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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2003年1月7日

これから正月という時、古本屋に立ち寄った。
引っ越しで本をほとんど持ってこなかったので、
休みの間、何かしら一冊はあったほうがいいだろうと思った。

買いだめしたトマトジュースを入れたカバンを肩にくい込ませながら
ズルズルと這いつくばるように棚を見ていると、
厚さといい題名といい、ちょうどいいカンジの本があった。
翻訳モノだが、始めのページからスルッと引き込まれていく。

これに決めた。
読み出すと思った通り、いや思った以上に描写が鮮やかで
途中ふと、これは映画化したらいいなあと思った。

正月二日目の夜だったか。
何げなくつけていたテレビ画面に鈴木京香がまっ赤なドレスで現れ、
可愛い少年が現れ、池が現れ、ボートが現れ、
これはどうやら予告篇らしく、
またアレアレと見ていると、ついに題名が出た。
『緋色の記憶』

なんてこった。今読んでるヤツだ。
まだ途中だったが一気に読み終えないといけない気がした。
あんまりおいしくて、少しずつかじっていたケーキを、
誰かに取り上げられるよりはと、一気に口に押し込むような焦り。

そして昨夜、そのドラマが放送されたのだが、
アメリカと日本という設定の違い、配役など、
私だったらどうするかなあと
頼まれもしないことをツラツラと考えながら、
そういえば、日本では色っぽい中年の男優が不足しているなあ、とか
色っぽい中年の男優だったヒトは、みんな老年に移行してしまっているなあ、とか
鈴木京香は水分が多そうだなあ、とか
この主人公は多少乾いたサメ肌のヒトが良かったなあ、とか
まあ、楽しめたことは楽しめたのだった。
「さもない毎日」とはこんなことをいうのだろう。

高円寺とはいいながら、実際は中野駅に近い今の住処は
以前にも住んでいた付近で、
駅を中心に南へ行ったり、北へ行ったり、東へ行ったりしているうち
15年も過ぎた。

15年前、知人のやっている「オイリュトミー」という舞踊の発表会を見に来て
会場の「文化センター」へ行くのに、
ボウと南口に降り立ったのがはじまりだった。

何だかカラダに合った街の気がした。
濃くも重くもなく、ちょうどいい乾き方が良かった。
そのまま不動産屋に入った。

そういえば、拉致事件の「蓮池さん兄弟」は
大学の頃、中野に住んでいたらしい。
移り変わりの激しいこの街で
今も残っているそのアパートを前に蓮池さんのお兄さんは絶句した。

二人のそれからのことを思うと、
まったく現実は小説より奇なりなのだった。

2003年1月16日

寝室が変わってから夢ばかり見る。
それも色彩が鮮やかで、起きてからもしばらくは現実に戻れない。

集合住宅に住んだのは久しぶりで、
外の廊下を歩く音や、ドアの閉まる音で平日の朝の到来を知る。

私の部屋から、ちょっとだけ見える左隣の部屋のベランダには
3日に1回ぐらいの割合で洗濯物がかけられる。
色とりどりの華やかな下着が風に揺れている。
あまりキレイなのでようく見るとレース使いの上下セットが3組。
デパートの下着売場そのままの風情。

ふうむ、なかなか胸の大きいコのようだと感心し、
夜遅くまで取り込まれることのないこんな下着たちを、
堂々と干していける若さに、また感心する。

下着はね、他の洗濯物の内側に干すの、
そうすると外から見えないでしょ。
そんなふうに教えられた覚えもある。
見えないことは、つつしみでもあるが、防御でもある。

両親の家に行く途中にある古いアパートの1階には
必ずいつもパンツが1枚か2枚、針金ハンガーにぶら下がっている。
ぶら下がっているといったほうがいいのは、
その煮しまったような色合いと、大きさと、どうでもよさそうな干され方にある。

夏の日、開いていた窓から覗き見えた、
暗い部屋の壁に貼られた古いお札らしきモノからも
その部屋の住人はかなり年配の女のヒトのようで、
女性の下着といえども、
「魔除け」のように見えるものもあることを知った。

それまでの散歩道だった「神田川遊歩道」から離れてしまったので
今度は「平和の森公園」コースに決めた。
歩いて20分くらい、もともとは「中野刑務所」だったところだ。
この近くに住んでいたこともあったが、
その頃に比べれば、一周400Mのウォーキングコースもでき
ずっと歩きやすくなっている。

