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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2002年4月2日

「AURA」の時、ジャケットのイラストを描いて下さった高野文子さんから
新しい本が届けられた。
「黄色い本」という作品集で四編の物語からなっている。
ごていねいなお手紙も添えられていて
想像していた通りの字体に感動する。
私の好きな字体。
楷書で、字と字の間に空気が入っているような。
人間の粗雑さをあらわすような私の字とは大違いだ。

こういう字体のヒトをあと一人知っている。
以前 録音の時ご一緒したクラシックのピアニスト。
彼女も不思議なヒトだ。
字と字の間だけでなくカラダのあちこちに空気が漂っている。
ゆるやかな、リンとした、少女のような、おばあさんのような。
こういう風情のヒトたちと、生きていて出会えることは
本当に幸せなことだなあと思う。

「ジャック・チボーという名の友人」という副題のついた高野さんの「黄色い本」は
とりたてて漫画好きではない私をクラクラとさせた。
一コマ一コマ、くり返しあまりに一生懸命見ていたので
もう寝ようかと目を上げると、
右目の焦点が全く合わなくなっていてビックリした。
またクラクラした。
豊かで不思議な気分のまま床についた。

不思議といえば、先日地下鉄に乗っていた時のこと。
「新宿御苑前」と書かれたプレートのところに
ちょうど私の乗った車両が止まった。
何気なく漢字の下のローマ字の表示をみた。
「Gyoemmae」となっている。
「m」が2つある。
気をつけて他の駅をみると「外苑前」も「m」が2つ。
なるほど、「ン」は「m」かと思うと、
「銀座」は「Ginza」。
ところがどっこい隣の「新橋」は「Shimbashi」。
なんだ、こりゃ、一体どういう法則なのだ。
頭をかかえたまま降りる。

わからないことは世の中に数多い。
以前「日本人の質問」という番組に投書したが
採用されなかった私の質問。
「大工さんのズボンはどうしてスソがあんなに広がっているのか」
ビルのてっペンで鉄骨と鉄骨の間をヒラリヒラリと行き交う
職人さんを見るたびヒヤヒヤする。
スソにつっかえて落ちやしないか。
本人に聞けばいいのかとも思うが、
万が一聞いてわからなかった時の相手の気持ちを考えると躊躇する。
それに誰に聞いてもいいという訳ではないという気もする。

そうそう「マンホール」というのも不思議だ。
ある夜青梅街道を下を向いて歩いていたら、
その数にも、形体、模様の多様さにもおどろいた。
昔風な、こった唐草模様のレリーフが美しいものもあれば
単に「下水」とだけ書かれた無愛想なものもある。
それにとにかく、その数の多いこと。
マンホールのない所なんてないといっていいくらい
青梅街道はマンホールだらけだ。
そのありさまは、子供の頃遊んだ「石けり」のたくさんの白い輪にも似ている。

マンホールの扉の向こうとこっち。
この足元で私の知らない世界がうごめいている。
ゾクゾクするような不思議な気持ちだ。

わからないこと、不思議なことがあると、どうも足元が2、3cm
地面から浮いた感じになる。
地に足をつけて生きようと思うのだけれど
このちょっとした浮揚感は捨てがたい。

身の回りで次々と起こる「苦しい時代のこと」や
「つらい人生のこと」に出会うたび、
空気をカラダとカラダの回りにちょっとずつ集めて
漂っていたいと思ったりする。

2002年4月8日

昨日は鉄腕アトムの誕生日だったらしい。
NHKのBSを回すとアトムばかりが映る。
その昔の「鉄腕アトム」がそのまま流れたりしている。
もちろん白黒。

「ボクらはアトムのコドモさ」
山下達郎の曲そのままに私もみごとにアトムのコドモ世代だ。
あのツノのようなアンテナのようなヘルメットのような頭を、
グニーッと一気に描ききることができると後は割合うまくいく。
授業中も休み時間も、みんなが競って似顔絵を描いた。

アトムはまったく正義の子だ。
いつも正しく、明るい。
自己犠牲だってできる。
そのせいなのだろうか。
子供の頃あんなにアトム、アトムと騒ぎながら、
実はアトムを私はあまり好きではなかった。

見ているうちにカラダの中がムズムズしてきて、
どうかするとカゲでつねってやりたいといった感じ。
私のように思っていたコドモも決して少なくなかったんじゃないかと思う。

