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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2001年2月5日

交差点で立ち止まると
後ろから、小さな女の子らしい声がきこえてきた。
ちょうど私の肩のあたり。

アシタがある、アシタがある、アシタがあーるーさー。

びっくりして振り向くと、
お母さんにオンブされた子供が唄っている。
まだ、2、3才といったところか。
この歌は最近コマーシャルでも流れているが、
2、3才の子供が口ずさんでいるのが、
イマドキの歌じゃないことに驚いた。

おばちゃんも知ってるよ、その歌。
ほんとはね、唄えるの。
だって、おばちゃんのちっちゃい時に、ハヤった歌だもの。

この歌を唄った九ちゃんは、
明日のない飛行機に乗った。

暑い夏の夜、
飛行機が落ちたらしいと誰かがいった。

ピアノの弾き語りをしている頃。
ピアノを弾く以外は、
レジの壁に寄りかかって外を見ていた。
毎晩ボーっと外を見ていた。

でもその晩は思い出すことができる。
店の黒いピアノも、赤い壁も。
忘れられない、暑い暑い夜。

弾き語りの店は日本橋のステーキ屋だった。
ある晩、またボーっと外を見ていると、
大きなトラックが止まった。

牛を乗せている。何頭も。
処理場に運ぶ途中らしい。
運転手の何かの都合で、牛を乗せたトラックは
しばらく店の前に止まっている。

店を飛び出した私は、牛を見上げた。
どっかから都会に来たおっきな牛たち。
鼻をヒクヒクさせたり、
まんまるい目をキョロキョロさせたり。

ああ、つらいなあ。
こんなことってつらいなあ。
ステーキ屋の前の牛なんて。
まるで笑い話みたいじゃないか。

ガタンと車が揺れて、中の牛も揺れて
トラックはどこかに走り去った。
これも忘れられない夜。

本当に、牛だって、ヒトだって、先のことはわからない。
明日がある、明日があると唄いながら
明日なんて、本当に来るんだろうかと時々思う。
明日なんて来ないよ、と思う時もある。
そういう時の方が多かったかもしれない。

でもこの歌がステキなのは、
主人公が決してクジケないこと。
何回も何回も、バカみたいに失敗しながら、
また、チャンスがあるって思うってこと。
やり直せる明日が、きっと来るって、信じてること。

そう、明日こそ。私だって。

2001年2月12日

昨年、オペラファン羨望の「ミラノ・スカラ座」を観に行き、
一幕全部を寝てしまってから、
猫に小判、豚に真珠、クミコにオペラと
いわれるようになった。

その不名誉を挽回すべく、昨日またオペラに行く。
こんな私を誘ってくれる人々のご厚情には
お礼の言葉もない。

ヴェルディの「リゴレット」
筋書きのレクチュアも受け、万全の態勢。
わからないながらも、さすがイタリア人のゲスト三人はすごい。
日本人のメゾソプラノを加え四重唱になると、
彼女だけがクチパクにみえる。
声が届かない。

ストラヴィンスキーの「兵士の物語」を観てきた
上條さんと落ち合い、その旨を話すと、
言下に「そのヒト、下手なのよ」という。

そうか、下手なオペラ歌手もいるんだと、
まずいラーメン屋だってつぶれないことに
思いをはせ、納得する。

このオペラには有名な曲がある。
日本語で「風の中の羽根のように…」
で始まる「女心の歌」
スケベな公爵が、それこそ羽根のように唄う。

昔、田谷力三というヒトが、よくこれを唄っていた。
キンキンのテノールで、声を出すことが健康法といい
事実、長生きをした。
長生きをして、やはり羽根のように唄った。

今朝、新聞を見たら
「老人の芸」に若者がつめかけているという。
舞踏家、落語家、指揮者…
テレビをつけると、フジ子・へミングのドキュメンタリー。
「私は私にしか出せない音を出すのよ」といって
いかつい太い指で鍵盤をたたく。

ずっと前のこと。
去年だかに亡くなった女性歌手の伴奏者に
ピアノを弾いてもらう機会があった。
リズムがどんどん遅くなっていく。
インテンポが崩れていく。
そのヒトは終演後、小娘のような私に
「すみません」といった。

後日、テレビで、その女性歌手と伴奏者の演奏を聞いた。
かなりのトシになっているそのヒトは、
ピアノにもたれかかるように唄っていた。
一小節がどんどん遅くなっていく。

だから、ピアノが狂っちゃうんだよ。
大体、一小節が伸びちゃうなんて、音楽じゃないよ。
若いヒトにバカにされちゃうよ。
その時は、そう思った。

いいじゃないか、そんなこと。
今は思う。
小節が伸びて何が悪い。
テンポが一定なんて誰が決めた。
「老人」には「老人の法則」があっていい。
「老人」には「老人の芸」がある。

結局、一睡もすることなく、無事オペラは終わった。
コビトの役ってあるのかなあと、オペラグラスを覗くと、
ただ背の低い日本の男のヒトだった、というような
違和感はあったものの、なかなか面白かった。

登場人物では何といっても「公爵」。
このスケベな公爵は、自分のせいで
まわりに様々な悲劇が起きているのも知らず、
ただスケベなまま、ノーテンキに歌など唄っているのだ。
多分、死ぬまで。
羽根のように。

まったく、人生において、示唆されることの多い、
ためになるオペラ鑑賞ではありました。
ウン。

2001年2月19日

知人の関係で、「新宿ピカデリー」という
映画館のチケットをもらうことが多い。
広い映画館なので、お客が少ない時は
一列全部自分だけということになる。
今日も、ぼんやり一人座っていた。
早く着きすぎたので、余計なことを思い出す。

そうだ、生まれてはじめてチカンに会ったのは
映画館だった!

