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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2001年9月3日

晴天の下の西洋館の前で、私たちは立ち止まってしまった。
そうか、こんな色してたんだ。
今回で4度目、今まで晴れたことがなかった。

いつものように、ヨソのお宅におじゃまするように
玄関で靴を脱ぐ。
実際、この西洋館は数年前まで
館長の渡辺さんのお母さんが住んでおられた。
亡くなられた後、こうして音楽ホールを増設して
コンサートをしているというわけだ。

いつものように、ヨソのお宅におじゃまするように
玄関で靴を脱ぐ。
実際、この西洋館は数年前まで
館長の渡辺さんのお母さんが住んでおられた。
亡くなられた後、こうして音楽ホールを増設して
コンサートをしているというわけだ。

その歌舞伎町で働いていたことがある。
観光名所にもなった「ショーパブ」といわれるやつで、
一階の店の看板には、
バレリーナの格好をしたオトコのヒトやゲイボーイが
ポーズをとってほほえんでいる。

そんな場所でショーの合間、ピアノの弾き語りをしていた。
鏡張りの黒いピカピカの店内は、
ライトに照らされどっちがどっちかわからない。
黒いピアノに埋もれた私もどこにいるのかわからない。

ゲイボーイの唄の伴奏もした。
あまりに見事なオッパイなので、さわらせてもらうと
まるでおわんをひっくり返したようで、
シコシコと妙に固かった。
「オンナみたいにはならないのよ。」
どうでもよさそうにそのヒトはいった。

「エル」というゲイボーイは、その名の通りシャンソン好きで
「トモダチ、コイビト、それともオトウト・・・」と
低い声で、でもひどく心をこめて唄う。
不幸そうだった。
「銀巴里」に入りたてだった私は、この時
このゲイボーイたちと同じように、
シャンソンにも未来はないような気がした。

西洋人のカオをしたこのヒトたちは、
時々キーキーとヒステリーを起こす。
「ホルモン打ってるから、ああなんだよ。」
誰かが教えてくれた。
このヒトたちはホントは生きていない。
このヒトたちが生きているのは、歌舞伎町のビルの一画、
それも夜の間だけ。
観客のタメ息の中、カリモノのカオとカラダで
女王様のように振るまう、その時だけ。
そして、それは夜毎の哀しい綱渡りのようだった。

引きとめられながらも、やっとこの仕事が終わった時は
心底ホッとした。
二度とゴメンだった。
精力剤ばかり売っている薬局や、ホステス専門の美容院の間を
深呼吸して帰った。

総武線に乗り東中野から市川まで43分。
各駅でトコトコいく。
両国あたりから川を渡る。
いくつも渡る。
空がだんだん大きくなってくる。

関東大震災の後、東京の山の手に向かったヒトと
郊外に向かったヒトといるらしい。
西洋館の渡辺さんのおじいさんは深川から移ったという。
戦災をまぬがれた建物がツタをからませて
青空の中に立つ。
オープニングに「青空(マイ・ブルーヘブン)」を選んでよかった。

これで屋根のてっぺんに「アドバルーン」がひとつふたつ
浮かんでいれば何もいうことはない。

2001年9月11日

「あと3枚ですね。」モギリがいう。
前の前のCD「世紀末の円舞曲」の在庫数だ。
1996年に出したこのCDも、もう廃盤らしい。

南千住のコンビナートを背にして
チンドン屋さんたちを従え、大口を開けて笑っている
ジャケット表紙写真が実はとっても好きだった。

再開発前のまだおっきなハラッパは北風が冷たく
すぐに鼻の頭が赤くなった。
メイクさんがあわてて、パフを持ってかけつけた。
ちょうど地下から地上に出る日比谷線の線路が
すぐそばを走り、
乗客たちは、ミョーな格好の一団を不思議そうに見ていた。

越谷に実家があった頃は、必然的にそこを通るので
時々帰るたびに、今度は自分が乗客になり
このハラッパをみつめた。
なぜか胸がキュンとした。
そのハラッパも今は建て物が立ち並んで
空も小さくなってしまった。
わずかな間のことだ。

