クミコオフィシャルサイト - Kumiko Official Site

クミコ - ココロの扉をたたくウタ

クミコ日記著作権表示

2001年7月3日

ここ数日、奇妙なことが起きている。
玄関の外に並べて置いてある四つ鉢植えが
いつのまにか、それぞれ別の場所に移動している。
しかも、ここにはこれ、ここにはこれ、という具合に
毎回決まった所に置かれている。

最初、子供のいたずらだと思った。
次に、あやしいヒトの仕業だと思った。

昨日は一つの鉢だけが移動していた。
車が入っていて場所がふさがっていたせいらしい。
どうやら午後二時あたりが「犯行」の時間と思われる。
ポツンと一つだけ置かれた鉢植えを見て思った。

もしかしたら、もしかしたら、老人・・・。

阿佐ヶ谷に引っ越した両親は、それまで庭にあった
植物の一部を鉢植えにして持ってきた。
それでも小さいトラック一台分は、ゆうにあった。
手入れの問題もあるのでブロック敷きにした庭は
鉢植えで、うっそうとしている。 
ブロックにした意味がない。
寒ければ、そのように、暑ければそのように、
風が強ければそのように、日々世話をしている。
彼らの死後、残されるであろう大量の鉢植えを前に
私の口のはさめる余地はまったくない。
彼らには、彼らの「おもい」や「ルール」があるのだ。

同じようにくり返される四つの鉢植えの位置は
どうやら誰かの「おもい」や「ルール」に基づいている
のではないか。
この鉢植えは、ここがいいの、こっちじゃダメなの。
植物にはとんと無知な私を指示しているようにも
みえる。
ふと目の前に、いつものように昼下がりの散歩をする老人が
私の家の前で立ち止まり、
当然のように、鉢植えを運ぶ姿が浮かんできた。
もう「ヒトの家」でも「自分の家」でもない。
「そのヒト」と「植物」だけ。
それぞれを、それぞれの場所に置くと
納得したように、また歩いて行く。以前住んでいた所に、道のゴミばかり拾っている
おばあさんがいた。
曲がった腰で、いつも何かしら拾っては
道の脇に捨てている。
ボロボロのスカート、ボサボサの髪から
ボケてしまっていることはすぐわかった。

「気の毒」だとか「哀れ」だとか思っても、
誰も止めることはできない。
これは、おばあさんの「おもい」で「ルール」。
「気の毒」なことでも、「哀れ」なことでもない。
だからおばあさんは、ずっとゴミを拾いつづける。

そんな訳で今困っているのは、この四つの鉢植えの位置。
元の位置に戻そうか、そのままにしておこうか。
どっちが「そのヒト」にとっていいことなんだろう。
もうこの鉢植えは私のモノではないという気がする。
責任さえ感じる。

暑い中 悩みはつきない。

2001年7月9日

新婚の頃、「五反野」というところに住んでいた。
都心で飲んでタクシーに乗ると
きまって「五反田」に連れていかれた。
乗るそうそう眠りこんで、しばらくして目を開けると
窓の外の陸橋に「白金」なんていう文字を見て
あわててUターンしてもらうのだった。

ある時、運転手さんにいわれた。
「お客さん、五反野には向いてませんね。」
たしかに、私たちのようなフラフラとした人間は
そのへんで、見かけなかった。

そこで「飯田橋」に移って、もう大丈夫と思ったが、
時々「板橋」とまちがうヒトもいるので
油断はできなかった。

今年の春、不思議なタクシーに乗った。
深夜近くの山手通り、
今日はなかなか来ないなぁと思っていると
遠くにライトがひとつ。
近寄ってきた車を見て、カタマってしまった。

止まったのは、まったく普通の軽自動車のバン。
ただ、屋根にはタクシーのようなライトがついている。
あまりのことに棒立ちになっていると、
ドアがスルッと横に開き、
中からオジサンがニコニコと手招きをする。
さそわれるように、乗り込む。

びっくりしたでしょ、ハハハ…。
これね、タクシーじゃなくて、白タクでもない、
軽荷客便っていうんですよ。
私が考えたんです。
でも、とっても便利なんですよ。
ほら、タクシーって道が混んでると
どんどんメーターが上がるでしょ。
これは上がらない。
距離で計算するから。

アッケにとられてメーターを見ると50という数字。
初乗り50円らしい。
始めは逃げる用意もしていたが、
どうやら悪いヒトではなさそうだ。

私、昔、運送屋やってたんですよ。
でも、なかなかタイヘンでね。
赤帽もやったことがあって、
そこで考えたんです。
「荷物を持ったヒト」なら、
タクシー免許がなくても
タクシーみたいに運べるってね。
許可もとってるんです。
頭いいでしょう?
世界で一台ですよ、これ。
すごいこと考えちゃったでしょ、ハハハ…。

