拠らしい。
工事現場で働いているので筋肉には自信があるという話だった。
でもできることなら裸はやめてほしい。
「わかりやすさ」はちょっと恥ずかしい。
「オトコらしさ」「オンナらしさ」の「わかりやすさ」はカンベンだ。

耳がガンガンしながら新宿ニ丁目に行ってご飯を食べる。
連休の合間ということもあってメインストリートはたくさんのヒト。
最近できたオープンカフェは、この頃TVでよくみる、
スズメバチの大量発生のようにヒトが群がっている。

二丁目も変ったねぇ。
昔はこんなんじゃなかった。
通りはガランとさみしくて、でもひとつひとつの店に入ると
それぞれにワーンとヒトがいて。
怒ったように友人がいう。
外のヒトたちにはわからないこの温度差を共有することが
昔の二丁目のヒトたちの生き方だったのかもしれない。

そういえば、はじめてプロとして唄ったコンサートの後の打ち上げは
この二丁目だった。
カウンターだけの「鉄板焼き屋」。
本当は日本髪が似合うというデブのママと
やっぱりデブのオトコのコが二人でやっている店。
ママは「オトコ」ではありながら、いかにも「元芸者」らしく
全てに神経が行き届いていて
コンニャク焼きをいつもいいタイミングでひっくり返した。

その頃、そのお店の横に自転車を停めようとしていると
後ろから声をかけられた。
ショートカットでジャンパー姿がオトコのコに見えたらしい。
そのずっと後、濃い化粧で歩いていると
今度はニューハーフにまちがえられた。
もうメチャクチャな話しだ。
でも何てステキなメチャクチャなんだろう。
「オトコ」も「オンナ」も「オトコらしさ」も「オンナらしさ」も
何ひとつはっきりしない街なんて。

お風呂から上がると「戦争」が始まっていた。
ヒゲの生えた「オトコ」だけの国で、みんなが叫んでいた。

2001年10月15日

ポンポンポンと間のびしたような一人の拍手が聞こえてきた時から
「アレ」と思っていた。
次に通路を何回も横切る姿を見た時も
「アレ」と思った。

酔っ払いのヒトなのだろうか。
何かのハズミで仕方なく連れてこられたヒトなのだろうか。
時々ブツブツなにごとか言っている声も聞こえてくる。
シャンソニエのような場所ならともかく、
コンサート会場では珍しいできごと。
少し緊張する。

「セップンやって!」
突然叫んだ。
え、セップン?「接吻」?
このヒトは何と「接吻」をリクエストしている。
意外な展開におどろく。
コンサートも終盤に入って、
ついにこらえきれなくなって叫んだのだろう、
この「接吻オジサン」は、
アンコール曲として私が唄う間、自分でも唄っていた。
まわりのヒトを押しのけ、自分と「接吻」だけになっているらしかった。

唄っている私は、ブツブツ声が「唄声」だとわかったとたん、
ちょっとあったかい気持ちになってしまっていた。
こんなむずかしい曲よく唄えますね。
それにどこでこの曲をお知りになったのですか。
そして、この曲のどこがそんなにお好きなんですか。

60才をとうに過ぎているらしい、
サラリーマン風には見えないけれど、紳士然とした「接吻オジサン」に
そう聞いてみたい気がした。
分別のありそうなイイトシのオトナが「接吻」と叫び
「キス」と唄うなんてことに、感動さえした。
確かにアクシデントには違いない「接吻オジサン」の登場ではあったけれど、
これはこれでヨシという気になっていた。
なんたって「ライヴ」ですもの。
「ライヴ」は「生きていること」ですもの。

ミョーなことに、私の父親は「AURA」を一日一回は聴いているらしい。
いい曲だ、いい曲だといっているというのだが、
ムスメとしてはちょっとコソバユイ。
73才にもなるオトコのヒトが、
「腿の内側」や「肌のキャンバス」や「腰のライン」なんかを
どう聴いているのかと思うとドキドキする。

でも、よく考えてみると60才や70才になった私が
そんな「言葉たち」をちゃんと唄っていくことに
どうやら間違いはなさそうだ。
トシを重ねたぶん「言葉」がその「言葉」以上の輝きを
持っているかもしれない。