「小鶴屋さん」というチンドン屋さん3人は、
一組の夫婦と、クラリネットのおじいさんという編成。
クラリネットのおじいさんは、昔、交響楽団にいたとかで
キンキラの着物姿からは想像もつかない。
でも思いつくままいう曲をかたっぱしから吹いてくれる。
ただ、どの曲にもチンドンチンドンというリズムが重なるので
どれも似てしまうのは仕方がない。

撮影も終わりに近い夕暮れの中、
私が先頭に立ってチンドンチンドンと唄いながら
ハラッパを練り歩いた。
そのハラッパのむこうには、もうおっきなマンションが
そびえていた。

私が子供の頃には、いたる所にハラッパがあって、
いつもカケッコをしていた。
何だかわからないが、いつも走っていた。
時々、近所の「デン」という名前のグレートデンが襲ってきて
私たちは、また走った。
必死で走った。
転んでしまう子もいたが、かみ殺されたという話は
聞かなかったので、今思うと「デン」のほうも
この追いかけっこを楽しんでいたに違いない。

母親たちは「コワいわねえ、あのイヌは」といいながらも
誰一人、飼い主に抗議にもいかなかった。
それより、イヌにつかまらないよう早く走れることのほうが
大切なようだった。

いつ来るかわからない危険を察知して、
それをかわす動物的能力。
今の子供より少しはあったかもしれない。

でもねえ、とオバサンになった私は自分の爪を見る。
少し長く整えているため、指先が使えない。
指先でしか感じられない感覚が使えない。
去年の「LIVE AURA」のため
つけ爪をした時はもっとひどかった。
物を取るのも触るのも、指のハラでするしかなかった。
これはやっぱり「退化」だと思う。
動物としての「退化」。

南千住のハラッパの向こうに建つマンションで
出勤する警察の長官が何者かに「そ撃」された。
一命をとりとめた長官はその後
「警察官なのに恥ずかしい」といい、
犯人の逃げ足は動物のように早かった。

2001年9月17日

BSでスティーブン・キングの「ニードフル・シングス」という映画を観ていたら
電話がなった。
ニューヨークが大変なことになっているという。
チャンネルを変えると、そこには信じがたい映像が。
あれから、もう一週間。

「ニードフル・シングス」はアメリカの田舎町にやってきたヒトの姿をした悪魔が
ヒトとヒトの間の憎しみを増長させ、殺し合わせようと企む話だ。
カトリックの神父とバプテストの牧師が同じ「神」の名の下に
憎しみ合い、殺し合う直前に、
1人の冷静な保安官が、銃を空に発射させて、それを止める。
熱にうかされたような人々が我に帰る。

「すべては、あそこにいるヒトの姿をした悪魔の仕業なのだ。
みんな、よく考えてみてくれ。
どうしてこんなことになったのか。
なぜ憎しみ合うことになったのか。
なぜ、報復し合うことになったのか。
一体、原因は何なのか。」

それまで悪魔が仕掛けてきた企み
それは、ヒトラーだったり、原爆だったりのさまざまな戦いだ。
ヒトとヒトが殺し合って、ついに誰も地上からいなくなること、
これがヒトの姿をした「悪魔」のねらい。
一人一人消えていく住民リストを満足気に閉じる悪魔の爪は
白くにごって厚く長く伸びている。

アメリカは偉大な自由の国だ。
「悪」は我々を破壊しようとしているがそんなことはさせない。
我々は「偉大な」アメリカなのだ。
すべての「悪」を打ち倒さなければならない。
「正義」のために。

アメリカ大統領は「悪」と「正義」と「報復」と「戦い」をくり返す。
そしてアメリカ人の8割以上の人々が「報復の戦い」を望んでいるという。

阪神大震災の後もそうだったが
このテロ事件の後も、体から元気が抜けていく気がする。
得体の知れない重い疲れが、雲のように体のまわりをおおっている。
きっとみんなもそうなのだろう。
お互いにしっかりしなくちゃね、などと思っていると
とんでもないヒトもいるらしい。

友人の乗ったタクシーの運転手は、
「久しぶりにオモシロイモノみましたね。」と話しかけてきたという。
「もしボクが富士銀行の人間だったら、後ろから首しめてるよ。」
その後は、沈黙してしまったらしいが、
こんな、ヒトの哀しみへの「想像力」のないヒトは、
頭のどこかにその「想像力」が隠れているかもしれないので
トンカチでトントン叩いて探してあげてもいいと思う。

