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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2002年5月7日

雨の中、スーパーへ行く。
お米売場で長いこと腰を曲げたまま選んでいたオバアサンが
レジに並んだ私の後ろから突然大声を上げた。
「こんなにレジ停止中じゃ、どこ並べばいいのよ!」
たしかに「レジ停止中」のレジは多い。
でも雨の平日の昼間としてはこんなものか。
「どうすりゃいいのよ、ずっとこれ持って立ってろっていうの!」

お米の袋は重い。
「買物カート」という便利な代物もあるのだけれど
オバアサンの年ではそれもなかなか使いこなせないだろう。
小さなオバアサンの大きないらだちが手に取るようにわかる。
思いのほか、鋭く大きくエキセントリックな叫び声に
他の客も店の従業員もバツが悪くなってゆく。

私の並んだレジの前には、これまたオバアサン。
カゴをぶら下げたままの私にふと気づくと
あわてたように自分のカゴを寄せて、レジ台の上に隙間を
つくってくれる。
「気がつきませんで。ごめんなさいね。」
私はもっとあわてて
「とんでもない。どうもありがとうございます。」
といってその隙間にカゴを置かせてもらう。

オバアサン、私のような若輩者に
そんなに気を使って下さらなくていいんですよ。
もっとエラソーにしてて下さいな。
申し訳ないので心の中でブツブツいう。

別のレジで支払いを終えた、カートを使ったオバアサンが
私たちの横を通る。
オバアサンの多い日だ。
私の前のオバアサンは耳も遠いらしく、通路をどくことができない。
カートのオバアサンは恐縮しながら
「スミマセン、スミマセン」とぶつからないように通り過ぎる。
思わず前のおばあさんのカラダに手を添えた私は
この頃母親にもよくこうして手を添えていることを
思い出す。

オバアサンは一生懸命支払いをしている。
手元がおぼつかない。
カゴにぶら下げてあった傘が落ちる。
拾い上げさし出すと、また丁寧にお礼をいわれる。
またまた恐縮する。

「お米のオバアサン」はどこへ行ってしまったのだろう。
キョロキョロと見渡してみるが、見えない。

年寄り向きにできてはいないこのザワザワした都会の街なかで
生きていくのは、どんなにか大変なことだろう。
日々、思いどおりにならなくなっていくカラダやココロ。
穏やかなオバアサンにも穏やかでないオバアサンにも
その違いはない。

「子供の日」、母親とレストランに入るとコドモだらけだった。
「ギエーン」丸々太ったオトコのコがピチピチと頑丈そうな
若い母親の腕で泣き叫ぶ。
若い母親はあやしながらスパゲッティを口の中に入れてあげる。
静かに食べていたオトコのコは次の瞬間、
全部をビエーッと吐き出してしまう。

「甘えてんのよ。わがままなのよ。」
私の母親はこともなげにいう。
この年寄りは、自分に孫がいないせいか赤ん坊に冷たい。
私も図に乗って
「ああいうのは、一回床に落っことしてみるっていうのもいいね。」
と、先だってあった幼稚園院長虐待事件のような
おそろしいことをいってみる。

若い父親は少しはげかかった前頭部で
「30才すぎるとねえ」と連れの友人にいい訳のようにいう。
太った息子に生気を持っていかれたようだ。

スーパーからの帰り、歩道橋の下に
荷物を一杯持ったホームレスのヒトが立っていた。
雨の降っている間は、ずっとそのままなのだろう。
青いナイロンジャンパーがくすんで、古びた歩道橋の緑色と
見分けがつかない。

「ヒトは生まれたら死ぬまで生きるしかない」
重い残り時間を仕方なく背負ったようなホームレスのヒトの眼差しが
そういっているようだった。

2002年5月14日

小走りに郵便局に行くと、ピカピカにまっ黄色の自転車が
止めてある。
汚れひとつない車輪には、これまたまっ黄色のロープ状の鍵。
先っぽには赤と黄色のアンパンマン。
青空の下、まぶしくて見とれてしまう。

そういえば、昨日の帰宅は今日になっていた。
朝の4時半近くタクシーから降りると
空は濃い群青色に変わっていた。
「朝帰り」なんて久しぶりだなあ、その空の色に見とれる。
一足早いゴミ出しをすると、新聞配達の少女と出会う。
酔っ払いのオバサンは勤労少女を前にちょっとバツが悪い。

