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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2001年6月4日

マービンが帰ってきた。
いなくなったイヌが戻るなんて、実は誰も思ってなかった。
とうのおにいちゃんだってそうだ。

久しぶりに現れたマービンは、あいかわらず
バフバフと飛びかかり、ディープキスをくり返す。
何ら変わったようには見えなかったが、
おにいちゃんは「やせた」と断言する。
床にベッタリへたりこんだマービンは
でもやっぱり長旅の後のようで
「いろいろ大変だったね」となぐさめる。

ふた月近くの失踪。
思い余って、占い師さんに聞くと、近くにいるというので
おにいちゃんは、散歩で出会うたび、マービンを
なめるように撫でまわしたオバサンに照準を合わせた。
自分のマンションの部屋から、いつも道路を見下ろして
そのオバサンが通るのを待ちうけた。

そしてついに発見。
あとをつける。
案の定すぐ近くのマンション。
でも入口の防犯カメラを見てそこで引き返す。
どっちが怪しいヒトだかわからない。

あんな狭いとこにマービンがいるわけないよ。
散歩もさせないで部屋に置いとくわけないじゃない。
それにマービンだって「ワン」くらいいうよ。

おにいちゃんもそう思って、またあきらめかけた時
電話がきた。
コンピューターには、からきし弱いおにいちゃんに代わって
彼の友だちがインターネットで「犬探し」をして
くれていたのだった。

山手通りを車で通ると、黒いリードをつけたイヌが
フラフラ歩いていました。
見たところ、高価そうなイヌで、どうも気になり
車を止め、ドアを開けると、うれしそうに飛び乗ってきました。
そのまま家に連れ帰り、面倒をみるうち情が移り
それでも、きっと飼い主のかたが探しているだろうと、
インターネットを見たところ「探しイヌ」として登録されている
ことを知りました。
近くのケンネルに聞くと「ボストンテリア」とはいわなかったのですが、
とても似ています。
今晩11時にお会いしましょう。
イヌを連れていきます。

ガセネタかもと、心配したトンカツ屋のご主人が
仕事の後おにいちゃんを車に乗せ一緒についていった。
以前、おにいちゃんは、新宿のヤクザとそのオンナの二人連れに
「イヌ探し」をネタに何万円もとられてしまっていた。
今度はそんなことさせない。
イザとなったら、知り合いのそのスジのヒトに話はしてあると
トンカツ屋のご主人は心強い。

こうして白金あたりの犬連れオーケーのオープンカフェで
イヌとヒトが対面した。

やっぱりマービンだった。
他にたくさんのイヌもいたせいで、すっかり興奮したマービンは
こともあろうに、トンカツ屋のご主人の手にかみついてしまった。

元の飼い主のもとに戻って、うれしいんだか、ホッとしてるんだか
あの顔じゃわからない。
もしかしたら、お金持ちのヒトの所にいたほうが、家も広いし
よかったかもね、などと無責任に私たちはいい合った。

「奇跡だね」というと、おにいちゃんはやっぱり涙ぐむ。
イヌのことは忘れて、一人の人間として、自分のことだけ考えて
生きていくといっていたおにいちゃんだったが
そのチャンスはまた遠のいてしまった。

今度はきっとマービンが死んじゃう時。
あと10年くらい後のその時のことを考えると
ヒトゴトながら、身も心もガックリと重くなる。

飼うならヒトに限るね、イヌより長生きするしさ、
働きにも行くし、憎しみ合って別れることもできる。
イヌじゃそうはいかないもんね。
飼うならヒトだね。

同意を求めてとなりのヒトを見た。

2001年6月10日

駐車場いっぱいに、アジサイが咲いている。
アジサイに罪はないけれど、
この花が花屋に並びだすと、いつもがっかりする。
雨の季節の到来だ。
ついでにいうと秋の彼岸花もがっかりする。
見るからに、さみしくて、コワい。
あの世に近づいている気がする。

梅雨に入った何日か前、どしゃ降りにあった。
ちょうど、折りたたみ傘を持っていたものの
強い風雨には逆らえない。
ビルの入口で雨やどりをする。
目の前を学校帰りの子供たちがずぶぬれで歩いていく。
上から下までうらやましいほどビッショリ。
ランドセルを頭に乗せているコもいるが、
本人も、もうどっちでもいいような様子。
わざとゆっくり歩いているコもいる。