その頃、トミエちゃんという同級生がいた。
ちょっと知恵遅れ気味で、
いつもバサバサ髪、汚れたスカートをはいていた。
そのモッタリしたしゃべり方は私たちをいつもイライラさせた。
でも、イライラさせるホントの訳、それは、
トミエちゃんが私たちにない質感、肉感を持っていたからだ。
どこかしどけなく自堕落な。
上目使いのポッテリした丸く白い顔とミョーに低い声。

ある放課後、なぜか4、5人が教室に残っていた。
その中にトミエちゃんもいた。
何ということもなく遊んでいたのに、
そのうちみんなが熱を持ったようにモヤモヤとしてきた。
何でそんな風になるのかわからない。
でも熱いモヤモヤはトミエちゃんに向かっていった。

突然私たちはトミエちゃんに服を脱ぐことを命じた。
「いやだあ。」
フニャフニャと笑いながら身をくねらすトミエちゃんを
もう絶対許すことはできないと思った。

あいまいに笑いながら少しづつ少しづつトミエちゃんは服を脱いだ。
パンツ1枚になった。
もう引き戻せない。
私たちはそれも脱ぐことを厳然と命じた。
その時初めてトミエちゃんが抵抗した。
抵抗して泣いた。
オッオッと泣いた。

すっかり暗くなった小学校を私たちは無言で出た。
悪い夢のようだった。
何で、ああなったのかわからない。
でも、このことは金輪際、誰にも言ってはいけないし、
なかったことにしなけりゃいけない。
その時みんなが思ったのだろう、後日誰もこのことに
触れなかった。
もちろんトミエちゃん自身も。
私たちは、いつもと同じコドモに戻った。

アトムを見ると、暗い木造校舎とトミエちゃんのことが思いだされる。
そして胸の痛みも。

コドモの中に棲む動物の牙はいつも敏感に獲物を察知する。
自分たちと少しでも違うもの、違う匂いを見逃したりはしない。
「鉄腕アトム」が「コドモのための優良アニメーション」とやらに
おカミから認められた時、手塚治虫は悩んだという。
コドモの残酷さを、きっと誰よりも知っていた彼は
「いいコ」でありつづけなければならないアトムが
かわいそうだったのかもしれない。

2002年4月12日

何がかなしくてこんな所を歩いているんだろうと、
騒音の中、ハチ公前の交差点を斜めに横断する。
前も後ろも、うじゃうじゃコドモだらけ。

やっとの思いでたどり着いたオーチャードホールに人影はなく
扉のむこう、カーテンが閉められたまま。
アレレ?と財布からあわててチケットを取り出すと「サントリーホール」。
ここからサントリーホールって…
急に行き先を変えられたオリエンテーリングのように頭の中が真っ白になる。

銀座線の「溜池山王」
現地で落ち合うことになっていた友人に電話をすると
私のドジさにあきれながらもキッパリ指示してくれる。
汗をかきかき15分遅れで無事たどりつく。

「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」
モーツァルトの「リンツ」とマーラーの「巨人」
突然チケットが手に入った。
降ってわいた幸運。
第二楽章から席に着く。

サントリーホールで二階席から聴くのは初めてだ。
団員一人一人の動きがよくわかる。
右から左へ、左から右へ音がうねっていく。
麦畑のようでもありサッカーの競技場のようでもあり、
もう私はすっかりクラクラしている。
クラクラして揺れている。
テレビで相撲を見ている父親のカラダが左右に動くのを
笑ってしまう私だが、気がつくと自分も左右に動いている。

いい音楽を聴くとすぐにカラダが動いてしまうのは昔からだ。
ロックでもジャズでもクラシックでも。
いい音楽にはリズムがある。うねりがある。
イキのいい音楽を聴くとカラダが足が首が手が
左右に上下に動きはじめる。

ツマラナイと途端に動かない。
どんなに激しいリズムでもピタッと静止してしまう。
唯一の例外は、その音楽自体のものすごさが私を飲み込んでしまう場合。
目から涙があふれるまま。
ただアワアワダラダラ泣いてしまう。
ツボに入った、といえないこともない。

オペラでも、独奏会でもなくオーケストラの演奏会なんて
思い起こせば高校の時以来だ。
確か学校中でオーケストラを聴くという社会授業みたいなものだった。
どうみてもやる気のなさそうなその演奏に
私たちはみんな寝入ってしまっていた。
もっとも、むこうはむこうで、こんな訳のわからないガキども相手に
精魂込める気にもなれなかったのだろうが。