「クミコはもっとジョウのある歌を唄うべきよ。」
歌い手同士で飲んだりすることはめったにないけれど
たまにそんなことになると、大体ロクなことはない。
ハイエナの群れに生肉を落っことすようなもので
コロコロワイワイころがる音楽の話題は
時として相手への攻撃になったりする。

ジョウっつうのは、あれですか「情」ってやつですか、
それならおまかせ下さい。
ここんところ、ずいぶんそいつに悩まされましたからね。
まったく「情」ってのは油断もスキもない。
生あったかくて、ぶよぶよしてて、まとわって、
しのびこんで、やっかいで、和菓子のスアマみたいで、
白濁してて、蜃気楼みたいで、急に肩をトントン叩いたりして、
そりゃもうアナタ。

アタマの中が ふきだす「情」カンケーでいっぱいになったので、
もう口から出すべき言葉はひとつもない。
黙ってニコニコ酒を飲む。

「クミコの知性は浅いのよ。」
今度はそう来たので「浅井チセと申します」と頭を下げる。
ボクシングのジャブみたいに、あっちこっちからの攻撃から
身を守るには、ヒラヒラと身をかわすことだ。
ヒラヒラしているうち、だんだんバランスが良くなってくる。
楽しくさえなってくる。

「情」といえば、最もさけたい「情」が「劣情」、
レツジョーだと思う。
ヒトの成功を喜んであげられない時、
才能に嫉妬したりする時、
大きく拍手すべき手を、わざと小さく叩く時、
背筋をレツジョーの寒さが走る。
私は今レツジョーしていると思うとスーッと背中が冷える。

ヒトが立派に生きていく上で一番恥ずべき感情、
それがレツジョーであるような気がする。
赤信号を渡ることとか、
吠える犬に「バカ!」と怒鳴ることとか、
フシダラに身を寄せることとか、
そんなことはどうでもいい。
ヒトとして恥ずべきことじゃない。

恥ずべきはレツジョー。
そんな訳で私は先だって「レツジョー禁止令」を
出してしまった。
どうしても立派に生きたい。
立派に生きて、立派に死にたい。

カチンとアンパンマンの鍵を開けたのは
ジーパンをはいた地味な少女だった。
後ろ姿から彼女の心のハズミがこっちにも伝わってきて
なんだか「よかったね」と思った。

2002年5月21日

他人の死体はこれまで二回見たことがある。
どちらもコドモの時のこと。

一回は砂浜。
溺れて助け上げられたオトコのヒトで、
真夏の太陽の下、うつぶせのカラダが青かった。
かかとまで青かった。

もう一回はかれこれ40年くらい前。
薬学部に通っていたオバに連れられ大学の学園祭に行った時。
プーンと何かしら、でもこれまで嗅いだことのない臭いのする
部屋に入っていくとドデーンと死体が置いてあった。
顔には白い布、お腹の真ん中がパックリ縦に割られて
ヒトの胸の厚さっていうのはこんなに、
と思うほどの頑丈な扉のよう。
死体の向こうには白衣姿の医学部の学生が立っていて
お腹の中についてアレコレ説明をしている。
手にゾーモツを持っていたと思うのだが、
何しろ大昔のことなので、本当にそれがゾーモツだったのかどうかは
わからない。
暗い光の下、厚い扉になって開かれた胸板と
しっかりした肩のあいだが、ミョーにギラギラと青白く光っていた。
ヒトの死体を学園祭で飾ってしまう、そんな時代だった。

「生きている不思議、死んでいく不思議、ゼロになるカラダ」
こんな言葉で唄われている主題歌が気になって
「千と千尋の神隠し」を観にいった。
アニメはほとんど見ないが、主人公のフツー顔に
ひかれてもいたし、
「カオナシ」と呼ばれる妖怪にも会いたかった。

予告編もないまま始まったアニメ映画は
安っぽいセンチメンタルなところのない、深く美しいものだった。
コドモにはコドモへの、オトナにはオトナへの
「歓び」のための鍵をもっていた。

「良かった?」
上映後、立ち上がった隣の席のオトコが、連れのオンナのコに尋ねた。
上映中、不満気にフーフーため息ばかりついていた、
いかにもオタクっぽいオトコ。
セックスの後すぐこう聞くヤツもいるけれど、
それ以上に失礼なヤツだ。
平手打ちにしてもいい。
「ウーン、よくわからない。」
オンナのコが答えた。

