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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2000年9月7日

車座で宴会をしている労働者風のオジさん達が、
フラッと歩いている私に声をかけ、
一緒に酒盛りをしているうち、私が「うた」を唄う人間だとわかると、
ここで一曲唄ってみせてくれという。
その時に唄える「うた」があるのか。

と、いうのがズーッと自分への質問だった。
自分がしていることの指針だった。
どんな状態の時でも、時々このことが頭をよぎる。
シャンソン歌手にもジャズ歌手にも、
なりきれなかったのはこのためかもしれない。

きのう、「風待茶房」で知り合った女のコのライヴにいった。
ギター片手にボツボツと唄っている。
服もジーパンとシャツ。

はじめてコンサートをした時を思いだす。
タンクトップに、サスペンダーのズボン。
出かける前、友だちにカツ丼を食わされたっけ。
「クミ、これで大丈夫だよ。」って。
何が大丈夫なものか。
最初から最後まで、何もわからないほど緊張して
ただ唄っていただけ。
何を伝えるでもなく、ただ唄っていただけ。
あの頃、私を助けてくれた友だちは今一人もいない。
みんな、どこかへ行ってしまった。

月曜日にNHKのTR(トップランナー)の収録があった。
本番は夜6時半に始まり、終わったのが10時半。
ピアノの上條さんと顔を見合わせては
「セーシンシューヨー、セーシンシューヨー」とはげまし合う。
イッてしまえない「うた」ばかり。ツラい。
すがるところは、「うた」の中の「気持ち」だけ。
哀しい。切ない。恋しい。
「気持ち」だけが、体をぬけていく。

「かっきん」という、その女のコは最後に
「哀しみのボート」を唄った。
飛べない小鳥ね、私たちって……
胸がつまる。
そうなの、私たちって、飛べない小鳥なの。
いろんなものが重すぎて飛びたてないの。
でも、いつか、飛びたいの。
ねえ、いつか、一緒に飛べるでしょう?ねえ。

そうだ、「哀しみのボート」を唄おう。
もし、おじさんの宴会に呼ばれたら。

2000年9月14日

「生」はツラい。
「生」がうれしいのは、ビールだけだ。

「自信」というのは
「自分を信じること」だと、昨日気づいた。
ここずっとTVで映しだされるオリンピックの選手達の
一語一語にもピクンと心が動く。
さぞ、タイヘンだろうなぁ。
失敗しちゃって…なんていえないもの。

失敗しちゃって、といえば「鳥の歌」
この曲だけテロップがでている。
「翼」が「光」になった。
どしよう。
止められないものは続けること。
一番小さい訂正にしようと決める。
「魂が舞う」は2回唄ってしまおう。
ココロは動いている。
死んでいないのが、うれしい。
カタチをしていても死んでいるのはいやだ。

はじめてご一緒するジャズベーシストの吉野さん。
しばらくぶりのウッドベースの音色。
体がジンとする。

上條さん、4ビートはダメだダメだといいながら
キッチリ弾いている。
楽譜に予習のあとが。

土屋さん。黒のドレスをやめて
パンツに着がえしっかりサポート。

私のスタッフもNHKのスタッフも全員が、家族のように心配している。
幸せ者だと思う。

まだ、体の芯がかたい。
あれから3時間位しかたっていないのだもの。

あぁ、もうちゃんと書けないや。
とにかく、私を支えてくれ、私を思ってくれる
すべての人に感謝。感謝。

ホントにありがとう。
寿命を短くさせて、スミマセン。

2000年9月22日

「AURA」のジャケットは哀しい。
美しくて哀しい。

どこにでもいそうな、どこにでもいなさそうなヒトたちが
どこでもあるような、どこでもないような街角を歩いてる。

すれ違ったあの時、声さえかけなければ
こんなつらい思いをしなくてすんだのに。
そんなこともよくある。
そんなことのくり返しかもしれない。

まん中で目を上げている女のヒトは何を見てるんだろう。

この頃、雑誌の取材で思わず口にしてしまうこと。
光。
遠くに光があるから歩いていける。
たとえ、うっすらとボンヤリしてても、それさえあれば
それを頼りに歩いていける。
「希望」といってもいい。

光に向かってといえばオリンピック。
より速く、より強く、より美しく。

高校生の頃、友だちにきいた。
ヒトってどこまで速くなっちゃうんだろう。
限界ってないのかなあ。
友だちはいった。
どこまでも速くなってヒトじゃなくなっちゃうんだよ。

もの凄い速さで泳ぎきった選手が水の中から顔を上げて…
その瞬間を想像して、二人で笑った。
怖くて笑った。

そして今、薬物使用とか、筋肉増強剤とか聞くと、
あれはもしかして、
ホントのことだったかもしれないと思う。
その友だちも、すれちがうように、急に私の目の前から
消えてしまった。

そして今日は、ヒトのいきかう新宿のレコード屋さんで
松本さんとトーク&ミニライブ。

ひとつ、わからないこと。
ジャケットのマンホールの横に
おっこちてるモノって何なんだろう。

2000年9月28日

喫茶店に入ると、隣のテーヴルでハデなおばさんが若い男女に
指輪を並べて見せていた。
どうやらその二人は結婚指輪を選んでいるらしい。

胸ときめくとき。

でもいらなくなった結婚指輪ほどムダなものはない。
私のそれも捨てるに捨てられず、引き出しの奥に転がっているはず。
だから、もしかすると、そんな指輪ひとつより、
プロポーズの言葉ひとつの方が、
よっぽど価値があるかもしれない。

今まで、一回だけプロポーズらしきことを言われたことがある。
「クミコ、一緒に暮らさない?」
彼は、まったくのホモセクシュアルなので、ビックリした。
「ねぇ、でも どうやって 寝るの?」
これはとても重要なことだ。
どうやって、どうして、どうすれば

「いいじゃない、背中合わせで寝れば。」

やっぱりお断りしたけれど、ひょっとするとあれは
彼の本気のプロポーズだったかもしれないと、今は思う。

気の合うヤツだったので、
しばらく会ってないなあ、会いたいなあ、会いたいなあ、
と、ずーっと思ってた。
彼はシャンソニエというシャンソンを聴かせる店のオーナーで、
もうちょっとすると私の出演日。
もうちょっとで会える。もうちょっと。

でも二度と会えなかった。
歌舞伎町の路上で死んでしまった。
車とバイクの衝突事故。
笑っちゃうような、ちっちゃな道で。
最後までドジなヤツだと思った。

そのことがあってから「会いたい病」にかかった。
会いたい、会いたいと思うと怖くなる。
すぐに会わないと二度と会えなくなるんじゃないかと思う。

今でもそう。
がまんできにくい。
大人とは思えない。
そんな私が「大人のポップス」を唄っている。
おかしい。

だけど幸い「蜜柑水」だって「ちょうちょ」だってある。

ところで、「ちょうちょ」に関する私の独断。
アンタを失くしたアタシはクマモトに帰っていくんです。
飛行機に乗って。
どうしてクマモトなのかわからないけれど、
はじめて唄った時から、これしかなかった。

悪しからず。