小学校の頃、明日から夏休みという日、
友人と二人で田舎道を歩いて帰った。
突然ものすごいどしゃ降り。
はじめはキャーキャー走っていた私たちも
あまりの雨にあきらめた。
あきらめたら、うれしくなった。
びしょぬれの姿をお互いに笑いながら
水たまりでわざとジャバジャバ跳びはねた。
成績が下がった私は、帰ったら親に
こっぴどく怒られるはずだった。
その通信簿ともども、ランドセルが水びたしになった。
おかしくて、おかしくて、いつまでも笑った。
それから重くなった体で、偉大なガイセンシャのように
家に帰った。

「いい想い出になるよ。」
びしょぬれの子供の背中に、聞こえないように声をかけた。
人智を越えた自然にホンローされ支配される、
開放感と歓び。
エアコンの宣伝コピーじゃないけれど、
「アア、もうどうにでもして」ってとこか。

雨には縁がある。
私の生まれた日は台風の当たり日で、
事実、私も「洞爺丸台風」の中で生まれた。
「洞爺丸」という青函連絡船の転覆で
多くの人が亡くなった台風だ。

その青函連絡船の中で唄ったことがある。
もう10年も前だろうか。
港につながれた、天井の低い船内のホールで
多勢のヒトがいくつもの丸いテーブルを囲んでいる。
青森放送の主催だったので、録音もされているというのに
ステージ最前列のテーヴルのヒトたちは
私の唄うあいだ中、騒ぎっぱなしだった。

こんなこともあるさ、仕方ないさと、ステージを降りると
伊奈かっぺいさんが怒った。
こんなことだから、青森はバカにされるんだ。
ちゃんとヒトの唄を聞くこともできないなんて。
文化がない。恥ずかしい。

かっぺいさんを見たくて、みんな来てるんだから
しょうがないですよ、といってみても
かっぺいさんの目は哀しそうだった。

今夜はサッカーの決勝。
雨にならないといいなぁと思っていたら
雷も鳴ってザァーッと降りだした。
サッカーに興味はないのだから、どちらでもいいようなものの
そういえば、前回のどしゃ降り試合の後
水をしたたらせながら、インタビューに答える中田選手が
ミョーにセクシーだったことを思いだした。

雨も、いい。

2001年6月18日

「いずみたく」さんのお葬式でのこと。
お焼香のあいだ、彼の作った曲がBGMで流れていたが、
それまでの曲が「いい湯だな」に変ったとたん、
参列者の足どりが急にウキウキと早くなったと、
彼一流のユーモアで永さんが話すのを聞いたことがある。
そりゃぁ、たくさんの曲を作っているのだもの、
いろいろあると思っても、やっぱりおかしい。

それからしばらくして、
「銀巴里」の先輩歌手のお葬式があった。
美声のカンツォーネ歌手だった彼の歌が式場に流れる。
美しくて哀しくてドラマチックなその歌声は
いやがおうにも、みんなの涙を誘う。
控え室で泣きながら、ふと思った。
私の場合。

私のCDには「茶目子の一日」も「満州娘」も
入っている。
「いい湯だな」もおかしいが、ストーリー性のあるぶん
「茶目子の一日」も相当ミョーじゃないだろうか。
その時、お葬式に似合う録音物は
やっぱりあったほうがいいと思った。

「クミコ、カタロニアからもう一年だね。」と
上條さんから電話が入る。
本人よりよく知っている。
あの時サーキットで歌った「鳥の歌」は今も唄っている。
唄っていられることは、幸せなことに違いない。
大切なヒトたちが、死んでしまったら
きっと唄えないだろう。
つらくて、つらくて、唄えないだろう。

夜、小鳥屋の前を通りかかると、
黄色いインコと緑のインコがくちばしを合わせて眠っていた。
以前、家族が手乗りのオカメインコを飼っていたことがある。
ことわりもなしに、頭や肩に止まって、
フンをしたり、耳をつつくので大嫌いだった。

そのオカメインコは、メスだったらしく、
いくつも、いくつも卵を産んで、産み疲れて
ある朝、羽根を広げて鳥かごで死んでいた。
いなくなって、本当はとってもスッキリしたのだけれど
なにか哀れだった。
いくらメスだからって、あんなおっきな無精卵を
いくつも産みつづけて死んじゃうなんて。