奥深い生と死の映画はわかりやすくて、わかりにくい。
「次は?」という問いに
「もうできないかもしれない」と不機嫌そうに答えていた
宮崎監督の顔を思い出した。

コドモに死体なんか見せちゃって、と心配顔のオバと父母をよそに
コドモの私はその夜のごはんをちゃんと食べてみせた。
その頃、若いオバは川口にある我が家によく遊びに来ていた。
おみやげはいつも森永の板チョコ。
苦学生の精一杯の心づくしに私はいつも歓声を上げた。
川口がまだ、「キューポラのある街」だった頃だ。

そのオバが死んだ。
手遅れのガンに、まったく病院に勤めてて何でと母親は嘆いた。

生きている不思議、死んでいく不思議。
本当に不思議だ。
生きていることも、死んでいくことも。
そしてゼロになるカラダのことも。

机の隅でゴミになっていたファービー人形が、
落っことされた拍子に「ファアア—」と起きてしまった。
コイツはまだ生きていたんだ。
あわてて、元に戻し静かにしていると、
「ネムーイ」といってまた目を閉じた。

2002年5月28日

オースン・ウェルズの「市民ケーン」を教育テレビでやっていたので観た。
学生の頃、名画座で観て以来。
当時はわからなかったことや見えなかったものが
今はわかったり見えたりしてくる。
トシをとるのはいい。

たとえば妻が去った後ケーンが呆然と立ちつくすシーン。
歌謡曲の歌詞じゃないけれど、
「愛のうしろ姿」が見えてくる。
愛にうしろ姿ってものがあるのなら、きっとこういうもんだろうと
思えてしまう。

「市民ケーン」を観ながら途中「情熱大陸」も観てしまう。
元ちとせさんという、今注目の歌い手さんのドキュメント。
彼女は故郷の奄美大島の村から出るつもりなど
まったくなかったという。
父と母がそんなことをコドモに思わせないほど
この地で素晴らしい生き方をしているのを見ていたせいだと。
「愛」に囲まれて育った彼女の歌は大らかでたくましい。

「愛」に恵まれなかったケーンと「愛」に恵まれたちとせさんが
チャンネルを変えるたびクロスする。

10年くらい前のことだろうか。
1年に1、2回ではあったが、突然前ぶれもなく
ドオーッという感じで「サミシサ」が襲って来た。
仕事帰り、地下鉄の駅など歩いている時や、
切符を買っている時、不意をつく形でやってくるのでどうしようもない。
もう、さみしくてさみしくて、目がウロウロ、体もウロウロしてしまう。

そんな時、誰かに会っても別段、何ということはないので
この「サミシサ」は、どうやらヒトの持つ「サミシサ」、
「生きるサミシサ」といったものだったのかもしれない。

ここしばらくは、どうということもないけれど
やはり地下鉄は鬼門、いや不思議な場所らしい。
昨日、ドアのところで立ったまま揺られているうち、
またミョーな気持ちになった。

ふと、「生と死」のシッポをつかんでしまったような感じ。
オバの死から、死が慕わしいものに変わったせいもあるが、
この世のことを説明するのに、昔あった地動説みたいに
「この世の果てには、海の水がジャージャー落ちている場所があって
そこがこの世の終わりのところです」と
キッパリ説明されてしまったような。
「秘密なんですけどね、実はね、なあーんにもないんですよ、アッチには」
と耳元でささやかれたような。

ああ、そうか、なあーんにもないのか。
この「なあーんにもない」って感じが、すごくすごくよくわかってしまった。
ドアのガラスに映る自分の顔を見て、
まわりにいるヒトたちを見て、
それからタタリだ、オンネンだといっているヒトたちのことを思い、
宗教上の争いで殺し合っているヒトたちのことを思い、
そうこうしているうちに新橋に着いた。

今日は「昼顔」を唄おうと思った。
「愛しかない時」も唄おうと思った。

一番最初のお客さんは上から下まで白一色、
まるでマカオ帰りみたいなヒトだった。
大声でしゃべりながら、置いてあったCDを全部買い、その上
チップまでくれた。
死ぬか生きるかの大手術をしたという、その太ったカラダには
大きな傷がまだ残っているのだろう。

このヒトもシッポをつかんでしまったのかなあと思った。