「この鎖はなんですか?」
いかにも手作りのシカケのようなモノが
車中に張りめぐらされている。
すると、オジサンは待ってましたとばかりに、

ホラ、さっき自動でドアが開いたでしょ、横に。
不思議でしょ。
こうするんですよ、見てて下さい。

オジサンが運転席で何か引っぱった。
すると、スルスルとシカケが作動し、
ドアはちゃんと「自動的に」開いた。

結局、料金は普通のタクシーとたいして
かわらなかったけれど、
降ろされた時、キツネにつままれたような
幸福な気分になった。

ユメかウツツか、
その後、一度もその車を見ないし、乗ることもない。
何たって世界に一台なのだから
仕方ないことなのだろう。

ところが、先日、山手通りでまた妙なタクシーを拾ってしまった。
キキキーッと何十メートルも先に止まったタクシーに乗ると
運転手さんが、斜めにかしいでいる。
イヤな予感がする。
急発進すると同時に、ふだんしたこともない
安全ベルトを探す。

「東中野まで、まっすぐ、まっすぐですから。」と
何度もいっているのに、突然左に曲がってしまう。
「ちがいます、ちがいます、まっすぐですよ。」
叫ぶようにいうと、オジサンは
「アア…」と正気に戻ったようにつぶやく。

このヒトはジンジョウではない。
こうなったら無事に家にたどりつくことだけだ。

斜め45度にかしいだまま、オジサンは走りつづけた。
必死にハンドルを握る背中を見ているうち
怖いのを通りこして気の毒になってきた。

このヒトはきっとビョーキなのだろう。
そして、オジサンがタクシーの運転手に
ならなければならなかったことや、
なってからのこと、
そして、一人のヒトがこんなにコワれて、
イタんでしまっていること、
でも、ハンドルを握りつづけなければならないこと、
いろんな事を考えた。

「回り道したから2000円でいいです。」
小さい声でオジサンがいった。
「どうもありがとう。」
ホッとして降りると、
タクシーはまた急発進して去っていった。
赤いテールランプはすぐに見えなくなった。

2001年7月16日

暑い。
ボーっとしたアタマで、連続テレビ小説を見る。
沖縄の女のコを主人公にしたドラマだが、
見ているうち気持ちがわるくなった。
カメラワークのせいらしい。
急なズームインやアウト。
ハンドカメラの微妙な揺れが
暑さで弱ったカラダにはこたえる。

しょうがないのでNHKに電話する。
電話ギライではあるが、
いいたいことは、いっておかないとと思う。

そういえば、以前にもNHKに電話したことがあった。
サスペンスドラマを録画しておいた時のこと。
その前の野球放送が延びに延びて
再生したら30分も足りず、
テープは犯人がわからないままコトンと切れた。

怒り心頭。
民放みたいになんで最長放送時間を決めないのか。
これじゃあ、録画のしようがない。
大体、野球の後にサスペンスなんてヘンだ。
あちらは平身低頭していたが
その後も変わった様子はない。

サスペンスといえば「火曜サスペンス」には投書をした。
毒を盛られたはずのオトコが急に生き返って
ドアを開けて逆襲するのだ。
私の勘違いかと何度も巻き戻して確認したが、
オトコは確かに毒入りドリンクを飲んでいる。

また怒った。
こんなナメたマネをしてもらっちゃ困る。
でもそんな“ナメたマネ”は、多かれ少なかれ
どれにもあって、そのうち「見ること」自体やめてしまった。

新聞にも投書した。
皇族の次男が結婚するという時
号外のようなものが入っていた。
その記事の書き方がひどかった。
「新聞報道」とはいえない表現で
まるで女性週刊誌のよう。

後日、謝罪の文とその新聞社主催の
展覧会の招待券が2枚届いた。

こうして私は時々怒っている。
いいたいことは、いわないとと思う。
黙っていても、わかってもらえることは少ない。
恋にしたって、若い頃は以心伝心
何もいわずわかってもらおうとしていたが
ことごとく裏目に出た。
モンモンとした。
「いわなきゃ、わかんないよ」と
いわれて気づいた。
そうだ、ヒトはいわなきゃわかんないのだ。

散歩していると、川の向こう側で大声がする。
緑が濃いので姿は見えない。

—だって、イヌはヒモつけるのが当たり前でしょ。ちがうの。
—でも、その言い方はないでしょ。

切れ切れに聞こえる。
どうやらリードなしでイヌをつれているオバサンに
オジサンが怒っているらしい。

それから数日後、
茶色のイヌを連れたオバサンは
何事もなかったようにリードなしで歩いていた。
いってもわかんないタイプらしい。

「ナントカちゃん、ここ、ここ」と
イヌに話しかけると、
イヌは、いわれたとおり、橋を渡っていった。

2001年7月22日

社長がガイジンになったので、
社員全員が金髪になってしまうという
CMが流れている。
社員全員はたしかにコワいが
この頃は髪のサマもとりどりで
テレビを見ていてもナ二ジンなんだかわからない。
ナ二ジンだかはわからないけど、
「アメリカ人」になりたそうだということはわかる。