そうか、そうだった。
ヒトもまた「ライヴ」という進行形。
生きているココロの火種が消えるなんてことはない。
73才の父親も、彼の「ライヴ」をしているんだろう。
「ライヴ」してるのは若者だけじゃない。

昨日はもったいないほどの秋晴れになった。
友人の家の屋上でジンギスカンをする。
見上げると青空にいろんな雲が。

小学校の頃、自由研究でやった「雲の研究」を思い出す。
夏休み中、毎日毎日雲の形を描くのだが、どの日もたいして変わらない。
ウンザリしたので、「ホコリの研究」にかえ、
紙に「のり」をぬって外に置いておいた。
これも毎日毎日絵に描くのだが、雲以上にかわらない。
「ホコリ」に変化はないらしく、がっかりしていると
時々ムシが止まっていた。

「死ねたらいいのに、こんないい日には」
美しい青空の下の気持ちを、こんな風に唄うシャンソンがある。
「青空」は「死」に近い。
季節はずれのジンギスカンの煙と匂いが、
向かい合わせのマンションの窓へと入っていく。
レースのカーテンが揺れる。

「あそこはね、年とった弁護士さんが住んでるのよ。」と友人がいう。
数日前の「接吻オジサン」を思いだした私は、
「ねえ今度ぜひおさそいしてみようよ。」という。

2001年10月21日

また、鳥の夢を見た。
今度はカラスの親子。
母さんカラスと子ガラスがなぜか私を訪ねてくるのだ。
雨に濡れたヌレガラス2羽が私の布団にもぐりこんでくるので
弱らせないよう暖めながら一緒に寝ている。
そして母さんカラスと私は、子ガラスがなかなかモノを食べないので
困ってしまう。
「カラスは悪食」というのに。
ためしに鮭の切身をあげてみたが食べない。
バラバラと濡れた羽根をたたんだ2羽をみながら
私は途方にくれている。

なんでこんな夢を見るんだろう。
ちなみに向いの家の屋根のテッペンはカラスの水飲み場らしい。
入れかわり立ちかわりやってきては
ツツツと上を向いて飲み干している。
お宅の屋根のテッペンには、どうやら窪んで雨水が
溜まっているところがあるようです、点検した方がいいですよ、と
教えてあげたいが
カラスのためにはそれもできない。
時々、ハトも来て飲んでいる。
やっぱりツツツと上を向く。

昨夜、あるコンサートに出かけた。
超メジャーな女性シンガーソングライター。
クミコさんも、これからはエンターテイメントを考えて
こういうステージを見て勉強すべきだとの厚意、助言から
もらったチケット。
ドームとか体育館とか野球場とか、
ヒトがワンワンいるのにヒトの見えないコンサートへは
めったに行かないが、仕方がない。

大がかりな装置と照明。
サーカスに似てるなぁ、それもなんとかイリュージョンってやつ。
でも実は私、人工で大がかりなモノには退屈するタチなんだけどなぁ
と心配していると、
案の定、すぐに退屈してしまった。
あの手この手の仕掛けとクルクル変わる衣裳。
中央の丸いステージで必死に跳びはねて唄う姿を
遠くから見ながら、
このヒトはきっと、あと3倍カラダが大きくなればいいなぁって
思ってるんだろうなぁと思う。
2時間がアッという間だったという友人は
私が退屈だったと聞くと沈黙した。
こういうモノをわからないヒトは、メジャーになれないというらしかった。
厚意のチケット半券をポケットでさぐりながら、
何だかとても悪いことをしたような気がした。
帰り道を黙って歩いた。

そういえば以前、招待されたロックグループのコンサートの時もそうだった。
始めから終わりまで熱狂するスタンディング状態の中、
一人放心していた。

私ってどうしてこうなんだろう。
私は私、なにが悪いと思いながらも気持ちがどんどんヘコんでいく。
急に寒くなった渋谷の街はキラキラと輝いていたけれど
私一人だけが受験に失敗した学生みたいだ。
「ヘコたれない」「勇気」なんて、日頃標語みたいにいってるくせに
起きているとツラいので、寝てしまう。

