クミコオフィシャルサイト - Kumiko Official Site

クミコ - ココロの扉をたたくウタ

クミコ日記著作権表示

2003年3月3日

「制服の胸のここには」といった題名の青春小説があったように思う。
たしか、中学生の頃で
胸のここって、この辺のことでしょといってはキャーキャー騒いだ。
他愛もないことだ。

「胸のこの辺がキューッとなる歌が唄いたいの」
昨夜、近くのバーで友人と飲んでいて口走っていた。
暗い店内に「クライ・ミー・ア・リバー」が流れている。
「川が流れるほど泣いたわ。あなたのせいで」

川のような涙か。
去っていく後ろ姿に「またね」といった後、
ボウーと溢れつづける涙の量にウロウロうろたえたりすると、
あながち、川のような涙というのも嘘じゃない気がする。

博多でフグを食べた。
市場会館というビルの中にある店で、
地元のヒトはもちろんだが、
壁一面の色紙を見ても、いろんなヒトが来ているらしい。
マイクを前にした女性の絵が描かれたものは石井好子さんだった。
心臓に毛の生えたようなマークのついた
自分のサインを思い出して赤面する。
名前が簡略化する毎に、どんどん「マ」のもたないモノになっている。

玄海灘のバンツマのようなオヤジさんが現れ、
取り立ての皿一杯の白子をバババと鍋に入れた。
アレアレと目を見張っていると、「白子酒」を飲んだことがあるかと聞く。
ないというと、早速作ってきてくれる。
甘酒の酒粕が白子に変ったようなもので、その旨さときたら。
これは悪魔の酒だ。
人生投げかねない。

最近、心臓バイパス手術をしたという短い白髪頭のオヤジさんは
東京にはいない潮の香りのするオトコで、
開いたシャツの胸のまん中に、
一本タテにスーッと傷跡が走っている。
突然、このヒトの「後妻」になりたいと思う。

「赤い地の果てに あなたの知らない
愛があることを 教えたのは誰」
ベトナムの歌「美しい昔」の出だしの歌詞だ。
ベトナム戦争の頃に作られた歌で、
大阪のライヴではドキドキしながら初めて
この歌詞で唄った。

時代を背負った歌は唄っていてこわい。
歌を超えたナニモノかが歌のまわりにビッシリと
オーラのようにはりついている。
そういう歌は「畏敬」という言葉でいえるかもしれない想いで唄う。
唄わせてもらっています、どうもありがとう。

それにしても赤い地の果てにある愛なんて一体どういうものなんだろう。
ふと、博多のオヤジさんの胸の傷跡を思い出した。
何だかわかんないけどああいうもんかもしれないと思った。

2003年3月11日

「どこにでもいくわよ。」
前を歩いている酔っ払いのオバサンがいう。
オバサンといっても、もうオバアサンに近い。
隣りのオジイサンに近いオジサンは
「お連れしたい所があるんですが」と生真面目だ。
セブンイレブンで買ったおでんを片手に
やっぱり酔っ払いの私も思った。
「どこにでもいくわよ。」

大阪のライヴで「空虚のモグラ叩き」と
MC(途中のおしゃべり)でいってしまってから
「空虚」はより深く、より広く現れるようになった。
ゲームセンターの「モグラ叩き」を何より得意としている私だが、
目に見えないモノには弱い。
叩いて消してゆく達成感がない。

先日、友人からテレビドラマ化された「センセイの鞄」のビデオを
借りた。
最後、主人公が形見になったセンセイの鞄を開ける場面がある。
小説では、
『そんな夜には、センセイの鞄を開けて、中を覗いてみる。
鞄の中には、からっぽの、何もない空間が、広がっている。
ただ儚々とした空間ばかりが、広がっているのである。』
と書かれている所で、
ここにくると、いつも不覚にも涙がこぼれおちる。

ドラマで主人公を演じている小泉今日子は、
鞄の中に広がる闇の中でウーという声と共に泣いた。
そのはじめのウーは、ウーというより生き物のうなり声のようで
とっさに胎児のはじめて出す声を思った。
ヒトがいつかは帰っていかねばならない闇と、
その大きな闇の中から生まれるヒトの声。

この小説で泣くヒトと泣かないヒトがいるけど、
とビデオを貸してくれた友人夫婦の夫がいい出す。
この違いは、夢をよく見るヒトと見ないヒトの違いなんだよ。

確かに、この友人夫婦の妻も私も夢ばかり見る。
彼女の場合はヒザから下がないヒトたちが
たくさんで歩いてくるというような
まあ、気の毒としかいいようのない夢もあったりするが、
夫の方は、ほとんど見ないという。

空気感というか、行と行の間のフワフワ漂うモノ、
エアーポケットのようなスキマにポッコリ入ってしまうと
「不覚」に泣くのだが、
この感覚は、この世とあの世の狭間を行き来する
もしかしたら「空虚」という名であらわされる通路で、
パッタリ止まって回りを見渡してしまったような、
心寂しい感じに近いかもしれない。

オジイサンに近いオジサンとオバアサンに近いオバサンが
肩を並べて闇に消えてゆく光景は、
その昔、よく流れていた「フルムーン」のコマーシャルにも似ている。
年老いた男と女が手に手を取って旅に出る、というやつだ。
このコマーシャルを見るたびコワかった。
行き着く先を考えてコワかった。

