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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2000年8月2日

MCには悩まされつづけてきた。
MC、つまり、ステージ上でのオシャベリのことだが、
まあ、そのヒトとなりがわかるとされる部分。
そのヒトとなりでいえば、私は「ワケがわからない」らしく
つい、先だっての「スーパーモーニング」でも「何いってんだか、わからない」
らしかった。

「銀巴里」というシャンソニエに出ていた頃、
新人の私は、ただ唄うだけでもひっくり返りそうに緊張していたのに、
他の歌手の紹介もしなければならず、毎回、終わると泥酔した。
(別段、泥酔する必要はないのだが。)
先輩歌手の名前をまちがえたり、忘れたりするのは勿論、
ある時は「昔キレイだった○○さん」といってしまった。
ワルギはないので困った。
バンドメンバーの紹介を一回もしなかったのは、
銀巴里史上きっと私一人だったろう。
自慢にもならない。

永六輔さんには、わざわざジァンジァンの彼のステージに呼ばれた。
「せっかくのいい歌をおしゃべりが台無しにする」という例。
たしかに、その頃の私のMCは、今よりもっとヒドかったらしく
敬愛する歌手の追悼コンサートでも「死んだ、死んだ」といっていて
「亡くなった」というべきだと後で知った。

いろいろ気をつけて、かなり良くなったと思ってはいるのだが、
先週のレコード会社のコンベンションでは
「クミコさんのMCは社内で、反感を持つヒトもいますねえ。」
といわれる始末。

ところが、よくしたもので、そんな私のMCがスキというヒトも多く、
それだから、よけい困ってしまう。
メチャクチャだったといわれる、その昔から、
あれが良かったというヒトもいるのだから、訳がわからない。

本当はしゃべりたくなんかないのだ。
唄うだけで精一杯なんだから。
時々、「しゃべる自閉症」じゃないかと思う。
おしよせる蚊の大群から、ワラワラと体をゆすって、
さされまいとするみたいに。
とりあえず、コトバをたくさん出して、その場を逃れようとする。
ただひとつ、確かなのは、その時その時思ったままをしゃべっていること。
MCも新鮮さがイノチかなあ。
でも、こんな歌い手はプロとはいわれない。
一生なれない気がする。どうしようと思う。

ああ、グチった。サッパリした。でかけよう。

2000年8月10日

去年の1月新宿でフグを食べていた私たち。東芝の仙波さん、
うちの支配人、そして私。頭つき合わせて。

さぁ困りましたねぇ。このまま高橋さん、唄ってても。
新しいCD、つくらなきゃ、と思うんですけど、
前のが売れませんでしたからねぇ。
すごく、いいもんなんですけどね。
いいったって、顔も名前も知らないヒトのCDを
買うヒトなんているんでしょうか。
ホンと、困りましたねぇ。

プロデューサーに「松本隆」さんはどうでしょう。
え? マツモトタカシ?
むりですよー。全然。
でもまぁ、CD送るだけ送ってみて。

2月、「会ってみてもいい」ということで、松本さんの事務所へ。緊張。
窓際のテーヴルに案内されると、左側からヌッと黒い影。
ア、このヒトが、あの「松本隆」?!

3月、れいの「さくらんぼ」へ、
マネージャーの美緒さんと聴きにきてくれる。
歌も気持ちも、ものすごく「ていねい」になっている。
ヘンないい方だけれど。
言葉が唄うそばからポコポコ自分にはね返ってく。
その時、もうそれは言葉じゃない。
こんな日に、こんな経験。
一生、忘れないだろうと思う。

そして今年。3月にデモテープ録り、
4月1日、最初の録音。うそでしょう、風邪なんか。
アタマもココロもボンヤリしている。どうにもならない。
「鳥の歌」を録る。
薄い布の向こうに、必死で目をこらして
飛び立とうとしているような気持ち。
もしかしたら、すぐ落ちてしまうような鳥。
そういう「鳥の歌」

7月21日「心の指紋」で全曲録音終了。
8月3日トラックダウン最終日。
円いテーヴルで、
買ってきたお惣菜をつつき合いながら、みんなで食べる。
「同じ釜の飯を食う」という言葉がうかぶ。
はずかしいので口に出さない。

