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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2003年2月2日

「なんばグランド花月」に行ったのは、もう6、7年前のことだろう。
その頃まだ元気だったマルセ太郎さんに、
大阪に行ったら「鶴橋」の焼肉と共に絶対に行っておいでと
いわれたのがキッカケだった。

コテコテの大阪の漫才はどうもね、などと思っていたのが大間違い。
客に向けるエネルギーの大きさと強さに圧倒された。
そして何より驚いたのが、その「客」で、
面白いモノと面白くないモノに対する冷たい程の反応の違い。

その日、どんなプログラムだったかもう思い出せないが、
トリが「チャンバラトリオ」だったことは、はっきり覚えている。

私も知っているグループだったので、心待ちにしていたら
登場前に客がゾロゾロ帰り始めた。
案の定、そのステージは私の目からも精彩を欠いているもので
残った客の何人かは盛んにヤジを飛ばし、
それにステージ上の彼らがいい返す。

「ナンバ花月」は戦場だったのだ。
「生きている芸」を見せなければ、たちまち客はソッポを向いてしまう。
客はライオンのようなもので「死んだモノ」に食指は動かさない。

テレビで「岡八郎」のドキュメントを見ていて、その時のことを思い出した。
アル中、ガン、家庭崩壊という破滅型吉本芸人の再起を
取材したものだったが、その舞台が「ナンバ花月」。
「市岡ナニガシ」から「岡八郎」に変わるために、
いろんなものを犠牲にした、このやせ細った芸人の姿は痛々しく、
時々、目が子供のように光るのが余計哀しい。

「あっちがわ」と「こっちがわ」も、同じ人間の人生には違いないが
うまく行き来できるヒトは少ない。
うまく行き来できない人の芸は、時としてスリリングでワクワクするが
その芸人の人生など、客にはどうでもいい。
いつのまにか、いなくなってしまっても、昨日まであったビルがなくなった時
何のビルだったか思い出せないのと同じくらい風のように忘れ去られる。

芸人がダメになるのは、みんな勉強しないからだ。
本も読まないし、映画も見ないし、社会のことなんて全然わからない。
バカになっちゃダメなんだ。

マルセさんが生前よくいっていた。
芸人のナレのハテの怖さをこのヒトはいやというほど見てきたのだろう。
「大きなプライド」をもたないとダメなんだなあ、
漠然と思った。
「ちっちゃいプライド」じゃなく「おっきなプライド」。
「あっちがわ」と「こっちがわ」を何にも頼らずヒョイヒョイ行き来できる
強靭な精神。
「あっちがわ」の自分も「こっちがわ」の自分も俯瞰できる眼。

NHKの生放送があるという朝、
青空の中、赤い葉を持つ木に緑の鳥が止まった。
下をみると、これまで見たこともない毛の長い白黒のデブ猫が
ノソノソとあぶなっかしく歩いている。

ピョンと跳んでみた。
幸せだなあ、と思った。

2003年2月11日

羽田までもうすぐという飛行機内、前方スクリーンの表示。
計算してみるとあと14分だ。
遠い宇宙からあと15分で着陸という時に、
空に散ってしまったヒトたちの無念さを思い何ともいえない気持ちになる。

この日の朝、札幌で「わが麗しき恋物語」を唄った。
ラジオの「日高晤郎ショー」の公開番組で、
大勢のヒトたちが、それこそ息をひそめるように聴いてくれた。
テンガロンハットのつばの下からのぞく日高さんの優しい目も懐かしく、
2年前にスタジオにおじゃました時も、
こうして寒い冬の朝だったことを思い出した。

その数日前には大阪にいた。
「リッツ・カールトン」というホテルのラウンジでの取材が多く、
出入りをくり返したため、
とうとうホテルのドアマンは「お帰りなさい」といい、
ラウンジの女性は「お待ちしておりました」と
いつもの奥の席に案内してくれた。

取材される側は私一人でも、記者の方々はまったく一人一人なので
気を抜くことも、話をハショることもできない。
はじめて会ったヒトと話をする、
こんなことを大の苦手としていた自分がウソのように、
ヒトはどんなことにも慣れ、鍛えられていくものなのだと感心する。