小学校の一年だったか、二年だったか、
クラスの男のコたちが、みんな
「アメリカ人になりたい」といった。
60年代はじめ、テレビから流れる豊かなアメリカは
みんなの憧れだった。
でも、「アメリカ人になる」のはちょっと違う気がした。
「ダメだよ、そんなの、絶対ダメだよ。」
「どうして?アメリカ人がいいよ、アメリカ人になりたいよ。」
抗議する私に、男のコはキョトンとして言った。

その小学校は「荒川放水路」、
いわゆる「荒川」の土手の近くに建っていて
向こう側が「赤羽」、
こっち側が「キューポラのある街」。

「ウーマがしゃべる、そーんなバカな、でもホント!」
なんていうアメリカのドラマに釘づけになりながら
土手に立つと、
川の向こうに東京があって、
そのもっともっと向こうにはアメリカがあった。

地球のヒトみんなが国際結婚して、
みんなが「アイのコ」産んじゃえばいいね。
そしたら、国境もなくなるし
多種交配でニンゲンも
もっといい生き物になる。
なんてすごいアイデアだろう。

人種がなくなっちゃう未来。
女子高生二人は、この「名案」に肩を叩きあった。

でも、英語の得意なその親友は
ガイジンの恋人も持たぬまま
「ホーガク」とやらにコッた母親と一緒に
数年後、突然姿を消してしまった。

よく行くベトナム料理店では
ベトナムの歌番組のビデオをいつも流している。
そこでは、茶髪のベトナム人歌手の横で
白人ダンサーが踊ったりもしている。
そしてオンナの歌手はなぜかみんな同じ顔だ。
「アイのコ」顔とでもいおうか。
ちなみに店のママもおんなじ顔。

唄われている曲もアメリカ風が多い。
「美しい昔」なんていう、ベトナム戦争の頃の
名曲なんか、もうおよびじゃない。
メコン川に浮かんだ、
たくさんの風船みたいな死体写真に
おどろいたのは、いつだったろう。

キミョーだなあ、とビデオに映るショーを見ているうち、
日本のテレビを見ている気がしてきた。
違いはない。
ベトナム人も日本人みたいに、
アメリカ人になりたいんだろうか。

二、三日前に入った中華料理店では
ついこの間大大的にオープンした
高級ブランド店のおんなじバックを
持ったヒトが3人もいた。

フランス人になりたいヒトもふえているらしい。

2001年7月30日

朝起きると、胃も頭も重い。
「どこにも行きたくないけど、どこにもいたくない。」
というユウウツな気分。

昨夜は寝る直前まで選挙の開票速報をみていた。
思っていたとおりの展開。
二律背反な心の重い選択。
「投票率56%」にまた具合が悪くなる。

「選挙に行かないで、政治のことに
どうこういう資格はないんだよ。」
いっぱしの口をきくムスメに背中を押されるように
オヤは一回の休みもなく、投票に出かけた。

その頃は「自民党」に対するのに「社会党」。
ウチはその「社会党」派だった。
でも、誰かがいった。
「地方では、優秀なヒトはまず自民党に入る。
その後、残ったヒトが仕方なく社会党に入る。
だから思想も何もないんだ。」

フーン、そんなもんかなあと、半信半疑だったが
選挙中の冬の朝、高校のある駅に降りると
「社会党」の候補者が
くたびれたネズミ色のスーツで寒々と立っていた。
その心もとなげな、哀しげなフゼイに
「社会党落ちこぼれ説」はミョーに実感されたのだった。

「選挙」は中学にもあった。
「クラス委員」の選出というやつだ。
人気投票のようでもある。
男の子一人、女の子一人、
たいてい成績の良いコが選ばれる。

それまでいつも選ばれていた私は
ある時「落選」した。
成績の良い子が委員にならなくてもよいという
「真理」がなぜか皆にわかってしまったのだ。
プライドの高い私は、心底絶望した。
絶望して、死のうと思った。
その日は土曜日だったので、
月曜日に、「サイトウクミコ」はいないと思った。
「さよなら」と意味ありげに挨拶して、
目の奥に焼きつけるように学校を去った。

でも月曜日、私は学校へやって来た。

「一般人」になった私は、
それから「一般人」の楽しみをみつけることにした。
誰にもエラソーにしない。
誰からもエラソーにされない。

こういう私に、高校では「風紀委員」という
ミスキャストがまわってきた。
夏休みや冬休みの前、配られる「休み中の注意事項」に
「華美に流れず」なんていう言葉が入っているような女子高だ。

「光る黒いクツはいけない」という校則に
全校風紀委員会で食ってかかった。
「光る」となぜ高校生らしくないのか。
「光る」のは不道徳なことなのか、
いやらしいことなのか。

「光るのはイケナイんです。」
困ったように先生はくり返した。

「葬式」と同じなんだといってくれればよかったのだ。
お葬式にエナメルはダメでしょ。
なるほど、それならわかる。
「学校」と「葬式」は似ている。

昔、オヤにいっぱしのことをいっていたムスメは
大人になって、
区議会議員選挙にも区長選挙にもいっていない。

だから中野区に文句は一切いわない。