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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2007年10月6日

「“壁”になった人」

「ホントの話」とか「正直いって」とか、話の中にしょっ中入れる人がいる。ナントカカントカホントの話、ナントカカントカ正直いって、という具合に、大体は末尾につけ加えられる。そして、こういう人の話はたいていがウソであるというのはホントだ。

最近、テレビでそういう場面を見た。弟子を死なせてしまった「親方」が事件発覚後のインタビューで、これはまったくの事故であるといっている最後に「正直いって」をつけた。

この親方、昨日今日親方になったのではない、年季の入った顔なので年齢はと見れば57歳。私とは大学の先輩後輩くらいの年の差だ。ちょっと上のダチといえなくもない。ぶ厚い壁のようなその物腰から若い日を想像するのはむずかしい。

若い頃オジサンが苦手だった。それもエラソーなオジサン。社長とか会長とか理事長とか。そういう人の前に出るとヒクツに体が斜めになる。どうせ話せる言葉なんかないんだからとスネる。ちなみに私が唄い始めた「銀巴里」というシャンソン喫茶の社長は、私に声をかけたことも目も合わせたことも、一回としてない。嫌うから嫌われるのか、嫌われるから嫌うのか。

だから世の中じゅうがオジサンだらけの、あの日々は息をするのが辛かった。息苦しかった。

ところがここ数年やけに居心地がいい。スースーと風通しがいい。何のことはない、自分がオバサンになったからだった。社長も会長も理事長も、大きなククリでいえば、みんながダチの年齢になっていたからだった。それでもエラソーなオジサンは生息していて、ワカゾーの日々を推測できない人は多い。壁化している人の言葉はやはり壁の言葉にきこえる。コチコチ叩いて割ってあげると中から本物の姿と言葉が現れるらしい、ホントの話。

2007年10月20日

「大したもんだなあ」

はじめはネコの鳴き声かと思った。あまりに頻繁なので、よくよく聞くと赤ちゃんの泣き声らしい。そのうち、ちっちゃな肌着がベランダに干されるようになった。

隣の部屋の住人が、どういう人たちかは知らない。たしか愛想のない女の子がいるはずだ。ということは、その愛想のない女の子が、クルマは見たことがあるが顔を見たことのない夫との間に、赤ちゃんを作ったということだ。

大したもんだなあ、と思った。きちんと次世代の人間を作り、生活をしていこうとしているのだ。社会のアラマホシキ形を、あの若い女の子は具現しているのだ。根なし草のような、不良オバサンのような私とはえらい違いだ。

ついこの前まで、色とりどりのセクシーな下着が揺れていたベランダは、すっかり様変わりした。母乳の染み出すのを防ぐパットのようなものも下がっていて、一生そんなものを使うことも、使ったこともない私は、ただ畏敬の眼差しを送る。

そういえば、いつもお世話になっているヘアメイクの女性も、今年双子の赤ちゃんを産んだ。昔で言えば高齢出産。様々なリスクもあったけれど、見事母親になった。

不思議なもので母親になると母親の顔になる。それ以上に女として一回りも二回りもスケールの大きいモノになった感じがする。まあ、「人間」を作ってしまったのだから仕方ない。自分のカラダから生命を産むなどという経験をしたら肚もすわるというものだ。

いつまでたっても肚のすわらない私にできることは、これらの赤ちゃんたちが無事育っていく環境を作ってあげること。いい加減だったゴミ分別も念入りに、こんなことしたってブッシュがいるうちはムダさ、などと投げやりにならず、未来を信じるしかない。ワンパクでもいい、愛想がなくてもいい、たくましく育ってね、お隣りの赤ちゃん。