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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2005年10月8日

「みんな生きている」

以前、ステージで鳥羽一郎さんとご一緒した時のこと。「クミコです、よろしくお願いします」「あ、う、どうも」という感じの対応にすっかり魅了されてしまってから、 鳥羽という所には、こういう純朴な男らしい漁師のような人がたくさんいるに違いないと思い込んでしまった。

その鳥羽にいった。船の上で唄うという初めての仕事、翌朝には船はもう鳥羽沖に留まっていた。通船に乗り岸壁に向かう。下船しウロウロしているとオジサンが話しかけてきた。どうやらどこかの客引きらしいが、私たちが逆にコンビニどこですかと尋ねると、ウッとつまりそれから「エート、あっちに三百メートル位行くとあるよ」と何だか照れくさそうに教えてくれる。

コンビニでケータイの電池を買い、目当ての鳥羽水族館に向かう。2400円の入場料は高いと文句をいい合っていたのに、中に入った途端、海の生き物たちのトリコになってしまった。チョコマカ動く魚やモワンと浮かぶ怪魚や、ここの目玉らしいラッコやジュゴン、アザラシや海亀や、はたまたメダカやヒトデやクラゲやヤモリや。この地球で生きとし生けるモノはすべて神々しい。神様は何ひとつ無駄には作ってはいないと確信する。

動物園もそうだが、水族館でも色々な生き物を見て回るにつれ段々と謙虚な気もちになってくるのが不思議だ。いたる所に「哲学者」がいるせいかもしれない。じっと動かないミシシッピーワニやヒキガエルの姿には、もう「哲学者」としかいえない風格が漂っている。ハア、おみそれしましたと頭を下げてしまいたくなる。

ぼくらはみんな生きている、と鼻歌まじりで水族館をあとにすると、船着き場近くの看板の下あたりで、あのオジサンが腰かけていた。私たちを見るや、ちょっと恥ずかしそうに目をそらすオジサンの顔は真っ黒に日焼けしている。やっぱり鳥羽の男に違いなかった。

2005年10月22日

「時代の女神」

ミソラとミヤコを間違えて人生が変わってしまったアナウンサーの人もいたが、それは確かにありえると、同じステージ上で、思わずミソラといいかけた時思った。同じミの音から始まるとどうしても次の言葉がヤよりソにいきやすくなる。でも実はそれほど緊張しているということなのだ。

「都はるみ」さんは、黒いパンツに黒いセーター、化粧気のない恥ずかしそうな笑顔で楽屋に私を迎えてくれた。その姿はあの「都はるみ」ではなく、まるでパリの実存主義の唄い手のようでもあって私の体は少し震えた。「クミコです、はじめまして」。いい終えた時、体中が熱くなった。

三日間、私がホステス役を務めた公開収録の番組。お招きするゲストの方々は皆さん、厚意以外の何ものでもないように、忙しいスケジュールをさいて出演して下さった。宮川彬良さん、イッセー尾形さん、そして都はるみさん。「都はるみを聴きながら、ゲバ棒振り回してたって人が何人もいますが」というぶしつけな私の問いに 「でも私はあの頃、好きになったひとぉー、なんてバカみたいに唄ってたんですよ」。

その瞬間、民衆を率いて戦う女神を描いたドラクロワの名画が頭に浮かんだ。小気味よく体をひねり、腕をつき上げ、うなりを入れた独特の節回し、その奔放さに戦う青年たちは「自由」を見たのだろう。「都はるみ」は時代の女神に違いなかった。

そしてその女神はいつも自身が闘っていた。闘い続けてきた。その来し方を思い、さらに私たちは唄うために生まれてきたのよ、という言葉に、私の両眼はショボショボしてしまうのだった。

収録後、再びご挨拶に楽屋を訪れると、都はるみさんはまた黒の上下の、静かな水面のような人に戻っていた。