きのう9日 マスタリング終了。
エイプリルフールに始まり、長崎原爆記念日でおわる。
カンケ-ないか。

いくつも壁にぶつかって、そのたび、何とかきりぬけてきたと、
松本さんがいう。
その通りだと思う。
クミコさんがキレて
「そんならアンタ唄ってみせてよ」と慶一さんに
迫ったと、また松本さんがいう。
それは、違うとあわてる。

皆さんいろいろご迷惑をおかけしました。
そして本当にありがとう。
この場をかりまして。

松本さん、慶一さん、赤川さん、仙波さん。
それぞれのスタッフの方たち。
それから私のスタッフ。
そして、そして、「茶目子劇場」や「風待茶房」に来て
私をはげましてくださった皆さん。
ホントに ありがとう。

9月20日「AURA」は出ます。
とっても、いいよ。

2000年8月14日

「太陽がいっぱい」と同じ原作のアメリカ映画「リプリー」を
新宿で観た帰り、スーパーによった。
8時近い店内は、お盆のせいかぼどほどの混み具合い。
まどろっこしい規則だが、このスーパーは袋のまん中を
テープで止めることになっている。

「ビリーッ!」と、私が並んだレジの女のコがテープを切った。
失敗して長—く切った。
ヨレて切った。
それをピタリと強引に袋にくっつけた。
思わず、前の客の顔を見た。
「アレアレ」というかんじ。

次は私の番。
やっぱり失敗した。
失敗をくり返すタイプらしい。
反省しているふうもない。
こんなコやとったら、経費かかるなあ、と店の経営者に
同情したが、ここの惣菜はワザととしか思えないほど
マズいので仕方ないかと、ヘンな納得をする。

そのレジ女が、おつりを出そうと私に背を向けた時、
アレ?と思った。
黒いボブのえり足にモヤモヤと白いものが見える。
ようく見ると、どうやら髪の毛らしい。
なんと、このコはヤマンバギャルだったのだ!
このボブはレジ用で、きっと仕事がおわると、
さっさとウィッグ(かつらとはいわない)をはずし、
目と口を白くして変身するのだ。

ガングロ、ヤマンバギャルにもちがう顔があるんだなあと、
ザツだけど、妙にテキパキこなす彼女の手から
おつりをうけとった。

そういえば、さっき見たトム・リプリーだって、
ちがう顔になろうとしていた。
「太陽がいっぱい」の方では、最後に捕まったからいいようなものの
この「リプリー」では捕まらないぶん地獄だ。
彼はどちらの顔が本当だかわからなくなりながら、
この先、ヒトを殺していくしかないんだろう。
破滅しかない未来に向かって。

「後味悪いなあ」と、後ろの客が連れの女性にいった。
私もおんなじことを思っていたのでおかしかった。
「アトアジワルイナア」

レジの女のコは、黒いボブをとって白い髪になって、黒いお化粧をして
それからどうするんだろう。
一人、自分の部屋に戻った時、どんな顔をしてるんだろう。
どんな顔で眠るんだろう。
この女のコって、ホントは誰なんだろう。

ウーン、やっぱりまずい。このエビチリ。

2000年8月23日

ひまわりが見たかった。
10月まで咲いているという、畑一面の小ぶりなひまわりが見たかった。
たしか「美瑛」というところだ。

サッポロビール園では赤レンガの建物の中で、
念願のジンギスカンとビール。
小樽では、裕次郎記念館はパスしたものの、
ホッキ貝のおいしさに舌をまいた。
とうきびも、トマトも、じゃが芋も、スイカも、
ワサワサと食べつづけた。

道産子の上條さん夫婦と、友だちのナルちゃん。
みんなが、私のささやかな「北海道のユメ」の手助けをしてくれた。

ささやかなユメほど迷惑なものはない。

車のナビを頼りに富良野あたりに来た頃には、もう後悔していた。
あるはずのラベンダーが、ない。
パッチワークの丘も、ない。
ガソリンスタンドのおじさん、
「ああ、もうおわっちゃったよ。次は9月下旬かなあ。」