札幌のホテルでテレビをつけた。
「国民にこの戦争の必要性を説明することなんてできやしない!」
ドイツの外相がアメリカの国防長官にくってかかっているところで、
攻撃は当然とする相手に、このヒトはそれまでのドイツ語を英語に変え
手を振り上げ大声でいいつのった。

「えらい、えらい!そうだ、そうだ!」
早朝の部屋で思わず声を上げ立って拍手をした。
「外交」というマカフシギな世界の中で、
一人の人間としてモノをきっちりいい切れることに感動し胸が熱くなった。

なぜ日本語にこだわるのか、という質問に
「日本人だから」と答えることが多くなってきている。
「ナショナリスト」と誤解されるから止めた方がいいと、
アドバイスもされたけれど、
「アメリカ人でも、フランス人でもなく、日本人だから」
これ以上答えることはないように思う。

私はカッコいい日本人になりたい。
きちんと立って、きちんとモノがいえるカッコいい日本人になりたい。

新宿のデパートでエスカレーターに乗ると、
ちょうど私の目の前で3分刈りの男が、
女のコの耳たぶあたりにおおいかぶさるようにキスをしている。
その男のたるんで二重になった首の後ろに垂れ下がった
青いマフラーのふたつの端っこは、
まるで両方を引っ張って首しめて、といわんばかりだ。

しめてやってもいいんだけどなあ、
ダブダブにずらしたズボンを見て、また思った。

2003年2月19日

シルベスター・スタローンの映画は観たことがなかった。
顔もカラダも作品も、みんな暑苦しそうで敬遠していた。
根性とか血しぶきとかが噴出していそうで怖かった。

そのスタローンがインタビューに答えている。
NHKのBSで時々放送される「アクターズ・スタジオ・インタヴュー」
というやつで、これまで何人かのスターたちを見た。
禅問答のようなヒトや、昔の栄光だけを見ているようなヒトや、
やたらにハシャギまくる自閉症のようなヒトや、
プライドの鎧で中味が見えにくいヒトなど。

スタローンは物静かなヒトだった。
淡々と奇をてらうこともなく、客受けすることを言うでもなく、
誠実に言葉をつなげていく。

最後にあるお決まりの、アクターズ・スタジオの生徒たちからの
質問コーナーでも、実にわかりやすく、丁寧に、親切に答えていく。

「95%のテクニックがなければ自由にはなれない。
瞬間のひらめきも、そのテクニックがあってこそ表現できるのだ。
勉強することだ、トシをとってからでは遅い。」

テレビのこちら側で、アクターズ・スタジオの生徒の一人になった私は
大きく深くうなずいた。
本当におっしゃるとおりです。
ポッカリ歌詞を間違えるなんて言語道断。
練習あるのみです、一に練習、二に練習。

人間のカラダを存分に使った映画を撮りたい。
スタローンはそんなふうなこともいっていた。
CG全盛のナンデモアリの今の映画界は、
それこそカラダひとつでのし上がってきた彼には歯がゆい事も多いのだろう。

CGものは私も苦手だ。
苦手、というより眠くなってしまう。
「マトリックス」は半分寝ていたし、
「ハリーポッター」でさえ、全編頭の中にモワーッと
睡魔が膜を張っていた。

「ゲーム脳」というのがあるそうで、
テレビゲームやコンピューターゲームを一日に何時間も
子供の頃から続けていると、
その脳波は老人の痴呆のそれと同じになってくるというものらしい。

そうなると、モノを考えたり、活字を読んだりすることがおっくうで、
根気も続かず、果てはちゃんと職にもつけずブラブラするという、
まあ、コンニャクのような人生になってしまうらしいのだが、
そういえば、私もコンピューターゲームの「ソリティア」を
毎朝、運だめしのようにするのが習慣になっている。

一回で上がればしめたもの。
スッキリと一日が始まるが、何回やってもダメな時は
カラダ中がどんどん泥の中に沈んでいく気持ちになる。

おっと、いけない、これが人生の落とし穴だと、
あわててパソコンのフタを閉める。
ポッカリ歌詞がとぶのは、どうやらこのせいかもしれない。

見る、聞く、触れる、かぐ、味わう、
ヒトの五感は大したものだ。
生きモノの証明。
フルに働かさないと退化してしまう。

「恋」をするのが一番手っとり早いのだろうが、
とりあえずは「ロッキー」でも観ることにしようか。