クミコオフィシャルサイト - Kumiko Official Site

クミコ - ココロの扉をたたくウタ

クミコ日記著作権表示

2003年5月1日

「本番用のために時間を計ります。
トークから演奏終わりまで通しでお願いします、ハイ!」
と、アシスタントディレクターの青年がいった途端
大粒の雨が降り出した。

桜の木の下、ヒトはともかく、エレキピアノにあわててビニールをかける。
とりあえず、お寺の中の控え室に戻る。

函館空港から2時間余り。
八重桜が主流という松前の桜は、
二日前に開花したばかりというのに、もう七分咲きともいえる豪華さ。
NHKのテレビ中継場所である「光善寺」の「血脈(けちみゃく)桜」も
ウットリとなまめかしい。
ピアノもヒトも桜の下の土の上。
こういうのって初めてと、上條さんと二人ワクワクする。

着いてから段々と暗くなっていく空模様に危惧はしていた。
それでなくとも「雨オンナ」といわれている。
前日も含め、ここ数回降られなかった「アダムス」のライヴに
すっかり安心していたが、東京を離れればこれだ。
全く油断できない。

外で唄うか、本堂の中で唄うか、7時半までに決めますので
それまでお待ち下さい、といわれ
仕方がないので弁当を食べる。
マッサージ機もあったので、使ってみる。
ウォータープルーフのマスカラを重ねてみる。
発声を念入りにしてみる。
歌詞を朗読してみる。
何回も何回も声に出してみる。

言葉をメロディーと切り離してしゃべっていると、
言葉が少しずつ肌に馴染んでくるようで不思議だ。
気持ちが落ち着いてくるようで不思議だ。
長い不安な待ち時間が、神様からのプレゼントに思えてくる。

とりあえず透明のビニール傘を持って、ということで
8時すぎ外に出る。
雨は相変わらずバラバラと降りつづき、
ピアノはもう本堂の軒下に移動してしまっている。

土に印された立ち位置の正面には観音さま。
向こうにはお墓の影。
ライトアップ用のライトはまるで野球場のそれのようで
高い所からオレンジの光を投げている。

そうして闇の中から浮かび上がった桜は、もうこの世のものとは思えない。
いわく因縁のある伝説の桜の木だ。
うかうかしていると、こっちの「気」を吸われてしまいそう。

刻々と本番の時が迫る中、傘は使わないと決める。
傘を片手に唄うのはいやだ。
左手で表したいことはたくさんある。

コートを脱ぎ、マイクを持つ。
上から自分のカラダを見て驚いた。
太ももがビクビクけいれんして震えていて、
スカートがユラユラ揺れている。
どうやら寒さのせいだけではないらしい。
気を入れる。ふんばる。

「十、九、八…」
カウントが始まる。
遠く離れたピアノの音が足元のビニール張りされたモニターから流れ出す。
「さくら、さくら、霞か雲か」
つづいて「こころ」。
「私のこころは湖水です。どうぞ漕いでおいでなさい」
クレーンカメラが潮のように寄せたり引いたりする。
雨の中、幻のような4分半。

歌い終わった。
50人のスタッフが一斉に拍手をしてくれる。
みんなハラハラドキドキしていたのだった。
ああ、何て幸せ者。
頭を下げる。

雨がザアーッと降り出した。

2003年5月7日

いつも通る散歩道に、その研究所はあった。
ちょうど「哲学堂公園」の脇の所で、
うっそうと緑に囲まれた古い木造の建物は
どうやらクスリの研究所のようではあったが、
お茶の水博士、いやカリガリ博士のような人物が
ヒョイと出てきそうで不気味だった。

小林少年なんかも出入りしていそうでワクワクするのだが
ついに誰一人出るのも入るのも見ないまま、
こちらが引っ越しをしてしまった。
一体あそこは何だったのだろう。

パナソニックとサンウェーヴが一緒になったような名前の研究所が
世間を騒がせている。
世間の方が騒いでいるといった感じもして、
山中を移動する集団の行方をヘリコプターなどから
実況中継する映像を見たり、
「時間だぞ!」と、まるで右翼のヒトのような警察の
脅しめいた呼びかけを聞いたりするたび、
ただ寒々しい気持ちになる。

