クミコオフィシャルサイト - Kumiko Official Site

クミコ - ココロの扉をたたくウタ

クミコ日記著作権表示

2000年12月3日

昨夜、おっきいゴミ袋が家の前の集積所に。
部屋に戻り、
「土ように出すなよ。迷惑だよ。」
と紙に書いてベタっと貼る。
先週も土曜日に出したヤツがいて、
日曜日には、ゴミ袋が3つになっていた。
空き缶も転がってるし、ペットボトルもある。
ヒトはゴミのある所にゴミを捨てるのは、平気らしい。

もう、7、8年も前の寒い雨の日、
ピンポンと呼び鈴が鳴った。
やせたおばあさんが、心細げに立っている。
ここのアパートの「大家」だという。
そのヒトは、あわててドアを開けた私を見るなり、
ゴミ当番をしてほしいという。

今までやってくれていた方が引っ越してしまって、
どこかに管理を頼むのもむずかしいので
ここに住んでいる方たちに一人一人お願いしているのですが、
皆さん無理だとおっしゃって、
私はこんな病弱ですし、おじいちゃんもトシで、
お礼はいたしますから、何とかお願いできないでしょうか。

ゴミ当番を自分がすることになるとは
ユメにも思ってなかったし、
その当時ビンボーでもなかったが、
あまりに、そのおばあさんが気の毒だったので引き受けた。

ゴミはやっぱりゴミらしく
こんなもの触るのもイヤだと思ってたが、
そのうち平気になった。
山のような、ヒトのゴミをテキパキ片ずけて
ホースで水をまき、シャカシャカとブラシでこする。
出来ないことが、またひとつなくなったと嬉しくなる。
マンションの管理人でも生きていける。

報酬の2万円は大家さんの家に取りにいくことになっていた。
「沼袋」の駅のそば。
はじめ応対していたおばあさんは、突然いなくなり
かわりに、訳のわからない「息子」が出てくるようになった。
ごま塩のヒゲが首まで生えた息子と、
頑丈そうなボケ気味のおじいさんの二人だけ。

私が行くたびに、家に上がれという。
ずっと断っていたが、ある日上がることにした。
15分以上もたって、やっとお茶が出てきた。
正確にいうと、お茶の葉とお湯。
私にやれということらしい。
お茶をいれて二人に出す。
うれしそうにニコニコしている。
帰りに、庭でとった枝のついた白い花を
おじいさんが、新聞紙で包んで渡してくれた。

戻ってその新聞を開くと
1982年の日航ジャンボ機合同葬儀の記事

一瞬、時が止まった。
でも、おばあさんがくれた割引航空券や、
「南風荘」が、この「サウスウィンド」に立て替わったことや、
少し頭のおかしい息子や、
ポカンとした家の中などを思い出すと、
妙にフにおちてしまった。
古新聞はしばらくとっておいたが、そのうち捨てた。

そして私も引っ越した。
その後のことは知らない。

ただ、その息子が勘違いをして、
私とケッコンする気になったのには困った。
契約書から実家の住所を調べ、
当時親が住んでいた越谷まで
訪ねていったときいた時はキョーガクした。

家から一歩も出たことのないようなヒトが
どんな思いで電車を乗り継いでいったのか。
気味が悪いのを通り越して、切ない。

そして教訓。
よそのお宅におじゃまする時は、気をつけて。
くれぐれもヨメのふりなんかしないこと。

2000年12月10日

神社のそばに住んでいるので、時々お参りをする。
おととしあたり前までは、
「さわらぬ神にタタリなし」といって、寄りつきもしなかった。
ここのところ、信心深くなったようだ。
買いもの帰り、ネギの飛び出した袋を
両足で挟んで手を合わせる。
ちょっとバチあたりな気もする。

今日は、さい銭箱の前に先客がいた。
体を「く」の字に曲げている。
曲げたまま祈っている。
中年のオンナのヒト。
隣りで私が手を合わせている間も動かない。
腰から下だけの、その後ろ姿を見ながら帰る。

4,5日前にいた先客は、
さい銭箱の横にもたれかかるように立って、
ずっとお堂の中を見ていた。
大きな黒いカバンを柵にのっけてブツブツいっている。
ブツブツいいながら、ずっと中を見ている。
そのヒトのあたりだけ、時間が止まっている。

フツーの主婦のようなヒトと、フツーの営業マンのようなヒト。

どうにもならないコトを抱えたヒトは、
こうして神サマのそばに寄っていく。
百人には百様のどうにもならないコトがあるんだろう。

鎌倉には、土地柄、由緒正しい神社が多くあって
時々、連れていってもらう。
霊能力のあるヒトには、いろんなものが見えるらしいが
見えない私は、せいぜいしおらしくこうべをたれる。

江の電の線路近くに、昔、親戚が住んでいた。
幼稚園の頃だろうか、夏休みに遊びにいって
いとこたちと並んで昼寝をした。
その一人が、
「クミちゃん、寝る時、胸のところに手を組んで
乗せちゃぁ、ダメだよ」という。
ダメだといわれるとしたくなる。
ためしに、手を乗せたまま寝てみたら、
苦しくなって目が覚めた。
みんなが寝息をたてている中、夏の風にユラユラと白いカーテンが揺れていた。