暗い日々だったが、14日と15日はどこでも秋祭り。
あちこちで「おみこし」が舞っている。
久しぶりに「金魚すくい」をする。
3回トライしたので3匹くれた金魚を持って家に帰り
とりあえずグラスに入れて出かける。
帰ると一匹が外に飛び出して死んでいる。
次の日、もう一匹が浮かんでいる。
残った一匹はせいせいと泳いでいる。
金魚の間でも、何かしらモメ事があったのかもしれない。
なにしろ、限られた大きさの中でのことだから。

「限られた」といえば聖地エルサレム。
どうして二つの宗教の聖地になんかなってしまったんだろう。
しかも、そのどちらもが「キッチリ戒律を守る」ことが最上とされる宗教。
もう少し、ユルユルと、いい加減な宗教だったらよかった
などというのは不謹慎か。

テロの当日、国民に向けた演説の最後に大統領はいった。
「皆さまに神のご加護を」
当たり前の挨拶なのだが、この日はミョーな気持ちがした。

「神」はどこにでもいて、それぞれ違う。
どこの国にもあって、それぞれ違う。

映画のように冷静な保安官が、一刻も早く出てきてくれますように。
それはヒトの姿をした「神」でもいい。
この地上からヒトがいなくなってしまう前に。

2001年9月25日

いつだったか、竹橋にある近代美術館に行った。
何の展覧会だったかも忘れたが、
その中の一点の絵に体が吸いついてしまった。

ただのデッサンのような、キャンバスに黒い線で
ヒトが二人抱き合うように、慰め合うように、
寄りそっているだけの絵。
黒い小山が二つ結がっているだけのような。

題名も忘れてしまったが、たしかそれは
戦いで子供をなくした父親と母親が悲嘆にくれている
というものだった。
今でも「哀しみ」というと、その結がった「黒い小山」二つが目に浮かぶ。

友人の篠井英介さんが、「欲望という名の電車」をやるというので
観に出かけた。
九年位前、上演直前に中止になってしまった、
イワクつきの舞台だ。
オトコが女優をやるのは許せないという、
テネシー・ウイリアムズの遺族からの反対だったとか。

篠井さんの俳優としての執念で、やっと上演できることになる。
やっぱりオトコだねえ、えらいねえ、などと
感心して観ていたが、
暗い灯りの下、恋するオトコのいないスキに
あわてて顔を直すためコンパクトを覗き込む篠井さんを見て
ウッとなった。

あっ、あの「黒い小山」だ。
篠井さんが「哀しみの黒い小山」になっている。

涙があふれた。
セリフもない、ただのヒトの形で「哀しみ」を見せてくれた
篠井さんはスゴい。
古くからの友人ではあるけれど、「やっぱりオトコだねえ」と
また理屈にもならない感心をしたのだった。

精進に精進を重ねると、物事はどんどん
シンプルになっていくようだ。
CMじゃないけれど、「何も足さない、何も引かない」
あるがままで、ヒトを感動させる「充実」をしていくらしい。
少しの仕草、少しの言葉で気持ちが伝わる。
その向こうにある、山のような想いがひとつになる。
ものすごい速さで振られる棒が、
やがて一本に見えてくるように。

私もいつか年をとって、立っているのがやっとになったら
ポツンと一本立ったスタンドマイクの前で、
それこそ昔の「のど自慢」の素人のヒトのように唄おう。
そんなふうに唄えるように精進しよう。

いや待てよ。
それより、「年をとれる」世の中であることの方が大変かもしれない。
何か考えごとをして歩いているヒトをみると、
このヒトも「戦争」のことを案じているのかもしれないと思ってしまう。
今晩のおかずや残った在庫のことを考えているのかもしれないのに。
みんなが「どうしよう」と思っている気がしてしまう。
爽やかな秋晴れならなおさら、
雨でも曇っても「どうしよう」と思う。

先週まで一匹残っていた金魚はついにいなくなった。
絶対的な酸素が不足していたんだろう。
あとには、緑の「モ」だけがヒラヒラしている。
上から覗きこむと、光の具合で「モ」の中に
赤い金魚がまだチラチラかくれているように見えるのだ。