2010年11月7日
ヒヨワなグリーン車
たとえば、混んだ車内で席が空いた時、一日中「仕事」でクタクタになった人と、これまた一日中「遊び」でクタクタになった人と、どちらがその席に座るべきか。
答えはもちろん「おんなじ」だ。仕事であろうと、遊びであろうとこの二つの間に優劣は、ない。
ところが、この国ではどうも「仕事」を「遊び」の上に持ってくる人が多いらしい。仕事で疲れるのは、遊びで疲れるより尊い、ということだ。
なんでこんなことをいっているかというと、この頃ふと疑問に思うことがあるからで、それが「新幹線」。
いつの頃からか、新幹線の車内では「静かに」することがルールになってしまった。特に東海道線幹線のグリーン車。ここでほがらかに笑うことなど金輪際できない。
周りはと見れば、黙々とパソコンに向かう人、ひたすら眠る人、ビジネスマンばかりだ。だから、観光目的のオバサン四人連れや、ちっちゃな子供のいる家族連れなんていうのが乗り込んできたら、途端に冷たい緊張が走る。
私自身も、仕事で乗っているので「静か」は確かにうれしい。眠りたいのに眠れないのは迷惑ではある。でも、これでいいんだろうか、と最近思う。こんな社会のありかたでいいんだろうか、ということだ。
思えば、昔、人は笑い声や泣き声の中で、汽車に乗っていた。人それぞれの目的で、でもお互いの存在を認めながら、仕事の人も遊びの人も、およそ「人間の営み」という大きなククリの中で、汽車は人をひっくるんで走っていた。周りの人間の騒音の中で、考え事をし、駅弁を食べ、本を読み、眠っていた。これってタフってことじゃないか。
居心地のいいシートに沈みながら、どんどんヒヨワな生き物になっていく自分と、この国のことを思った。もう一回タフになってもいいと思った。