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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2008年1月12日

「1年がまた始まった」

ナンダカンダいってもノーテンキな人間なのだ。ノーテンキでなければ、いつ明けるともわからぬ暗闇のような日々を、きっと何とかなるという理屈にもならぬ確信のようなものだけで唄ってはこられなかった。そういう人間のはず、だった。

そんな私が、昨年の暮れ、ちょこっと体調を崩したせいか、すがすがしい元日の朝ドアを開け通路に出た途端、おっきなカラスと遭遇したせいか、その後一升瓶を抱え20分以上を歩いて辿り着いた実家で、おめでとうもそこそこ「遅い」と父親に文句をいわれたせいか、そんでもって「このクソッタレ」と心の中で何十回も叫んだせいか、年が明けてからずうっと、いわゆる「モチベーション」が上がらない状態が続いていた。

「燃え尽き症候群」かしらんとネットを見ても、燃え尽きるほど何もしていない。オリンピック優勝後のマラソン選手などと同列に並べてしまってはバチが当たる。

そうこうするうち仕事始めになった。この春に出すアルバムの「歌入れ」。歌い手として正念場の作業だ。集中力を高めるチョコレートをポリポリかじっても一向に気持ちがまとまらない。マイクの前に立っても、私って何だっけと自問する始末。

ふとスタジオに来る途中立ち寄った公園の木を思い出した。根っこを思い出した。下から上へ伸びていく様を思い出した。靴を脱いだ。足の指を開いた。息を吸った。

一曲目「大阪で生まれた女」。大阪で生まれ青春を過ごし、もしかしたら自分を捨てていく男の後を追って大阪を発つ女の話。電信柱や裸電球という言葉が体温を持って立ち上がってくる。私の愛しく哀しい日々が重なってくる。クリスマスに亡くなった大阪の友人の顔も見えてくる。

よっしゃ、まだ唄える。こうしてアッという間に終わる一年がまた始まったのでした。

2008年1月26日

「東京タワーは別世界」

前回のアルバムに続き、今回もレコーディングの多くを「東京タワー」近くのスタジオで行っている。

このあたりというのは、麻布とか六本木とかいう、いかにもイマドキの場所に近く、地下鉄で降りると、なるほどねといった感じのビジネスマンも沢山歩いていたりする。ところが観光バスが押し寄せる「東京タワー」の中だけが別世界。ちょっとした空き時間に訪れると目が覚める。ここはどこ、ここはいつ、ここは何と、毎回のように不思議な気もちでスタジオに戻ることになる。

先だっては、ソバ屋に入った。午後も二時近いせいか客は一組だけ。その四人全員が金髪の外人で話すでもなく笑うでもなく、ただ黙々と箸を動かしている。(正確には一人だけフォーク)。何が悲しくてここで揃って、ランチの「天丼かけそばセット」を食べてるんだろうと見ていると、次に女性の二人連れがやってきた。 「お客さん、こっちですよ、こっち」と店員に示された席に無言で座る姿は、あの『おしん』から抜け出てきたよう。笑うことなどとうに忘れてしまったみたいなこげ茶色の顔に、貧しかったこの国の原型が見える。『おしん』の二人はアングリと「天丼かけそばセット」の外人を見つめる。そういえば店員もこの国の人ではない。頭がクラッとする。

また別の日、閉店間際の「ロウ人形館」に入ってみた。誰もいない。ジェームス・ディーンやマリリン・モンローやブラピが並んでいる。そしてそのことごとくが全く似ていない。オードリー・ヘプバーンにいたってはヒキツケを起こしたオバサンにしか見えない。これだけ似ていないのは、似せていないのに違いない。毛沢東がやせて貧相なのもわざとに違いない。名物「中世ヨーロッパ拷問の部屋」は怖かった。でももっと怖かったのは受付の女の子。人形だと思ったら「いらっしゃい」という。やっぱり「東京タワー」は奥が深い。