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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2002年2月4日

何だかこの頃わかりやすすぎて怖い。
マキコさんとムネオさんがケンカをすればムネオさんが悪い。
マキコさんをクビにすればコイズミさんの支持率はガタ落ちする。
ムネオさんの顔がいかにも「小物」らしいところもわかりやすい。
わかりやすすぎて、困る。

ちなみにムネオさんは関西の芸人さんに似ている。
一昨日、このヒトがテレビに出ているのを見ていたら、
どうも顔つきが暗かった。
テレビの音を消して見ていたせいか、語り口にだまされない
暗い影のようなものが漂っていた。
別段、ムネオさんのことが関係しているわけではあるまいが、
テレビを見ている私には、ムネオさんのことが関係しているせいか
なおさら妙な具合だ。

でも、お友達になるんだったらコイズミさんやマキコさんよりムネオさんがいいと思う。
特にお酒を飲ませてくれたり、おいしいものを食べさせてくれる時にはいいと思う。
北海道出身ということなので、大ざっぱでも気前のいい振舞い方を
してくれるに違いない。
議員の秘書という非人間的な過酷な職からのたたき上げというのだから
気にさわることさえ言わなければ、
ヨッシャ、ヨッシャと機嫌よく付き合ってくれるに違いない。
もういいですよ、いいですよというのに一番上等の寿司折なんか持たせて
黒ぬりのクルマで送ってくれるかもしれない。

こんなこというと、もう四面楚歌なのだろうが、
オトコとしてはノナカさんも好みである。
いつだったか新聞の政治欄じゃないところに
インタビュー記事が載っていた。
たしか、自分の子供時代の話を子供相手にしていたのだったが
その写真が実に良かった。(ホントは話も良かった。)
無防備な笑顔。
いつも見る、無愛想な口元をへの字に曲げたヒトとは思えない。
このギャップはうれしい。
心ひかれる。
ついでに議事堂の中にある床屋の女主人もいっていた。
心配りがとても細やかな方で。
うーむ、やはりオンナの気をひいてしまうヒトらしい。

ムネオさん、ノナカさんと続いてナンだが
この時期、フグとかアンコウとか見た目の悪いものがおいしい。
こんなもの、誰がいつ食べ始めたんだろうと思いながら
フクフクと歓んで食べる。
どちらも食卓にきれいに並べられてはいるけれど「実は」というところがある。
フグには「猛毒」、アンコウには「吊し切り」、それぞれ凄惨な過去がある。
だから余計おいしいのかもしれない。

何年か前、浅草のフグ屋に行った。
並んでいると、どうも前に知り合いがいる。
気まずいというほどではないにしろ、
お互いに気がつかない方がいいだろうと判断してすましていたら
店の中で目が合ってしまった。
ニコニコと挨拶して別段なんということもなかったが
清算をすませ外に出るとコテンと転んだ。
カチカチに氷が張っている。
油断は大敵なのだった。

初めて大阪に行った時にはフグの多さにビックリした。
あそこにもここにも、水槽に二重三重に重なっている。
もうどうでもいいやという顔をしている。
東京でも新橋あたりで安くフグを供する店が出来てきた。
やはりどうでもいいやという顔をして重なっている。

そこへいくと新宿の、もうちょっと高そうなフグ屋のフグは顔つきが違う。
目も生き生きしているし、身のこなしも早い。
新橋のフグと新宿のフグの顔の違いを、友人が見せてくれる。
頼むとフナとコイの違いも見せてくれる。
感心しながらそれらを見ていると、
魚というのはつくづくヒトに似ているものだと思う。
ヒトが魚に似ているのか。

進化論的にいえば当たり前といえないこともないけれど、
国会中継など、また音を消して見ていると驚く。
活きのいい魚や、死にそうな魚が様々に行ったり来たり。
ただ口をパクパクさせているように見えてしまうのだ。

2002年2月12日

これからみんなで「鬼ごっこ」をしようと玄関で靴をはいていた時だった。
ふと、私って誰だっけと思った。
「サイトウクミコ」って名前は私の名前だけど
でもその「サイトウクミコ」って何だろう。
一瞬、体のまわりに静かで動かないバリアのようなものが
できたみたいだった。
急に不安になって、でも勢いよくみんなの待つ原っぱへ駆け出した。
小学校一年か二年の時のことだ。

あの奇妙な感覚は忘れることができない。
その頃はまだ自分が自分にうまくなじんでいなかったせいか、
一挙手一投足をいちいち親に報告していた時期でもあった。
今ね、足あげたの。今ね片手をついたの。

