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2010年7月4日

笹森恵子さん

こんな仕事をしていて、幸せだなあと思うこと、やってて良かったなあと思うこと、それは人との出会いだ。これに尽きる。

スッタモンダのニューヨークではあったが、そこで一人の女性に出会えたことは、私の大きな財産になった。

笹森恵子(しげこ)さん。78才。ロスアンゼルス在住の被爆者。

彼女の自伝は読んでいた。広島の「ピカ」の後、放置された校庭で四日間も生死をさまよったこと、助けられた後も、顔や体に残る酷い傷跡のために何十回も手術を受け、ついに は先進医療を受けるためアメリカに渡ったこと。

笹森さんを含め25人の「原爆乙女」と呼ばれた女性たちは、「ヒロシマガールズ」に名前を変え、全額が寄付のもとそこでまた手術を受ける。

アメリカによって傷つきアメリカによって救われ、そして今アメリカに住む笹森さん。数奇な人生だ。

夏の陽が差し込む部屋でお会いした時、思わず抱きしめたい衝動にかられた。こんな小さな体で受け入れてきた激しい日々。ケロイドの残る手を包んだ。あったかい手だ。

放置された四日間のことを聞く私に「なんともないわよ、意識が戻ったり失ったりしてたんだから」

この凛としたチャーミングな女性のために唄いたい、この人だけに届けばいい、そんな気がしていた。

強風で砂埃の舞うセントラルパーク。原爆のことに触れられないまま唄い始めた「INORI~祈り~」はそのまま笹森さんに飛んでいった。

そして今月10日、大阪梅田のドラマシティーでコンサートをします。どなたのお心の中にも、この歌が飛んで行ってほしいと願っています。ぜひ受け取ってください。