それにしてもナマのオーケストラがこんなにも楽しいものだとは。
楽団員全体を見ながら聴ける楽しみは測りしれない。
テレビ中継のように指揮者やソロのヒトを勝手にアップされたり
しないので目が自由に動ける。
耳も自由になる。

トライアングルのチリリンは、「どうぞ私を聴いて下さいね、ここにいますから。」
といっているようだし
ハープがボロロンと登場するだけで空気に紫色のかすみが
かかったみたいだし
8人編成のホルンは、金管楽器の底知れぬ優雅さを教えてくれる。

私のカラダの中にはウウウウいう塊がどんどん大きくなっていった。
最後に指揮者が背を伸ばし両手を高く高く上げた。
ああ、これが「至福」で「芸術」で「天国」ってやつなんだなあ、
「神様への捧げ物」ってやつなんだなあ、
「音楽は天への捧げ物」。
あんまりストンと飲み込んでしまったので、その確認みたいに
強く強くバンバンバンバン思いっきり拍手をした。

届きましたよ、あなたたちの音、確かに。
どうもありがとう。

赤坂の居酒屋に入る。
キンキの塩焼きが小さくてパサパサしている。
そこそこにそこを出て別の店に入る。
生ぬるいグリーンカレーがパンみたいなナンと出てくる。
でも、いいや。
「ボロは着ててもココロはニシキ」
突然こんな歌を思いだす。

2002年4月23日

余計なお世話だと思う。
まめに電源を切る家庭に、突然
ユースケナントカカントカの顔をしたパソコンが立ち上がって
「いちいち切らなくったっていいんですよ、
電話料金はおんなじなんだから!」と叫ぶ。
電話料金はおんなじだからって、
この時代、地球資源のムダ使いはどーすんの、と
叫びたいのはこっちの方だ。

もうひとつ余計なお世話だとおもうCMが、
お風呂場と台所や居間を結ぶインターホン。
お年寄りのお風呂場での事故を配慮して
浴室内の音が全部聞こえるようにしてあるらしい。

あったかい浴槽でフーッとして溺れ死んでしまう。
ヒトの死に方にはいろいろあるだろうけれど
私の知る中で、この死に方はかなりいい死に方の一つだ。
望むところでもある。

私のおばあちゃんもそうして死んだ。
ただ昔のことだから、木の風呂桶から伸びた煙突でできた
ヒタイの火傷が痛々しかった。
それに比べれば現代の風呂場はまさしく天国。
せっかく気持ちよく死ねる機会をジャマすることはないだろう。

「ね、そう思うでしょ?」母親に聞いてみると
「いやあよ、ハダカだもん、恥ずかしい」という。
でもこれはまた別の問題のような気はする。

「孤独死」というのも余計なお世話だ。
部屋で一人で死んでいると、この無作法な見出しをつけられ
ジュッパヒトカラゲで、さも気の毒なことのようにいわれる。
誰にも知られず、ひっそりと一人で死んでゆきたいと思うヒトは
きっとたくさんいるに違いない。
そのヒトそれぞれの生き方、死に方はどちらも「人生観」だ。
誰に口出しされることでも、気の毒がられることでもないだろう。

一人暮らしのお年寄りがいたら、
今日は雨戸が開いているか、新聞受けに新聞がたまっていないか
気をつけてあげましょう、という自治体もあるというから
年をとっていくこれからは住む場所も考えなくてはいけない。

小学校の頃はよく予防注射をした。
ああ、今日は注射の日というとみんなソワソワして落ち着かない。
隣のクラスが行った、ああもうすぐ私たち。
ドキドキしながら一列に並んで順番を待つ。

あの頃はC型肝炎の知識もなかったから
医者は注射針を脱脂綿でチョコっと消毒しながら
バサバサバサバサ次々に打っていった。

打ち終わったヒトが横を通って帰っていく。
ああ、痛かったとか、ゼーンゼン平気とか。
ニコニコしながらホッとした顔で通りすぎる。
まだこれからの生徒は、緊張したまま並んでそれを見送る。

