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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2005年7月2日

「神に捧ぐ歌」

やっと見られる、と思ってビデオをセットするが待てど暮らせど映像が現れない。
まさか、ビデオデッキを覗くと肝心のカセットが入っていない。空回し録画をしていたということだ。

6月24日は美空ひばりの命日。それに向けて様々な番組が作られていたが、私が見たかったのもその中の一つ。ドキュメンタリー風のもので、若くして貫禄を身につけるにいたったのはなぜか、みたいな新聞の紹介記事に、これはぜひとも見なければならぬと思っていたのだ。

需要と供給のバランス、という言い方をするなら、私などはまさに需要のない唄い手に違いなかった。たまにやるコンサートでもせいぜいが百人程度。つまり世の中で私の歌を必要としている人間は百人ということになる。通常の小さなライブハウス、いわゆるシャンソニエでは10人に満たない日もあった。

ウソかホントかお客が少なくなったので美空ひばりが唄いたくないといっている、と聞いたのはいつだったか。暴力団がらみの強いバッシングの少し後だったか。美空ひばりは常に求められる唄い手だった。あっちでもこっちでもお腹をすかせたヒナ鳥のように
民衆は美空ひばりを求めていた。求める人に求められる歌を唄い続けること。何千回も唄っている曲を決して崩すことなく「楷書」の形で唄い続けることの難しさを思っても、彼女はきっとお客の向こう側に「神」を見て唄っていたに違いない気がする。いや、もしかしたらお客の形をした「神」たちに歌を捧げていたのかもしれない。

その命日、久しぶりに唄うシャンソニエで私はグチャグチャになっていた。歌詞が出てこない。ああ、これだからあの番組が見たかったのに、見て美空ひばりの強い精神力の爪のアカでもと思っていたのに、と悔やんだ。いやこんなことで悔やんでるから何万年たっても美空ひばりになれないのだ。

2005年7月16日

「ステキな人生」

コーヒーショップの窓から見える笹竹に短冊がいくつも下がっている。
「病気が治りますように」−ふむふむお大事に。
「借金が早く返せますように」−こりゃ大変だ。
「ステキな人生になりますように」−なんだこりゃ。

子供の頃からミョーなことに引っかかる性格(たち)だった。ある時大人と一緒にテレビの時代劇を見ていて胸が痛くなった。主人公のサムライがバッタバッタと敵を斬り倒すシーンである。バッタバッタと斬り倒される人たちのことが気になった。この人の家には小さな子供がお腹を空かせて父親の帰りを待っているかもしれない、故郷には病気の母親が寝たきりになっているかもしれない。この人はちっちゃい頃どこかの小川でトンボとりをしていて川にはまったかもしれない、山道に分け入ってウサギを追いかけていたかもしれない。そしてこの人もあの人もきっと、こんな風に虫みたいに殺されるために生まれてきたわけではない。未来も希望も持った人生を生きてきたはずだと。

こうなるともういけない。網戸の網目とおんなじで、ナイものとすべき「その他大勢」の人生で頭の中がいっぱいになる。今朝も若き日のマツケンに斬られる人たちに同情を禁じ得なかった。将軍様と知りながら、いわゆる上司の「斬れ斬れ、斬ってしまえ、殿でもかまわぬ」というメチャクチャな命令の下、ただ斬りかかり当然のごとく返り討ちにあって果てる。これじゃ何のためのサムライだかわからない。あの世にいっても浮かばれない。こういう人生はやだなあ、子供の時にも思ったものだった。

それにしても「ステキな人生」ってどういうもんなんだろう。なぜか「ステキな人生」と書かれたピンク色の小箱が連想される。やっぱりピンク色のリボンを解くと箱の中からはヘビだのカエルだの。パンドラの箱じゃないんだからと箱の底を見ると「ハズレ」。こんなとこかもしれない。

2005年7月30日

「人生ウマくは…」

すれ違いざまに女の人が「ア」とつぶやき、私の顔をまじまじと見る。どこかで会った人だったか、はたまた私が唄い手であると気づいたのか、と思ううち「ひたいのあたりから光が出ています」という。続けて「あなたには今、転機が来ています」。なるほど、そういうことか。あいまいな笑顔で通り過ぎる私に、ぜひこちらにお越し下さいと電話番号を書いた紙を渡した。

こんなことが続いたので、帰宅してから鏡でおでこのあたりを確かめたりしたのだが、どうやら知り合いのシャンソン歌手の人もまた、そういう目にあっているらしいと聞いた。50歳を過ぎたシャンソン歌手がみんなこの手の人たちに狙われやすいわけでもあるまいし、初めてこんな風に声をかけられた時はまだ30代、それも美容院帰りだったことを思い出しても、どういう基準で声をかけるのか、逆に聞いてみたい気さえする。

未来は不安だ。生き続けることも、その先のことも、世界のことも、地震のことも、みんな不安だ。

こんな時、モノゴトをきっぱり言いきってしまう人に、人は心ひかれるものらしい。その人が占い師や霊能者であったりすればなおさら。傍若無人な発言に怒るどころか拍手喝采する。そのサマは、ちょっと前に世間を騒がせていた野球監督婦人の場合と似ている。近年人気者とされる占い師と、その夫人とどこが違うのか、これまた教えてほしい気がする。人はみんな弱い。弱くてグラグラ揺れている。自分にはいい事ばっかり起きてほしいし、回り道なんてしたくない。モノゴトはきっぱり直線で効率よくこなしたい。余計な心配も労力も使いたくない。

そーんな、うまくいきませんぜダンナ、そんなことこれまでの長い人生でイヤっちゅうほどわかってるでしょうが。また天の声が…。