東京の空がこんなに広くていいのかと思うくらいポッカリしていて
その下をセカセカ歩いていると、
どうしてもオリの中のネズミを思い出す。
管理されているなあ、と思う。

計画の下に作られた池、茂み、芝生、舗道。
「神田川遊歩道」もそうだった。

ただ違うのは「川」で、「川」はやはり生き物だった。
予期せぬものをはらんでいて、
今はおとなしそうな顔をしてるんですけど、昔っからワルでね、
というような底知れなさがあった。
それは藤枝に住んでいた頃の農業用水路にも似ていて
コンクリートのフタをされた水の流れは
その上を通る子供たちの足元にいつも不気味な唸りをあげていた。

左隣の部屋には猫がいる。
大きな白黒のヤツで、ノソノソとガラスに影が映る。
一日中、誰もいない部屋にいるのだろう。

晴れた休日、きれいな洗濯物の中、
少し開けられた窓の隙間から首を出した。
ずっと外を見ている。

飛んでおしまい!
ちっちゃな声でいってみた。

2003年1月23日

「ね、フランス人形みたいなヒトがいる」
打ち合わせの後、「ハーゲンダッツ」に入った時のこと。
場所がら、外人も多く来ている所だが、彼女は際立っている。

「フランス人形」というよりは「フレンチポップ人形」といった感じで
金髪に黒いヘアバンドを高い位置に止めている、その小粋さは
やはりアメリカという感じではない。
勝手にパリのヒトに決めている。

「同じオンナのヒトとは思えない」
私を見ながら連れのオトコがいう。
そこで「松井」を思い出した。

「ゴジラ」というニックネームの絶妙さは、
この頃よく見る彼の顔のアップのたびに感心していた。
あの皮フのデコボコ感と、岩山にパックリ割れた裂け目のような目は
たしかにゴジラに似ている。
「同じニンゲンとは思えない」
アメリカのヒトも、そう思ったかもしれない。

大学の頃、夏休みに友人の故郷である山口県の「萩」に遊びに行った。
通称「萩ボッチャン」の彼の家は、山の上にある白壁の旧家で
お姉さんが「萩焼き」の仕事をしているという。

もう、そのお姉さんの名前も顔も思い出すことはできないけれど
彼女の夫の名前は、すぐに思い出すことができる。
当時、出始めた情報誌と同じだったからで
「ピア」さんといった。

彼はデンマークからやって来た金髪長身の、見るからに北欧のヒトで
お姉さんが、留学中に知り合ったのだという。
夫婦で「萩焼き」をしているピアさんは、日本語も上手で
私たちに特製カレーをごちそうしてくれて、
酒席では一緒にバカ踊りまで踊ったのだが、
その時、彼のいったことが不思議だった。

デンマークでは、みんなヒトの違いがわかりません。
ボクと彼女の違いもわからない。
肌の色とか、そういうこと全然気にしない、わかんないんです。

確か、こんなことだった。
エ、だってこんなに違うよ、といってみても
彼は、でもアッチでは、みんなわかんない、をくり返した。

ヘエ、と狐につままれたように、そんなことってあるのかなあ、
でもなさそうなぶん、ありそうだなあ。
しきりに不思議がる私たちを、それこそ不思議な顔で
彼は見ていた。

今だに「このこと」はわからない。
彼の「愛」のなせる技ともいえるのかもしれないが、
あまりに自然な「ヒトの違いのわからなさ」は、私たちを感動させ
今も、あったかい思い出として残っている。

「なぜ、イラクを攻撃しなくてはいけないのか、
明白な理由がわからない。」
イギリスで反イラク攻撃のデモに参加したヒトが
向けられたマイクにこう答えた。

でもブレア首相はいう。
「何が何でも参戦する」

アメリカでも反対するヒトが増えている。
でもブッシュ大統領はいう。
「何が何でも攻撃する」

イラクがどうなってるのか、わからないから攻撃する。
ヒトを殺す準備をしているようだから、先に殺してしまう。
「攻撃する」は「攻撃したい」にきこえる。
何が何でも攻撃したい。
何が何でも戦争したい。
何が何でも殺し合いたい。

わからないヒトたちだ。

「夢見るシャンソン人形」のようなオンナのヒトが立ち上がった。
太った日本人の男のヒトと二人、何ということもなく店を出ていった。