ふいにこれが「生きること」と「死ぬこと」の違いなんだなと思った。
注射の順番が来るまでは怖い怖いと思っているけれど、
「チク」という痛い一瞬のあとは、もう過ぎたこと。
あとかたもない。
この「チク」の向こう側と、こっち側は似ているけどまったく違う。
やってないヒトと、やってしまったヒト。
そして、この「チク」はどうにも避けられない一瞬なのだ。
「生きること」と「死ぬこと」の間の線のようなものが
その時はっきり見えた気がした。

数日前、先だって亡くなった先輩歌手を「偲ぶ会」があった。
彼女の選んだ「死」は今だに私たちをクラクラと不安定な
苦しい気持ちにさせるけれど、
赤いバラを1本1本手に持った参列者たちは、
それぞれの想いでその死を悼んだ。
会場に流れる生前の歌声は、あっちがわとこっちがわを
ユルユルと橋渡しをするように流れた。
それはシャンソンではあったけれど、「痛み」から解き放たれた
御詠歌のようでもあった。

2002年4月29日

このところ「ナンプレ」正しくは「ナンバープレース」というパズルゲームに
すっかりハマってしまっている。
縦、横9つずつのマスと9区画のブロックに
1から9までの数字を重複なくそれぞれピッタリと
合うように並べていくだけのものだが、これがなかなかむずかしい。
うかうかしていると、すぐに2、3時間たってしまうので
もっとうかうかしているとアッという間に一日が終わってしまう。

こんなこと、ゲームボーイの「テトリス」以来だ。
その時も、最高難度をクリアするまで止めることができなかった。
すべてが終了した時は、すっかりガチャ目になった両目を上げて
爽やかな達成感と呪縛から解かれた解放感をしみじみ味わった。

ゲームは空しい。けれど楽しい。
でもやっぱり空しい。ひどく空しい。

大学生の頃、知り合いのオトコのヒトが
父親からバイトをすることを全く禁止されているという話を聞いた。
何て、前時代的な、と笑ったが、
親としては、子供に「ムダ」な時間を過ごさせたかった、
ということらしかった。
「ムダ」という大きな時間の中にその身を置いておくこと。
その中で考えること。
何かをすることで気を紛らわすのではなく、
何もしないことでモンモンとして考えること、自分は何なのか、自分はどうしたいのか。
そういうことに若い時間を使わせようと考えたらしい。

ゲームが空しいのは、終わった後に
「何も考えなかった」ことに気づくからだ。
つまらないことも、つまらなくないことも何も考えていなかった。
それなのに、なぜか止められない。

マス目をひとつひとつ埋めていく。
ああでもない、こうでもないと1から9までを何回も何回も並べ直す。
やっと先が見えてくる。
もう少し、あと3つ、あと2つ、あとひとつ。

ところがよく見ると、同じ数字が重なっている。
エ、なんで?
しばしボーゼンとする。
一瞬のうちに掃除機に吸い込まれてしまったような
ボーダイな時間の前でボーゼンとする。

そのうち怒りがこみ上げてくる。
このツメの甘さは私の人生そのものだという気がしてくる。
だから、いわんこっちゃない、根本的にオッチョコチョイだからこうなるのだ。
自分を責めたりする。

よきところでホドホドに、ということほどむずかしいことはない。
ヒトは、行きつくところまで行きつきたい動物なのかもしれない。

高視聴率を稼げるというテレビの「大食い競争」なども
行きつくところへ行きたいヒトと、それを見たいヒトとの
ゲームなのかもしれない。
ノドの奥を開くように次々と食べ物を投げ込んでいく
人間ダストシュートと化したヒトと、
それを驚き呆れ笑いながら見守るヒトとのゲームは
凄惨で、滑稽で、下品で、哀しくて、やっぱりおそろしい。
行く手に「死」がちらほら見え隠れするゲームだからおそろしい。

最初の30分と最後の30分を見ればすべての謎が解けてしまう、
お手軽「2時間サスペンス」で時間を潰すよりはまだましだと、
ゲームを続けながら、
この失われていく時間への焦りは日に日に増大する。

積み重なった古い映画のビデオを観なくっちゃと思うのだが
ついついゲーム本に手が伸びる。
そういえば、次から次へと襲う、生と死ギリギリの災難と
必死で戦い、もはやこれまでというところで
「ハイ、これはすべてゲームでした。」というオチのつく
アメリカ映画もあった。
題名もズバリ「ゲーム」。
その瞬間の主人公の。間の抜けたポカンとした顔を思いだす。
ヒトゴトではない。