なんでこんなことを思い出したかというとテレビのコマーシャルだ。
「違いがわかるオトコの・・・」というやつを見ていてアレ?と思った。
顔が見えない。
まるで金色に輝くようなガウディの建築物は見えるのに
主人公のオトコのヒトが見えない。
コーヒーを飲む横顔は映るが、顔全体は映らない。
その横顔はまるでヒゲをはやした友人のようで一層イライラする。

どうやらこのヒトは、普通CM出演の目的とされる「顔を売る」ために
出て来たのではないらしい。
どういう事情や思わくがあるのかもしれないが
「顔ははっきりさせない、建て物はしっかり映す。
名前は知られてしまいましたが、顔は知られたくないんです。」
そんなメッセージが聞こえるようだ。

そういえば、大学の頃よく読んだ「上村一夫」の劇画のワンシーン。
うろ覚えだが、たしか快楽に身を持ち崩し、しどけなく横たわる
オンナのヒトの肌に、名前が書かれた紙をまるで名札のように貼って
少女がつぶやく。
「名前を知られるって、恥かしいことよ。」
あられもないオンナのヒトの体を見下ろし静かに冷たい目で
いうのだった。

最近恵比寿で観た「インティマシー」という映画は
名前も知らないオトコとオンナがアパートの一室で体を重ね合う
ところから始まる。
そこまでの一切の説明はない。
ただやって来るオンナ、それももう若くない生活に疲れたようなオンナを
やはり人生の傷のいえない疲れたオトコが迎え入れ抱き合う。
言葉もなく肌を重ね合う二人はたしかに親密(インティマシー)なのだ。
ところがオトコはオンナを知りたくなってしまう。
後をつけオンナの生活を知ってしまう。
もちろん名前も。
オンナの名前をオトコがつぶやいた時から崩壊が始まる。

「サイトウクミコ」にはとうとうずっとなじめなかった。
自己紹介の時はいつも恥かしく口ごもった。
結婚して「タカハシクミコ」になった時はホントにうれしかった。
堂々と名前をいえるようになった。
名前がヒトゴトになった。
ヒトゴトなら恥かしいことはないのだった。
ただ、タカハシは安心だったがクミコは不安だった。
クミコは私だから逃れようがなかった。

そしてとうとう「クミコ」だけになった。
ステージなどではどうしても「クミコです。」といわなければならない。
どうなることかと思っていたら全く平気だった。
「クミコ」もヒトゴトになっていたのだった。

2002年2月19日

ここ10日間ばかり、ちょっとした必要があって女性作家の本ばかり読んでいた。
オトコとオンナのことはつくづく大変なことであるなあと、
1冊2冊だったらまだしも、2日に3、4冊のペースになってくるともうダメだ。
一昨日あたりからココロとカラダが本を拒否しはじめた。
昼日中でもどんどん暗い気持ちになっていく。
別に女性作家の本が悪いわけでもなく、
ただ一度にたくさんの虚構世界に入りこんでしまったせいだと思う。

その間音楽からはまったく離れていたので、というより
音楽のことなどすっかり忘れていたので
久々に発声をした時にはセキこんでしまった。
文学モードから音楽モードへ変換しないとと焦る。
グズグズグズグズと誰かに引っぱられるように唄っていると
あたしって何で唄ってんだろうと思う。
イカン、イカン、また文学モードに入っている。

気分転換にテレビをつけると、銀メダルから金メダルに変わった
カナダのフィギュアスケートペアが映っている。
開会式でのおごそかな「審判宣誓」の場面が思いだされる。
やっぱりね、と思う。
「誓うこと」の無意味さを思う。
大体「誓う」ことはおごそかな場面でされるものだが
破られてしまった「誓い」の行く末は誰も口にしない。

「誓い」といえば、身近なところでは何といっても結婚式。
私も結婚の時は「誓い」をした。
自分達で企てた式だったので「誓い」も自分達で書き、
参列者の前で「人前式」の形で読んだ。
何年か後、その結婚が終わった時、「人前の誓い」はダメだと
ヒトにいわれた。
神サマとか仏サマに対してじゃないからダメなんだという。
人智を越えたものに誓わないと意味がないらしい。
だけど正しい手続きの「誓い」でも破られたものは山ほどある。
神サマや仏サマを裏切らなかっただけマシかもしれない。
その時の参列者に「スミマセン、破りました。」と詫びるだけですむ。
跡形も残らない。

火傷という跡形が残ったことはある。
友人の結婚式でのことだった。
スピーチをしている私に酔ったビデオカメラが突進してきて、
ノースリーブの左上腕部にそのフラッシュライトがジッという感じで当たった。
見るとぽっかり穴があいている。
ライトの形そのままだ。
ひたすら氷を当てて、傷みに耐えた。
その結婚はすぐに破局を迎え、何事もなかったかのように
友人は二度目の結婚をした。
私の火傷跡だけがなめらかな突起物となってそのまま残った。

