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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2001年1月1日

せわしいはずの昨日の大晦日。
TVをつけたら、突然キング牧師暗殺の場面。
NHKBSで再放送されている「映像の世紀」

最後の彼の演説が流れる。

私はあなた方と一緒には行けないかもしれない。
けれど私には、やがてやって来る「その日」が見える。
私たちが自由をかちとる日が。
だから、もう生死など私にはどうでもいいことだ。

J.F.ケネディもR.ケネディも次々に殺されていく。
二、三日前に見た映画「13days」がダブる。

遥かな道のりの途中で「暴力」によってユメを絶たれたヒトたち。

今度はセルビア人の神父の言葉。

私が神父の格好をしているからといって安心してはいけない。
クロアチア人の汚れた血は断固絶やさなければならない。
たとえ7才の子供にだって、私は銃を向ける。

ジョン・レノンの「イマジン」
きっとこれは真実だ。
想像力がない限りヒトはヒトを理解できない。
想像力だけがヒトとヒトとの垣根を越えられる。

一家四人が惨殺された世田谷の家の
その扉に揺れている正月飾りが哀しい。

二十一世紀へは、みんなで手を取り合って、
まるで、縄跳びの
「おはいんなさい」「ありがとう」
のように越えていくもんだと思ってた。

おっきな波のようにやって来る縄を
右と左のヒトの手をしっかりと握って
「セーノ!」で飛び越すイメージを持っていた。

だからこの世田谷の一家もヒトゴトではなかった。
一緒に飛び越すはずでしたね、みんなで。
「暴力」が悔しい。悔しさにキリキリする。

年越しソバを食べた後、
青梅街道を実家から歩いてかえる。
途中にある中野警察の玄関には
いつものように、大きなオトコのヒトが
太い棒を持って立っている。
「鬼ヶ島」のよう。

風呂上りにつけたTVでは紅白歌合戦。
白組のトリの歌手が「山河」とかいうおっきな歌を
顔をひねりながら唄っている。
カラオケのイメージビデオで「海軍」が映る
「群青」という歌を思い出す。
何だかとっても居心地が悪くなる。

ヒトはコワレモノだ。
自分も他人もおんなじ。
かけがえのないコワレモノ。

想像の力が体の力を越える。
国を越え、人種を超え、
宗教を越え、憎しみを越える。
暴力を越える。

越えなくっちゃ。
もう、21世紀だもの。

2001年1月8日

今日は「成人の日」だという。
「成人の日」は1月15日ではなかったのか。

勝手にモノが決められていく。
ナンの日でもいいんだね、連休なら。
何でもつなげてしまいたいんだね。

私の「成人の日」には、たしか
どこかで誰かと会っていた。
喫茶店の様子は何となく思いだせるが
相手の顔がわからない。

母親がある時、
きのう見た「おもいっきりテレビ」の
ゲスト四人の一番左脇のヒトの顔が
どうしても思いだせないと、
悔しがっていたことを、思いだす。

記念すべき日の相手のオトコを忘れるのと、
きのう見たテレビのタレントを忘れるのと
どっちが問題なのか、おんなじなのか
わかんないなぁ、とつぶやきながら
昨夜、雪の中を歩いていた。

四谷四丁目の角にさしかかる。
サンミュージックのビルの下。
アイドルだった若い女のコが飛び降りたとこだなぁと、
あるかもしれないモノを目で探す。

あった。
小さな百合の花が三本、目立たないけれど
置いてある。
冷たい雪の中、人も通らない道端に
誰かの悼む気持ちが置いてある。
よかったね。
少しあったかくなる。