「お前ら、出てけ!」と、罵声を浴びせる見物人にいたっては
なぜかいつも「イージー・ライダー」というアメリカ映画を思い出してしまう。
流れていくヒッピーの男たちが、虫けらのように
フツーの人々に殺されるやつだ。

コトの発端だったタマちゃんはどういう訳か埼玉県に現われ、
こちらも大騒ぎだ。
初め、この地に現われた時には、
「これは間違いなくタマちゃんです」とテレビでいい切るヒトもいて、
「あの目から口にかけてのキョリ、間違いないです」といわれるものの
アザラシの目から口にかけてのキョリの違いなど、素人にわかるはずもなく、
ただ、日本は大変なクニになったと思った。
こんなことを、真顔でいってしまうヒトたちがいるのだ。

そもそもタマちゃんが悪い。
本来なら海にいるべきものなのに、川に上るなど、鮭じゃあるまいし。
この時点でタマちゃんはアザラシとして失格したのだった。
「種の保存」からいっても、こんなアザラシでは困る。
どこでどうのたれ死にしても文句はいえないのだ。

案の上、右目を釣針でひっかけ、またまた大騒ぎだ。
次から次へと実によくやってくれる、といった感じで
そのスター性には感嘆するしかない。
先の見えないあやうさこそ、スターの条件。
今度は何なのか、目が離せない。

夕べ「真夏の夜のジャズ」というDVDを見て驚いた。
ニューポートジャズフェスティバルのドキュメンタリー映画で
1958年の映像なのだが、観客がメチャクチャにカッコいい。
服の形、色づかい、帽子、アクセサリー、サングラス・・・
「今」よりカッコいい。
ファッションの進歩ってどういうことなのだろうと思った。

そういえば、ここのところくり返しテレビに映る白い集団の女教祖の
たたずまいは、
ニューポートに集まったヒトたちと、どことなく似ている。
でも、あまりに古い白黒写真なので色がわからないのが惜しい。

2003年5月15日

ここに越してきてから5ヵ月になる。
この頃、川が恋しくてならない。
以前住んでいた家の近くには「神田川遊歩道」があって、
いくら人工的に造られた道とはいえ、川はやはり川、
雨が降れば水かさが増しゴーと音をたて、
夏は水位が落ち込み、水面近くの敷石で鳥が遊んだりしていた。
ヒトの手の及ばない自然の名残りのようなものが確かにあった。
ずいぶんと癒されていたのだと思う。

このところ息苦しい。
この前の休日は最悪だった。
買物ついでに出かけたのがまずかった。
天気もいいせいか、ヒトがワンサといる。

バス停あたりで「ウンコずわり」をしている数人の男のコを見たのが
まずいけない。
何でこんな所に、という場所にタムロする男のコたちは
彼ら自身がウンコに見える。
ゲンナリする。

川が見たい。
また歩く。
目の前をヒールの折れそうなミュールでヒョコヒョコと
「テン足」のように女のコが歩いている。
そのS字型に曲がった足とカラダを見ていると
こっちの方が苦しくなってくる。

以前新宿駅で遅れてくる友人を待つ間、
ヒトの足元ばかり見ていた時のことを思い出した。
その時、ミュールって何てキタないハキモノなんだろう、と思った。

基本的には室内用であろうこのハキモノは、
外で見るとしどけなく下品だ。
ミュールが悪いのではなく、ヒトの方が悪いので、
サッサとあるけないのなら、歩けるようになるまで
コツコツとひそかに練習すべきなのだろう。

それにこんなハキモノで夜道を歩こうなど、時代錯誤もはなはだしい。
この物騒で危険な世の中、重要なのは「三十六計逃ぐるにしかず」
これに尽きる。

川が見たい。
また歩く。
サンプラザあたりにさしかかる。
急に舗道がピンク色になっている。
よく見ると「モーニング娘。」のブロマイドやTシャツが
所狭しと並べられ売られているのだった。
なぜかみんなピンク色。