気落ちしたまま車を走らせると急に、赤、紫、白、の畑。
車から降りてしばしカンドーしているが、
売店の女のコ「あれ?あれは青サルビアです。」

もういい。青サルビアだってラベンダーになる。
しかし今ひとつ、しっくりこないまま、ラベンダー畑を立ち去る。

いやな予感はしていた。
美瑛に入ってからも風景に何の変化もない。
駅前の観光センターの「この辺りにちょっとは」という地図を片手に。
どこまでいっても黄色い畑など見えない。
バイクからおりて写真を撮っている、
カメラマンらしい若い男性にきいてみる。
「この辺りにひまわりは見ませんでしたね。」と気の毒そうに私を見る。

ちょっと、ちょっと、あんたたちが撮ったきれいな写真のおかげで
アタシはここまで来たんだからね。
木だって、丘だって、空だって、畑だって、
あんなにきれいに撮ってたでしょ。
責任とってよ。
と訳のわからない、いいがかりをつけそうになるが、
好みのハンサムなのでやめる。

仕方がないので「ケンとメリーの木」という、
もう30年近く前の名所へいく。
1本そびえたつ木のそばに、
なんとボロボロのひまわりが100本あるかないか。
みんなが、一緒の方向に向いてるどころか、
しなだれて、種がこぼれた、お化けひまわり。

また売店のヒト
「ひまわりなんて、農家には何の商売にもなんないんですよ。
観光客が見に来たって、それだけでお金にもなんないし、
テレビのヒトが来て、うつしてったって50度のテレカ1枚くれるだけだから。
まあ、うちは、こうして店やってるから少しはいいけど。」

まぼろしのひまわり。
「遠いからお前が好きだ」という高野圭吾さん
(シャンソン歌手で、あの「幽霊」の作詞者)の名文句までうかぶ。
ああ、ユメはユメのままか。

今朝、思いだして、
「北の丘はドラマチック」と副題のついた写真集を広げてみた。
見渡すかぎりのひまわり畑のキャプションに「西神楽」

「美瑛」じゃなかった。

2000年8月31日

きのうは、TR(トップランナー)のリハーサル。
人前で唄うのは、今月4日の「さくらんぼ」以来。
緊張する。
NHKの102スタは、本番と同じところ。
おっきな倉庫みたいで、ますます緊張する。

今回はじめて唄う曲が2曲。
「かくれんぼ」と「ガラスの林檎」
「ガラスの林檎」を「ガラリン」と略したら、
松本さんが、泣いた。
スミマセン。

バンドで唄うのも久しぶり。
慶一さん、博文さん、かしぶちさん、
ダリエさん、土屋さん、上條さんという豪華メンバー。

生番組ではないから、録り直しがきくというものの、どうも不安。
「銀幕の雨」にいたっては、今だに「復員兵」が「召集兵」に
変身しそうになる。
「情熱」でさえ、
「ホーム」は「レール」に変わり、死にそうになる。
一つ一つの物語が、とどこおりなく無事終わることを祈るのみ。

この頃「接吻」は幸せの唄という気がしている。
不幸せをつきぬけた幸せとでもいおうか。
それに比べ「ガラリン」(あ、また!)は
幸せの中の不幸。
もろいエロティシズム。

ああ、「うた」って深いなあ。
つくづく思う。
深いことにかかわると、自分も深くなれるようで、うれしい。
心のヒダを一枚一枚、あけていくような面白さ。
こんなことも、こんなことも、そう、こんなことだって。

ずっと生きてるって、いいことだなあ、と思う。
心の持ち札がふえていくような。
老人の、年を重ねても、
なお発見があるというのがうなずける。
ステキ。

帰り道、支配人の車に乗り込んだとたん、私の声。
「AURA」をカーステで聞いてしまう。
ウーン、カラオケで歌える曲って、ないなあ。
「接吻」だって、音がすごくとんでて、むずかしいんだよねえ。
そうなの、実はあれはとってもむずかしいの。

でもむずかしくない曲ってなかったなあ、と思う。
それから、そのむずかしい曲ばかりのコンサートのことを思う。
心臓がバコバコする。
ヘトヘトになる。
ボーゼンとする。

でもまあ、とりあえず目の前のハードルを
一つ一つクリアーしていくこと。
長い、長い、パン食い競争をしてると思えばいい。
でももしかしたら、そのパンって、
自分の頭につけられた長い棒の先に
ぶら下がってたりして…。

そうそう、私の座右の銘は「ヘコタレナイ」でした。