ああ、これだったのかと思った。
シンジャウコトに近い気がした。

シンジャウコトは怖い。
夜でも、昼でも、朝でも、怖い。

天井がまたバタバタいうので、
寝たまま、枕元のカーテンをひっぱったら
青空の中、屋根にとまったカラスの尾っぽが見えた。
そしてそいつは、くるっと向きなおると、
窓の中の私をのぞき込むように、くちばしを振った。

こんな冬の朝だもの、
気は強くもたなきゃね。

2000年12月17日

今日は、松本さんのポエトリー・リーディング、つまり詩の朗読会の日。
飛び入り参加をすることになった私に、
クミコ日記の書き下ろしを読めとのお達し。
さてと、困った私にひらめいたのが、2年程前のコンサートの時の紹介文。
捨てるのが大好きな私にとって、こんな一枚の紙くらい、
クミコ日記としてアップでもされない限り、
失くなるのは目に見えている。
一挙両得。

しかし今見てもこんな紹介文ってアリかなぁ。
というわけで以下。

1998年6月13日
「カベ」のこと

「私は貝になりたい」というドラマがあったが、
ヒトは年をとるとどうも「カベ」になりやすいらしい。
うちの父親なども、しばしば興奮すると
もはや聞く耳をもたぬ「カベ」になっていて驚かされる。

そういう時は、ただひたすら、その「カベ」の前で
ジッとたたずむしかないのだが
若いころ読んだ、ある評論家の文章の
「ヒトとして恥ずべきことは、打破する努力なしに
そのカベの前でうずくまってしまうことである」
というのも思いだされ、何が何だかわからない。

先日、ドアノブで首吊り自殺をしたhideというヒトの
「後追い」とかで、家族旅行のさなか、
旅館で同じような死に方をしたファンの女の子の話を
聞いたりすると、これも「カベ」の一つの形ではないかと思ったりする。

発情期のヒトもとかく「カベ」になりやすく、
「カベ」と一緒に旅行していて死なれた家族こそ
気の毒なことだ。

「カベ」は「棒」といってもいいのだが
その前に立った時の無力感を考えると
やはり「カベ」といった方が良いだろうと思う。

「カベ化」している最中のヒトというものも怖く
そういうヒトには、なるべく近よりたくないのだが
そうもいかない。
足の爪先、目の動きから、確実に「カベ化」していく
ヒトを見るのはツラい。

願うことは、私のまわりのアイするヒトたちが
「カベ」にならないことで、
もちろん、私自身も「カベ化」を防ぐ努力を
怠ってはならない。

しかし、時々この唄はこうあるべきだなどと
いっている自分に気づき
「あぶない、あぶない」と
身ぶるいしたりするのだ。

この時の主催者は、すぐに次のコンサートの題名を考えついた。 「クミコのビョーキ、ビョーキのクミコ」 しかし、今だ実現していない。

2000年12月24日

夜。札幌は、やっぱり寒かった。
でも、リンとしていた。

翌日のコンサートに備え、早くホテルに戻ろうと思いながら
その名前にひかれ、「銀巴里」というシャンソニエに行く。
東京から来たというゲスト歌手の女のヒトが
歌の合間に自分のカレンダーを
一部千円で売り歩いていた。

胸にしっかりと抱えているものが、
楽譜じゃないのが、切なかった。

時計台の中は、思ったとおり美しく
思った以上に頑丈そうで
「北海道」の奥深さが感じられるところ。

「これから、唄えると思うとうれしいでしょ?」と
会場に入る前、聞かれる。
ウ・レ・シ・イ。
考えてもみなかった。
冷気が突然口から入ったように言葉がつまった。

無料招待とはいえ、多くのお客様が来てくれている。
こわい。
本番直前に松本さんが
「クミちゃん、コワい顔して唄わないでね」
もう、ボサツになると決めた。

上條さん、土屋さん、吉野さんのすばらしいアンサンブルは
終演後、「イッショー三人バンドだね」と絶賛される。
そのひびきに「五人囃子」というグループも連想され、笑う。

イッショー、一生か。

「情熱」の歌詞に、
「多分、一生悔やむでしょうね」という箇所がある。

この少女はまだこんなに若いうちに
「一生」を感じてしまっている。
「一生悔やむ」といってしまっている。
だから、ここを唄う時いつも切ない。

翌朝、日高晤郎さんの番組におじゃまする。
美空ひばりの「川の流れのように」を流しながら
「この歌、クミコさんに唄ってほしいなぁ」

ろうろうとじゃなくて、大きくじゃなくて
だって人生ってそんなに、りっぱじゃないでしょ。
迷いながら、ぶつかりながら、コツコツと生きていくでしょ。晤郎さんのいう意味がとってもよくわかって
大きくうなずく。

唄うことがウレシイかどうかはわからないけど
幸せだと思う。
唄を通して、いろんなことに気づかせてくれるヒトたちに
出会うことができる。

「一生」や「人生」が、どういうものか今だにわからないけど
「勇気」を胸に抱くことができる。