ザ・タイガースの初主演映画「世界はぼくらを待っている」。
題名からして、キャーキャー少女たちが寄せ集まりそう。
寄せ集まって、寄せ集まって、ビッシリと。
私は通路に身動きとれず立ったまま。

途中、おしりが生あったかい。
あったかいものが動いている。
それがヒトの手だと気づいた時には体が硬直した。
ショックで声も出ない。
もちろん、チカンの顔など見ることもできない。

ミニスカートの少女には、つらいアイドル映画体験だった。

一人で映画に行くのがすきだったので
その後もチカンには出会いつづけた。

どこからともなくやって来て、隣に座る。
コートを膝にかける。
手がのびる。
あるいは、不自然に体を寄せる。
手がのびる。

あまりに芸のないやり方に、時々はわざとジラしたりして
チカン遊びなるものまでやったが、
そんなことをしていると、肝心の映画に集中できなくなるので
困る。

持っていたカバンをすぐさまバンと席と席との間に立てる。
水門を閉じるように。
望みを絶たれたチカンは、やがて別の獲物へと去る。

こういう映画館は、いわゆる名画座というやつで
二本立てか、三本立てで安い。
おそらく会社員であろうチカンも、仕事の合間
喫茶店でヒマつぶしをするようにここにやって来るのだろう。

ヒマな女子学生とヒマな会社員のチカンが、
昼日中、暗闇で攻防戦をしているというのも、おかしい。

暗闇といえば夜の公園。
ベンチでイチャイチャしていて、ふと自分の体を見て驚いた。
手が一本多い。
あわてて、うしろをふり向くと、
チカンがベンチごしに隠れるようにして手を回している。
連れのオトコにその場を任せ、警察署に走る。
走って走って心臓がバコバコしている。

日比谷公園に行くと、今もそのベンチがあるので恥ずかしい。
時は移り、ヒトは変われど、
やっていることは、きっと変わんないんだろう。

チカンともどもヒトのいとしさ。

もうすぐ春。桜が咲く。
オトコもオンナも“花”の時には“花”のことなんか
気にかけない。

桜に「無常」を思うようじゃ、
チカンも寄ってこないなあ、もう。

2001年2月26日

飛ぶユメをしばらく見ない、なんて
本のタイトルのようなことを思っていたら、
しばらくぶりに飛ぶユメを見た。

地面に向かって、足裏に力をこめピョンと飛び上がると
ヒョイと上に上がっていく。
どんどん、どんどん空に上がっていく。

この「足ピョン」の感じが、いつもあまりリアルなので
現実でもやってみるが、やはり飛べない。
ユメの中でも、半信半疑なのに飛べるので
なおさらがっかりする。

昨夜、飛んだ時は、川に流されているみたいに
ヒョイヒョイと一定の方向に飛んでいってしまった。
なぜだろうと思ってクルリと向きを変えると
これまでになく、ものすごい風が吹いている。

逆に行きたいと、がんばってみるが歯が立たない。
仕方がないので、流されてしまうことにする。
ユメの中でも、流されていくときは少し怖い。
どこへ行くのか、不安になる。

空を飛ぶユメを見た翌朝は、体が酔ったように熱い。
不思議と、体から血があふれている時期と重なる。
そんな時は、生き物の実感がしてうれしい。
満月に変身する狼男みたいに血が騒ぐ。

先日、大阪へ行った。
三月のコンサートのためのキャンペーン。
はじめての「のぞみ」。
東京から大阪の二時間半は、
ちょっと長い映画を見ているくらい。
大都会から大都会へ、時間は速くなっても
体と心が窮屈で苦しい。

最初に訪ねた新聞社のビルが
川の脇に建っている。
おそらく何十年も変わらない橋を見てホッとする。
息をつく。

東京でも、月島から勝鬨橋をわたって銀座へ出ると
気持ちがいい。
羽をそろえる鳥や、打ち上げられた魚や
天ぷらの匂いを残して走る屋形船なんかを
橋の上からボーッと眺める。
風を一杯吸い込んで、地続きの都会に備える。

大阪の次の取材は、英国風高級ホテルで。
重厚そのもののインテリアの中、突然弱い振動が。
地震かと思ってホテルのヒトに聞くと、
下を通っている地下鉄のせいだという。
りっぱな床が、急にこころもとなくなる。

だいぶ前、東京大地震のうわさが立った頃
本気で空を飛びたいと思った。
グラッと来たら、体が浮けばいい。
揺れている間、空に漂っていればいいのだ。

私の空の飛び方は水平ではない。
マグリットの絵のように立ったまま。

鳥にもなれず、糸の切れたアドバルーンみたいなところが、
妙に似合っている気がする。