今朝、福岡にいるその友人からしばらくぶりに電話があった。
小学生になった彼の息子は今折り紙に夢中だという。
それもメチャメチャに高度なやつらしい。
ゴジラなんかも作って、「お父さん165手目はどう折るの?」と
聞かれて困ってしまうと笑っている。
子煩悩なヒトなので「もう一人ぐらいコドモつくらないの」と聞くと
急に声が暗くなった。

オトコとオンナはむずかしいね、思うようにはいかない。
平面から立体になる折り紙のように
あるいは筋立てされた小説のように、人生の先は読めないし、
全体も見えないらしい。

2002年2月26日

思い立って中野税務署に出かける。
行く途中50mくらい前を4,5人の高校生が歩いている。
突然立ち止まった。
「プスーッ」と張りのある音がする。
「いい音したね。」といいながら立ち去った彼らのあとを見ると
自転車が一台。
パンクしている。
何かで突き刺したらしい。
悪びれる様子もなく、また淡々と歩いていく後ろ姿を見ながら
自分の小さい頃の「いたずら」を思い出した。
とっとっとと他人の玄関にかけていってベルを押して
またとっとっとと走り去る。
キャーキャーいいながらドキドキしながら逃げる。
少年たちの静かな「いたずら」とは比べようもない。

静かな悪意に気が塞ぎながら税務署に着く。
この手の場所にありがちな横柄な態度のオジサンが
入口でオバサンに声高の説明をしている。
オバサンはよくわからないらしく、何度か聞き直していたが
結局あきらめたらしく立ち去った。

用紙を受け取ってぶらぶらとブロードウェイを歩いていると
チョンと肩に誰かの手が触れた。
見るとさっきのオバサン。
困ってしまっているという。
よくわからないという。

さっき税務署にいかれましたよねえ。
あの、食事代なんていうのは経費なんでしょうか。
私は、店をやってて青色申告してたんですが、息子が。
息子に頼まれて、聞いてこいと。
息子は破産しちゃって、一日も休めないんですよ。
一日休むと、ほらお給料が引かれちゃうでしょ。
だけど私には全然わからなくて。
あなたみたいな若い方ならきっとわかると思って。
たまたま、こちらの方に歩いてこられたので
声をかけてしまったんですよ。
ごめんなさいね。
もうどうしていいか。

話している途中から目に涙があふれている。
オバサンはよく見るともうオバアサンといった方がいいヒトなのだった。
まったく頼りにならない私はひたすら恐縮して、
自分の職種のことしかわからないとあやまる。
でも、とにかく聞くことにする。
このヒトは何も期待していない。
聞くだけでいいのかもしれない。
何でもいい、誰でもいい、とにかくヒトに話してしまいたいんだろう。

しばらくそうして話していたオバアサンは、やがて気を取り直したように
「どうもすみませんでした。」と頭を下げる。
私も「お気をつけて」といいかけて、これは違う、
「どうかがんばって下さい」といい直すが、
これも合っているのかどうかわからない。
気持ちが言葉にならない。
ただ頭を下げて、静かな小さな後ろ姿を見送る。

胸に熱い塊のようなものを感じながら帰る。
入り組んだ路地にさしかかった。
そこここに「この辺は空き巣が多いので注意」と貼り紙がある。
ふと10m位前を歩くオジサンが、やけにうしろを気にしているのに気づく。
春風に乗ってちょっと異臭がする。
ベッタリとした真っ黒な髪のあたりの匂いなのだろうか。
すぐ振り返るオジサンと目が合わないようにしながら、
はたしてこのヒトは空き巣なのだろうかと考えた。
確かに怪しいオジサンではあるけれど、
怪しいオジサンには怪しいオジサンの人生があるのだろう。
なんだか切なくなって、急ぎ足でオジサンを追い越す。
ずんずん歩く。
歩きながら、少年たちや、オバアサンや、オジサンや自分のことを考える。
こんな世の中で私がすべきこと、できることを考える。

そして思った。
特別に何の役にも立ちそうもない私にできることは唄うことくらいだ。
それも「勇気」の歌、ちょっと照れてしまいそうだけれど
聴いてくれたヒトに最後に「明日を生きる勇気」を
感じてもらえる歌。
もし私に生きていてちょっとでも役目があるとしたら
このことなんだな。
宮沢賢治の物語に出てくる、ちっぽけな小鳥のように思った。