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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2002年11月5日

「空虚」ってどんなカタチをしているんだろう。
先週見た「OUT」という映画の中で
「アンタの夢はナニ?」と聞かれた原田美枝子扮する主人公が
その瞬間呆然とたたずみ、
「ナイ。なにもナイ」と答えた。
彼女はその時「空虚」を見ていた。
私の背筋もひんやりして、目の奥がジンとした。

「わが麗しき恋物語」の歌詞に「いなくなるの?あなた」
というところがある。
ここに来ると唄っていてもポッカリ「空虚」が見える。
あるはずのものが、あったはずのものがなくなる。
あるものは当たり前のように、いつもそこにあるのだけれど
一旦なくなってしまうと、そこの場所は
ブラックホールのようにどこまでも収めようがない。

連休のはじめの日、久しぶりに墓参りに出かけた。
父親が何年も前に、自分たちが入ろうと思って買った墓地には
ジャリが敷きつめられ、隅っこに枯れた花が縮んでいた。
父母の故郷、水戸でもはずれにあるこの土地には、
赤とんぼがワンワン飛んでいて、
除草剤をまく陽の当たったヒトの背中にポチンと止まったりする。
コツンコツンとどんぐりも落ちてきて
見るとおっきな木がかぶさるように揺れている。

空気は荒い。
排気ガスやビルの谷間で、よどんで飼い馴らされた
東京の空気とは全然違う。
「こんなとこ入んのかなあ」
あまりの遠さに心細くなってきたらしい父親の気持ちも揺れている。
「大丈夫、骨壷、私のとこに置いといてあげるから。
2つ並べて毎朝話しかけてあげるから。
お墓なんかいらないよ。」
緑の木や黄色い木の間に秋の青空が見える。
ポッカンとぬけている。

市内に入り、母親の家のお寺と父親の家のお寺を詣でる。
「お寺で走っちゃダメ。
転ぶと片袖置いてかなきゃなんないからね」と
注意されたのはいつだったか。
そんな、あぶなっかしい飛び石も今はなく、
すっかり整備された通路が平らにズーッと続く。

帰り際、真新しくなったお寺の石門を見ていた父親が首をかしげた。
「あれ、ここ浄土宗って書いてある。
たしか天台宗だったはずだがなあ。」
どうやらお寺の宗派も時と共に変わってしまったらしい。
「きっと後を継いでくれるお坊さんがいなくて、
浄土宗のヒトが養子になっちゃったんだよ。
でも何だっていいんじゃない、お墓の中に入れば。」
そんなものかなあ、と思ったが、そんなもののような気がする。

「お墓の中に入っている骨壷の骨も、
長い間には隙間から入る雨でだんだん溶けていってしまうんですよ。」
以前、葬儀屋のおにいさんがいっていた。
壷は残っても骨はない。

お寺の脇におっきなマンションが建っていて
四角く割られた空がやっぱりポッカンとしている。
木は時々サワサワと揺れる。

「OUT」の主人公は最後に、北海道からアラスカに渡って
オーロラを見ることを夢として車を飛ばす。
オーロラを見ること、オーロラを見ると思うことで
飲み込まれそうな「空虚」から逃れようとする。

大写しになった北海道の空にオーロラの合成映像がかぶさる。
オーロラの消えた後の長く暗い空と秋の青空が重なった。
クウキョって「空」の字がついてるんだなあと思った。

2002年11月13日

地下鉄の駅へと歩いていると、前に4人の男があらわれた。
後ろの2人の間にヒモのようなものが見える。
よく見ると、そのヒモはその前の、ジャンパー姿の男の胴に
つながっている。
ジャンパー男の両手は前に。

あ、これが「刑事による犯人連行の場」というやつだと
にわかに緊張する。
急いでいるので、黙々と歩く4人を追い越す。
ジャンパー男は鼻歌を唄っている。
手錠という証明付きの「ワルイヒト」を見るのははじめてだ。

手錠のない「ワルイヒト」というのは世の中にたくさんいるのだろうけど、
最近のニュースでは、朝鮮学校の子供にいやがらせをするヒト
なんていうのも、もちろんそうだし、
刑務所の中で、受刑者をいたぶるヒトもそうだし、
あるいは、あまりな「善意」の押し出しすぎで迷惑なヒト
というのも、見ようによっては「ワルイヒト」というのは酷か。

美智子さんの「正田邸取り壊し騒ぎ」なんかは
冷静になればなるほどミョーだ。
まず思うのは、自分たちのプライベートな家を
他人に見られることを好むヒトがいるだろうかということだ。
保存というのはそういうことだろう。
公開しない保存などあるわけがない。