夢見る頃を過ぎても過ぎなくても、ヒトは夢を見たがる。
アメリカで夢を実現しようとする松井選手の報道過熱ぶりを知ってか、
オープン戦でホームランを打ったイチローがいった。
「お客さんは、やっぱりホームランが好きみたいですしね、フ、フ、フ、」

この最後の「フ、フ、フ、」が、記者会見の時の福田官房長官の
含み笑いにとてもよく似ていたのだった。

2003年3月19日

テレビから「仰げば尊し」の歌が流れてくる。
童謡の番組らしい。
画面に「おもえばいと疾し この年月」のテロップ。

知らなかった。
「いととし」が「いと疾し」だったとは。
この歌を唄ってからもう30年はたつ。
モノがわかるのにも時間がかかる。
全く「いと疾し」の人生だ。

それはともかく卒業式で、先生が生徒に
この歌を強要するのは、やはりちょっとミョーだ。
自画自賛みたいで恥ずかしい。
「恩」を感じる「我が師」など、いない場合も多い。

それどころか、ザッと思い返しても
セクハラ教師、暴言教師、保身教師、泣きおとし教師など、
ロクでもない教師ばかり見てきた私としては
何いってんだか、という感じもある。
それでも時々は、尊敬すべき教師もいたりするので、
その時はそのヒトのために唄う。

私の好きな教師はプロの教師だ。
感情に左右されることなく、ただキチンとモノを教えてくれるヒト。
生徒と適度な距離を保ちつつ、知る喜びを与えてくれるヒト。

これがなかなかいない。
つまらない授業をする教師ほど、突然底の浅い人生論を語ったりする。
そして、こういうヒトは大体、寄せ書きに大きく「根性」と
書いたりするのだ。

中学の時、教師がみんなに尋ねた。
「ココロはどこにあると思う?」
生徒はみな心臓の辺を示した。
「じゃ ナカネさんは?」
スクッと立ったナカネさんはいった。
「ここです」
アタマを指した。

やられた!みんなが思った。
ココロはアタマの中にある。
心臓ではモノを考えることはできない。
ココロなんていうと抽象的に聞こえるけど
すべてはアタマの中で考えること。
ナカネさんの賢さと、ココロはアタマという、
このさっぱりとした明快さは私をひどく感動させた。

なぜ「教育」があるのだとしたら、
それは「生命は大切である」ことを学ぶためなのだろう。
アタマというココロ、ココロというアタマで
ヒトが培ってきたヒトとしての明快なルール。
「ヒトはヒトを殺してはいけない」
後にも先にもこのことを学ぶために「教育」はあるのだろう。

テレビ画面からイラク攻撃を告げるアメリカ大統領のいってることは、
だからサッパリわからなかった。
愛だとか平和だとかいってることが、サッパリわからなかった。
子供みたいに無邪気に見える顔がコワかった。

アッタマきちゃうなぁ、思わずつぶやいた。

2003年3月27日

「街に唄が流れてた」という曲がある。
三拍子の軽やかな、でも力強いエディット・ピアフのシャンソンだ。
イベントと称される、本来歌を聴かせる場所ではない所で唄う時、
いつもこの曲の題名を胸に置く。

先週の末には、ディズニーランドのある「舞浜」での屋外ステージ、
昨日は八重洲地下街の特設ステージ。
道行く何のカンケーもない人々に向かって、
足を止めさせ歌を聴かせる作業というのは、
よくよく考えれば考えるほど足がすくみ逃げ出したくなるもので、
こんなの、私の歌には向いてないよ、とつい言ってしまいたくもなる。
つい、言ってしまったこともある。

その時さとされたこと。
「クミちゃん、いつもいってるじゃない。
街に流れる歌が唄いたいって。」

そう、歌は街に流れるべきものだ。
ピンスポットの中でだけじゃなく、どこの街にも流れるべきものだ。
それは私が子供だった頃、
大人も子供もみんなの口をついて出たような歌たちの想い出でもある。
たなびく煙や霧のように、
あの街にもこの街にも静かに深く降りていって
人々の心をうるおすもの。
それが街角に流れる歌だった。

「あなたがーかんだーこゆびがーいたいー
きのうのーよるのーこゆびーがいたいー」
こんな歌を大声で唄いながら学校から帰った。

「ねえ、小指ってどこの?」
「足だったりしてね」
「足の小指かんじゃうのかあー、大変だね」
ギャハギャハ笑った。

当時の流行歌(はやりうた)は子供の知らない、
何かしら大人の秘め事が隠されているようで何ともうれしかった。
大声で唄う私たちを、大人たちがそれこそ「眉をひそめる」ように
するのも面白かった。
果てしない味の、おっきなアメ玉をしゃぶっているようでワクワクした。
知らないことは楽しかった。

季節はずれに冷えこんだ、夜の舞浜イクスピアリの屋外ステージに立つと
ちっちゃな子供の姿が見える。
その子がステージ後のサイン会に母親と現れ、
「これ下さい」とCDを差し出した時はびっくりして、もちろんうれしかった。

「聖奈ちゃん」とサインをする。
男の子だったことは、このHPの「観客席」への書き込みで知った。
「幽霊」をもう覚えてくれたそうな。
「つぶれたトマトじゃない しおれたキャベツでもない」なんて詞を
どう、唄ってくれているんだろう。
なんて幸せな歌。

「ガタワンウェーティキテゥーザブルー」と
ニール・セダカの歌を唄っていた、聖奈ちゃんの年の頃の
自分の姿が浮かんだ。