道端で、けっこういい年をした男のヒトが
誰々チャンはどうでこうでと、写真を指しながら
もう一人の男のヒトにウンチクを傾けている。
なるべく見ないように通り過ぎる。

そういえば、ずいぶん前、歩いている私にオバサンたちが、
「ここってサンプラザ中野よね?」と尋ねたので、
「いいえ中野サンプラザです」というと
けげんな顔をしていたことを思い出した。

いつまで「ここ」にいるのだろう。
中野は好きな街だ。
でも、ふと「どこか」に行くことを思った。
人混みの中に山や川が浮かんだ。
爆発しそうになる。
口からあふれそうになる。
カラダが山や川を欲している。

川を見ぬまま家に引き返す途中、近くのバーのドアに張り紙があった。
「体調不良のため休店いたします」
ムッとする。
サービス業で「体調不良」と書くなんて。
客に心配させてどうするのだ。

後から思った。
あのバーの店主もホントはきっと「どこか」に行ってしまいたいんだろうなあ。

2003年5月25日

関内ホールのステージに立ってみる。
パルコ劇場の目線の範囲より、もっと上に客席がある。
やっぱり広い。
ここに座るヒトたちに私の歌が届くんだろうか。
不安になる。

数日前にのどの左側が痛くなったので用心のため点滴をうけた。
どうやらその薬がアタマの方にまわったらしい。
ずっと、とりとめなくミョーな夢ばかり見るようになった。

コンサート前日には、しばらく見なかった「飛ぶ夢」を見た。
それも、手を広げ横になって飛ぶ「スノーマン型」だ。
これまで垂直に立ったまま飛ぶ「マグリット型」しか
知らなかったので新鮮で驚いた。
風を切る、ヒューヒューする、布のようにはためく。
着地もうまくきまった。

起きると疲れている。
空を飛ぶのは夢でも現実でもタイヘンなことらしい。
桜木町までの東横線の中、
右側に熟睡する黒スーツの若いサラリーマン2人、
向かいに、本当は仲の良くなさそうな、しゃべり続けるオバサン3人。
ボーとしながら、これからすべきことを考える。

ふと「松前」に行った時のことを思い出した。
待機する旅館の部屋の窓に鳩が止まった。
今にも雨が降り出しそうな灰色の空の中、
まっ白い鳩がチョコンとやって来た。
ガラス越しにずっとこっちを見ている。

まるで梶井基次郎の「檸檬」だ。
そこに「存在」することの意味。
「存在」することの尊さ。

自分のカラダを見る。
私はこれだけなのだ。
49年近く生きてきて、今これだけなのだ。
これで伝えられることを、伝えよう。

リハーサルは暗い海を泳ぎ続けるように心もとなく
不安なまま終わった。
すがるものはコトバしかない。
ブツブツと歌詞を唱えてみる。

「ハルガユク アオイハルガ」
「春がゆく 青い春が」
「春が逝く 蒼い春が」

ドライアイスがたかれ幕が上がる。
前列のお客がハンカチで口を押さえている。

終わって楽屋に戻ると9時10分。
カラダを見る。
何も変わっていない。
ただ汗が流れているだけだ。
それと、足が痛い。
初めてはいたパンプスが赤くくいこんでいる。

けれど、やっぱりナニカは変わっているようなのだ。
サイン会のためロビーに出て、お客様を見ると何だかうれしい。
一人一人と握手して「ありがとう」というと、何だかうれしい。
きつく手を握ってしまってシマッタと思う、でもうれしい。
うれしくていとしい。

帰りの車の中、レインボーブリッジが見えた。
そういえば昨夜は、こんな橋の上から空へ飛び上がる夢を
見たのだった。

思い切ること、信じること、
「飛ぶ」ことと「唄う」ことって似てるなあ、と思った。