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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2004年6月4日

「“親”という世間」

やれ、テレビに出るだの、ラジオに流れるだの、新聞に記事が載るだの、といったことを、いちいち親に知らせる必要はないものと思っていた。もちろん親戚にも友人にも、それはいえることで、モノゴトが「世間」に認知されていくというのは、別段、本人が一生懸命通知せずとも、知らず知らずのうちに耳に入ってくるもの、それがいわゆる「有名」になることだと思っていた。

おかげさまで、こんな私でも、三年前よりは、ほんのちょっぴり認知度も上がったらしく、ばったり出会った知人に「ずいぶん、ご活躍されていますね」などといわれ、恐縮する場面も出てきた。そうすると、自分の娘が何を唄っているのかもわからない、あるいは行きつけの花屋さんや床屋さんの「お宅のお嬢さん、昨日見ましたよ」という言葉にビックリさせるのも、あまりに親不孝のような気がしてきて、ここのところはマメに知らせることにしている。

「世間」というものがはたしてどういうものなのか、シカとはわからないのだが、私にとって「世間」とはどうやら「親」であるともいえそうだ。母親が突然、「自己責任」とかいいだし、「小泉さん頑張ってる」とか「この頃、時代劇が少ない」とかいっているのを、お茶を飲みながら聞いていると、まるで「世間」そのものに向き合っている気がしてくるから不思議だ。

「そりゃあ、ちと違うだろう」と説得したり腹を立てたりしてみても仕方がない。相手は「親」ではなく、世間なのだ。 逆にフームと感心したり驚いたりもする。「世間」の奥深さはタダモノではない。先だって、ナマで唄う番組のあることを事前にいい忘れてしまった。当日の新聞の番組欄に名前も出ていることだし、他の誰かから教えられることもあるかも、とタカをくくって放っておいたら、放送後もナシのつぶて。全く知らなかったという。まだまだ「世間」は果てしなく広い。

2004年6月18日

「見覚えのあるオンナ」

夜道を歩いていると、路地裏からヒョイとオトコのヒトが現れた。プーンとシャンプーの匂いがする。腰まで届く長い髪にジーパンの後姿。ア、 ナントカ君、と呼びとめそうになる。 ナントカ君のナントカってナンだったっけと考える一瞬ののち、大きな間違いに気づく。そのナントカ君に会ったのは、もうかれこれ二十五年も前の話だ。

ナントカ君はたしかバンドのベースを担当していて、その当時「青年」だったはずだ。 小説か漫画の一コマのように、私のまわりにグルグルと時空の渦が巻き起こったみたいだった。こんなことが、ずいぶん前にもあって、その当時私は大学生だった。通学の途中、地下鉄に乗り込むと、どうも見覚えのあるオンナのヒトが座っている。だいぶ疲れているようだ。さり気なく、そのヒトの前の吊り革にぶら下がって思い出すうち、ハタと分かった。「私」だった。年をとった「私」だった。

まあ、どちらの話も、単に思い込みというか、錯覚というか、その程度のものなのだけれど、しばらくの間、頭の中がクラクラとして奇妙な夢の中にいるような気になる。人生の「禁じ手」を犯してしまったような気になる。こういう商売をしていると、時たま「昔の友だち」というヒトが現れて、ヒョッコリ楽屋を訪ねてくれたりする。あるいは「昔のオトコ」というヒトも声をかけてきてくれたりする。古いところでは小学生の時以来、新しいところでも二十年ぶりくらい、といったところか。

「ハハン、なるほど」というヒトも「エ、どうして」というヒトもいて、その来し方の様々が、あるヒトは破線、あるヒトは直線、またあるヒトは曲線といった具合にみてとれるのがおかしい。電車の窓ガラスに映るオンナが、その昔出会った「私」に見える時はコワい。こんなことでなるものかと身震いし、目に力を入れる。「私」との戦いなのである。