そしてカラスの夢だ。
でも今は、もしかして神サマのおぼし召しかも、と思っている。
だって、あの「セロ弾きのゴーシュ」のところにやってきたのはネズミの親子。
ちっともうまく弾けない失意のゴーシュを立ち直らせたのは
病気の子ネズミと、それを心配する母さんネズミだ。
ネズミとカラスの違いはあるものの、似てないこともないし、
なんだか少しうれしい。

だからこの次にはかわいそうな子ガラスのために
大声で唄ってやろう。
もう遅いか。

2001年10月21日

韓国料理屋に行くと、先週あったプルコギがない。
牛肉は、安全の確認をしてからでないと肉屋が卸してくれないという。
仕方がないので、豚肉のプルコギにする。

私はブタが好きだ。
部屋にはブタのおっきなポスターが貼ってある。
まだコブタらしいブタの体の下にヒトの指のようなものが見える。
おそらく抱っこしているのだろう。
ブタは飼ってみたい。
「食えちゃうもの」を飼うのはどんな気持ちなんだろう。
あの耳がね、コリコリしてて、足もね、ゼラチンが多いのよ。
ツルッと舌でむく時のね、あの感じがね。

ツルッと舌でむく感じのものは「柿」もそうだ。
固い果実の間に守られるように種がある。
それをかまないように用心深く探しだし
舌先と前歯でクルッと、まわりのヌルヌルしたものから引きはなす。
これはクセになる「歓び」にも似た感覚で、
今でも「種あり」柿しか食べないのだが
店先には「種なし」ばかりが並んでいる。
歯も舌も使えない。
「退化」してるなぁ、と思う。

平日に「高尾山」に行った。
急に思いたって出かけたので、着いたのはもう夕方。
「一日千円」と書かれた駐車場のオバサンも困ったように笑う。
オヤマに行かれるんですね。

参道の売店ももう店じまい。
リフトも終わっている。
車おいて心中しようとしてるんじゃないかって思ったんだよ、オバサンきっと。
こうして山の中に入っていって二度と出て来ない、
そんなことがありそうな気がした。
黒い大きな山はヒトをそんな気にさせる。

何年か前にも「高尾山」に行った。
明るい休日の昼間。
いろんなヒトがワンワン歩いている。
テッペンまで行ってお参りをし、
それから下りのハイキングコースのような道を入っていく
途中から誰もいない。
長い間歩いていても誰にも会わない。
私と友人の二人だけ。
ドキドキしてくる。
もしかしてソーナンってやつかなぁ。
大丈夫だよ、こうやって下りていったら必ずどこかに着くよ。

まるで冒険しているように、怖いのと、うれしいのとで、
逃げるようにピョンピョン跳んだ。
ゼーゼー走った。
やっと「ふもと」らしい所が見えた時には正直ホッとした。
よかったねぇ、よかった。

「お疲れさまー」
突然声がしてヒトがあらわれ何かを差し出した。
見ると梅干しとお茶。
ハイ、梅干しのサービスですよ。
疲労回復、健康維持にはもってこい。
どうですか、この先で売ってるんですが、
「高尾山」のお土産に、ぜひどうぞ。

キツネにつままれたように私たちは梅干しをかじった。
「お疲れさま」か。
あらかじめ仕組まれた冒険ってヤツだ。
なんだかおかしい。
梅干しを一袋買ってぶら下げた。

最終に近いケーブルカーから下を覗くとまっ黒な闇が広がっている。
「紅葉」にはまだまだだったが、暗くなってはもうどっちでもいいこと。
赤や黄色や緑も黒にはかなわない。
バラバラと降りた四、五人の乗客があちこちに散っていく。
看板を降ろした土産物屋から光がもれている。
見るとだいだい色の光の中で、オジサンやオバサンたちが木のテーヴルを囲んでいる。
ふと、あるはずもない祖母の家のような気がした。
昔のヒトと昔の空気。

リンとした山の夜気を吸いこんで思った。
そろそろ鴨鍋だなぁ。
秋はつづく。