そうかと思うと、子供の頃買ってもらう夜店のヒヨコは、
どこでもそうであるように、
すぐに死んじゃうか、不気味な固い羽根が生えてきて
ビックリするか。

私の場合もそう。
近くの農家にあげたら
クリスマスにローストされて戻ってきた。

鳥は哀しい。

春先に夫を亡くした友人に、帰京の際
おみやげとして「お帰りなさい」を渡した。
「鳥の歌」の入っているものは、さすがに気が引けた。
ところが、友人は、その「お帰りなさい」を
お葬式のあいだ中、流しつづけたという。
みんなが、いい曲だといい、
とうとう香典返しを「お帰りなさい」にしてしまった。

うれしいことはうれしかったけど、
亡くなったヒトに「お帰りなさい」は正しかったのかどうか。
今でもよくわからない。

ま、いいか、お盆もあるし。

2001年6月24日

前を歩く小学生のオトコのコ二人が、後ろをやたらに振り返る。
はみだしたTシャツにパーカー、
サングラス姿のオバサンは、やっぱりアヤシイのだろうか。
何だかおかしいので、後ろのポケットに手をつっこんで
カギをわざとジャラジャラさせてみる。
ドキッとする様子をみて、おもむろに取り出す。
ザンネンでしたー、カギでしたー。

刃物オトコと刃物オンナの事件以来、
すっかり子供がおびえ、守られるべきものになった。
これまであまりに、ボージャクブジンなガキが
多かったので、ちょっといい気持ち。
電車に乗っていても、オヤジにしかみえない、
世の中をナメたガキを見るたびにむかついていた。

電車といえば「山の手線」
私の知る限り、この線が一番あらゆる日本のヒトの乗る線だと思う。
日本そのもの。
他の線だとこうはいかない。
乗客にある種の共通した雰囲気が漂う。
その点、「山の手線」はすごい。
あまりに、いろんなヒトが乗っているので
逆にここはどこだろうと思うこともある。
土曜日や日曜日はもっとすごい。

その土曜日に「山の手線」に乗った。
「新大久保」から「田端」までのわずか15分。
ドアが開くと、おっきなカメのような物を入口に置いて
オバサンが立っている。
見たこともない茶色のカメ。
中にキムチでも入っているのだろうか。
まわりを見ると、どうも外国のヒトが多いようだ。
でも不思議なくらい静か。

「高田馬場」に着く。
押しだされたついでに違う車両へ。
前に座っている、よく似た格好のオンナのコは
友だちではなく、別々に席をたつ。
さすがに血は争えない、よく似ているなどと感心している内
そのヒトたちが、まったく別々に降りていった後の
恥ずかしい気持ちを思いだす。
思い込みはキケンだ。

池袋で急にすいて席にすわる。
足を踏まれる。
踏んだオジサンは、赤ら顔でニコニコしながら
向かいの席のオンナのコに声をかける。
オンナのコはロコツにいやな顔をする。
「ありがとう、ありがとう」とオジサンはニコニコしている。
やがて空いた席にすわったオジサンは今度は隣りのオンナのコに話しかける。
寝たフリをしている。
オジサンは生まれて始めて電車に乗った子供のように
斜めずわりして窓の外をニコニコ見ている。
スーツ姿のオジサンが前に立つ。
また話しかける。
ちゃんと答えてくれたので、すっかりうれしくなったオジサンは
聞かれもしないのに、さかんにトチギのキリュウのことを話しだす。
キリュウ、キリュウといっている。
「桐」に「生」まれると書く美しい地名と、距離と、オジサンが重なる。

「巣鴨」で私の隣りの席に、短パンの森元首相みたいなオジサンがすわる。
急に何か大声でいった。
私の右前方に立っているオトコのコにいっているらしい。
オトコのコは何もいわない。
目も合わせない。
しばらくしてまた声をかける。
「アニキもバカだよなぁ。一緒にくれば5000円もらえたのに、ナァ。」
モリさんは父親なのだ。
このデブのおっきな息子は5000円のために、
あるいは、そんなことをいう父親のために、
冷たい目をして一緒について来たのだ。
オヤを無視するコドモと、コドモに無視されるオヤと。
どちらも哀しい。
姿、形が似ているぶん、よけい哀しい。

「田端」に着く。
ここから乗り換えて「王子」に行くのだ。
停車したところが、ちょうど昔、安アパートを借りていた頃
使っていた南口。
これも何かの縁と思い、途中下車する。
25、6年ぶりに改札口を出て石段を上る。
アパートは影も形もない。
石段の上から見ると、おっきな空の下に、
たくさんの線路が広がっている。
あの頃と同じ風景。
ジーンとしたので、深呼吸する。

友人のシャンソンリサイタルの前に、
私はすっかり「旅」をしてしまっていた。