家族の間の思い出、時の流れ、悲喜こもごもをまとめて、
取り壊すことで、それぞれの中に収める作業を
妨げようとする「善意」のヒトは、
まったく理解しがたい。

「余計なお世話」これに尽きると思う。
「日本国民的思い出」という大義名分の暴力だと思う。

失われるものは失われる、
ヒトの命と同じように、死にゆくものは、そっと涙して
送り出してあげればいい。
無理な延命治療などされたら、
美しいものも美しくなくなってしまう。

ああ、なんて無粋なことだとフンガイしていると、
テレビ画面にグレゴリー・ペックが映った。
「アメリカ映画100人のスター」という番組らしい。
久しぶりに見るグレゴリー・ペックはやっぱりいいオトコだった。
長身で端正で声が深くて、誠実味があって、という
「いい時代」のアメリカの「いいとこ」を全部もっている。

「ローマの休日」はもちろんだけど、
もっとずっと後の「アラバマ物語」には泣いた。
人種差別と戦う南部の弁護士。
無器用だけれど、ヒトの尊厳に対しては一歩も譲らないという
オトコを父親に持つ女のコの目を通して進んでいく物語で、
たしか、原作はピューリッツァー賞をもらったものだったと思う。

「尊厳」それはヒトにも家にもあるものだろう、
「在ることの尊厳」「消えることの尊厳」。

表札のなくなった正田邸の門が映されるたびに思う。

2002年11月21日

20日のCD発売をはさんでアチコチ出かける毎日が続いている。

昨日は桜木町の「テレビ神奈川」。
モニター画面に横浜の港が映る。
うしろに流れるのが「わが麗しき恋物語」。

「私は19で 町でも噂の ちょっとした不良で」
けっこう合うもんだなあ、と感心し、
プロデューサーの仙波さんが、この歌の舞台が
足立区の西保木間ってカンジがすると言っていたのを思い出した。
どこにでも合ってしまう歌なのかもしれない。

一昨日は、急に必要になったこの歌の2、3分用の
プロモーションビデオ撮影のためロケに出かけた。

まず東京アクアラインを通って木更津の海辺へ。
荒涼とした陸地から海の中へと、
木でできた黒い電信柱がずうっと続いている。
車の中で化粧を直していると、何だかオシッコくさい。
夕暮れの人さらいにあったように心細い。

東京に戻って、次は芝浦のヘリポート。
待機をしているヘリコプターが3機。
つくづくトンボに似ている。
レインボーブリッジと、大観覧車のイルミネーションがキラキラ光る。
高所に弱いはずの私も、夜なので全く平気だ。
海も陸も、柵のないビルのてっペンからは
ベッタリ同じ「黒」に見えてしまう。
ふっと跳べそうな気がする。

それから六本木の地下道へ。
狙いをつけた場所にはダンボールの住居ができていたので
別な地下道に移動する。
下を車が走っているのが見える。
トンネルが透けて見えるようになっている。
その色のついたガラスの安っぽさで、
近未来的にも70年代的にも見える不思議な場所だ。
金髪の女のヒトが毛のついた白いコートを着て歩いていった。

最後に表参道。
ダイアモンドホール入口のひさしの上には作り物のサンタが寝そべっている。
ショウウィンドーの光と闇の中を原宿へ向かって歩く。
ハンドカメラが追いかける。
コートの襟を立てて早足でどんどん歩く。
何だか怒っているような気持ちになる。
怒りながら、懸命に生きているような気持ちになる。

終わったのは、もう10時近かった。
わずかな時間のビデオで、これだけの労力。
カメラレンズを覗き込みながら、少年のようにナンダカンダいっている
「映像クルー」の、そのタフさに感心しながら、
苦労はあっても好きなことを仕事にできる幸せを思った。

そして今日、ヘリポートから見ていた「お台場」に。
2年前のコンサートの時以来の「ゆりかもめ」に乗る。

ニッポン放送はフジテレビのビルとおんなじところ。
共感を持って「わが麗しき恋物語」を流してくれている
スタッフのかたがたにお礼をいう。

ビルの外は青空ともいえないような、霞がかった鈍い晴天。
ここにも、この歌はきっと合うだろうと思った。
ヒトが生きている場所には、きっとどこにでも合うのだろう。
「ほほ笑みが少し 混じっている」苦しく愚かな人生を送るヒトが
生きている場所には、きっと。