以前、越路吹雪さんのお墓に行った。
煙草を供えることが供養だときいて一服した。
禁煙するずっと前だった。

坂本九さんのお墓に行った時には
ひたすらあやまった。
その前、自分で企画した
「唄ってよ!九ちゃん」というコンサートで
批判めいたことをいってしまっていた。

髪を七・三に分けるようになってから
九ちゃんは変わってしまった。
不良少年がただの良いオヤジに
変わってしまった、というような。

あまりに気持ちが落ち込み、落ちこんだついでに
その帰り道、骨董屋で「地蔵」を買った。
石の地蔵を抱えた帰り道はつらかった。
これが「贖罪」かと思った。

その地蔵は、しばらくベランダの隅にいたが、
ある日、突然不安にかられ、
近くの寺に引き取ってもらった。

こういうものは、あまり自分の所に
置いておくもんではないですよ。
お祓いしておきますね、ハイ、5,000円。

新井薬師の境内には
今でもどこかにその地蔵がいるはずだ。

地蔵がまつられたベランダの部屋を出たのは
やっぱり雪の降る寒い「成人の日」だった。

2001年1月16日

寒い。
昔、北海道のエゾシカが氷の割れ目にはまって
もがいている映像を見てから、
寒いと不安になっていた。

きのう、地下道を歩いていたら
大きなビニール袋がころがっていた。
通りすぎながら、ふと見ると「顔」があった。
体中にビニールを巻いて、荷物にも巻いて、
まるでオブジェのようになったホームレスのヒト。

寒いとそんなヒトのことまで気にかかる。
ますます不安になる。

寒くないとまた不安になる。
2030年には7月の温度が43度に
なるという記事も思いだす。

キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」という
映画を見ていたら、
外はメチャクチャ寒そうなのに、
ベッドに横たわるオンナのヒトは
肩ヒモだけのキャミソール一枚だった。

そういえば、アメリカのドラマは
昔からいつも、そうだった。
「グッナイ!」といって、毛布一枚のベッドに
飛び込む子供をみて、
「アメリカに冬はないのか」と親にきいた。

地球温暖化を食いとめるための
ナントカいう会議で
アメリカが規制に猛反対しているのも
あたりまえだなぁと思う。

ついでに中野のブロードウェイは全館冷暖房だ。
商店街の上のマンションのこと。
建てられてから相当経つので、
外から見ると、まるでハト小屋の風情だが
中に入ると共同の廊下が涼しかったり
暖かかったりする。
不動産屋で物件としてみると
異常に共益維持費が高い。

分譲された当時はジュリーも住んでいたらしい。
ついこの前までは青島さんも住んでいたが
いなくなった。

ブロードウェイという名前に時代がみえる。
豊かさへの憧れがみえる。

「お台場」にいくので、はじめて「ゆりかもめ」に乗った。
途中、レールがグルッと大きく回ったりして
昔の子供が描いた「未来の都市」のよう。
海だったところに建ち並ぶビル、
計画された都市、路地裏のない街。

もっと高いところからだと
きっと海に浮かぶ一枚の「絨毯」に見えるんだろう。

ある日突然、誰かがその端を持って
パラパラッと、それを振ってたたんで
しまいそうで、怖い。

いろいろと不安になるのも、この寒さのせいだけでは
なさそうだ。

2001年1月24日

「新年おめでとうございます。
今年はあなたにとって、飛躍の
年になりそうな予感がします。
ご幸福を祈ります。
二〇〇一年元旦   マルセ太郎」

うれしい年賀状だった。
一字一字、心をこめて、ていねいに
万年筆で書いてある。
ブルーブラックのインクがなつかしい。
「オトコ」の香りがする。

まだ、震災の起きる前、
永さんとマルセさんと一緒に、神戸に行った。
その頃は、あちこちで三人のステージをやっていた。

公演の翌日、朝食前にホテルを抜け出した私は、
元夫の実家を訪ねた。
誰も起きていない早朝の空気が冷たい。
しょうがない嫁だった私は、
家の門の前まで行って、ただ頭を下げた。

ホテルに戻ると、みんな朝食の最中。
「クミコちゃん、涙でてるよ」
マルセさんが、からかう。
そして、それ以来私は
「オトコ運の悪いオンナ」になってしまった。
会う度に「オトコできたか」ときく。
どうやら、本当に心配してくれているらしい。
困った。

新神戸駅で帰りの新幹線を待つ間に、
みんなにプレゼントをした。
一年間のお礼のつもり。
それぞれ色違いの毛糸の手袋。

喜んで、その場でハメてくれるヒトもいる。
マルセさんがスッとそれをしまった。
いつものマルセさんらしくない。
気に入らなかったのかなぁと思った。
ずっと気になっていた。

後日「芸人魂」というマルセさんの著書を
読んでハッとした。

「高校を出てバイト先で、左手の指三本を
プレス機でつぶしてしまった。
中指は第一関節から切断されて・・・」

知らなかった。
そんなこと、気づきもしなかった。
そして、気づきもさせなかったマルセさんに
心底、感服した。

それにしても、どうして手袋なんか
選んでしまったんだろう。
マフラーでも良かったのに。

「志の高さ」も教わった。
どんな状態の時でも、
堕ちていかない志の高さ。
自分の芸に誇りをもって、
ひたすらやり続ける志の高さ。
暗い闇の中で絶望しない志の高さ。

ね、マルセさん
だから私も一生懸命がんばってます。
見てて下さいね。
そして・・・「ありがとうございました。」

2001年1月30日

新大久保駅と、大久保駅は目と鼻の先だ。
並んで走る二本のガードレールをくぐって
しょっちゅう韓国料理を食べにいく。

その新大久保駅で事故は起きた。
「線路に落ちたヒトを助けようとして
他の乗客二人が亡くなった」と聞いた時、
すぐに、この乗客たちは日本人じゃないだろうと思った。

その国の宗教うんぬんとか、いうことだけじゃない。
列車が迫るホームで、線路に落ちたヒトを
救おうと、自分も飛び込む。
これはもう一種の、「本能」といった方がいい。
動物的本能とでもいおうか。

「判断」でもない。
判断していたら、飛び込むはずはない。

アタマよりカラダが先に動いてしまう。
そして、この動物的本能を、
もう、日本人は持っていないだろうと思った。

自慢にもならないが、
実は私は「ガイジン当て」がうまい。
ガイジンといっても、中国人と韓国人。
数人ならすぐに、一人でも大体見当がつく。
後ろ姿でわかってしまって、
追い抜きざま、わざとゆっくりして
「言葉」で確かめ、うなずいたりする。

体つきや服装ではなく、たたずまいが違う。
日本人にはない「匂い」がする。
誤解を承知でいうなら、日本人が失くしてしまった
「動物の香り」といってもいいかもしれない。

だから、亡くなったもう一人の乗客が
日本人の、それも私と同じくらいの年令の
オトコのヒトだと知った時には、正直驚いた。

去年のこと、
これから映画館へ入るという時、
友人があわててハンバーガーを買いに走った。
その後ろ姿を見ながら、大丈夫かなと案じた。
案じた通り、彼は足がつったといった。

いまどきのお父さんたちは、
子供の運動会で走ると、転んじゃうんだって。
走れる、走れる、もっと速く走れると思って。
でも足がついていかないんだって。
速く走れる記憶だけが、アタマに残ってるんだね。

説明しながら、ミョーな時代になったと思った。
オトコが走れない時代。

亡くなった韓国の青年のHPに、日本人が、
「私が現場にいたとしても、
黙って見ていただけだったろう」と
メールを寄せたという。
「黙って見ていただけ」なのではなくて、
「黙ってみているしか」できなかったろう。
目の前で起こった一瞬のできごとに
対応できるカラダを
きっと私も持っていない。

私に今できることは、
せいぜい、酔っぱらって転落し、
「しまった!」と思うことにならないよう
気をつけることくらいだ。

そういえば以前、
新宿駅で山の手線から、向かいの中野行きに
乗り換えた時のこと。
一緒にいた友人は、後ろを見て驚いた。
私がいない。

見ると、酔った私が、体半分
電車とホームの間にはさまれている。
あわてて助けてくれたが、
当の本人はヘラヘラしている。
怖かった覚えもない。
これだから困る。

他人を道連れに亡くなった酔っぱらいのヒトは
あの世でどうやって二人にあやまってるんだろう。
それより、その時のことを、
はたして、彼は覚えているんだろうか。

合掌。