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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2008年3月8日

「一流のオトコとは」

この頃ではオトコもオンナも、特にオトコなんかはオトコだかオンナだかわからぬ人も多勢いて、もうこうなったら何でもいい、オトコでもオンナでも、そのボーダーラインのあやふやさこそが人間の神髄なのだ、と納得してはみるが、時々は純粋に「いいオトコ」を見たくなる。

「いいオトコ」とは「一流のオトコ」のことである。もちろん顔形がいいに越したことはないが、そんな包装紙みたいなもんは、時がたてばヨレヨレしてくるのは当然なので、ここはやっぱり中身ということになる。

「一流のオトコ」は「容量の大きさ」といえる。ゆったりと構えジタバタしない。どんな問題にでも、どんな相手にでも同じような居ずまいをしている。

特にこの「相手」というのが重要である。瞬時にして相手の価値をはかり、態度を変えるオトコは二流である。へり下ったり見下したり、カサにきたりするオトコなど論外で、たとえ「このバカが」と思っても、もしかしたら万に一つ、自分の為になることがあるやもしれぬと我が身を振り返り、決して心を動じてはならない。

世の中には、手に取るように心の動きのわかるオトコがいて、そういうのは心底ナサケナイ。もうちょっと顔筋の訓練でもしたらどうかと思う。顔で笑って心で泣いて、くらいの技は持ってほしい。少なくとも、ある程度人間としての年を重ねた「中古人」なら尚更のこと。よりいい「骨董人」になるためにも、ここら辺が人間の勝負のしどころだ。

時として「一流のオトコ」は「一流のポジション」にいたりする。なるほどねえ、と思う。やっぱりねえ、と思う。重い穂は頭を垂れるの道理だ。

とまあ、なかなか見ることのできない「一流のオトコ」ではあるが、じゃあ「一流のオンナ」ってのはといわれたら。「そんなこと聞くなんてヤボでっせ、ダンナ」

2008年3月22日

「ブラボー!」

「ブラボー!」という掛け声をかけられることがある。唄っている身としては光栄でうれしいが、でもちょっと照れくさくて、だけどやっぱりうれしくて。

一時は、この「ブラボー!」を叫ぶ人のことを総じて「ブラボーオジサン」と呼んでいたくらいで、うれし恥ずかしのビミョーさがこの名ひとつのつけ方に見え隠れしている。

その「ブラボー!」をタイトルにした歌を唄っている。今週19日に発売された新しいアルバム「友よ!」の中に収められたオリジナル曲で、福岡在住の主婦の方が作ったもの。年令は私より一つ下、30年間音楽から遠ざかっていたのに、ある日、私の唄う姿をテレビで見て、自分ももう一回歌を作って唄いたいと思ったという。日常生活の中で、飲み込んで飲み込んできた「想い」は、その瞬間あふれ出して、アッという間に40曲もできてしまったそうだ。

その一曲が「ブラボー!」。巡り巡って私の元にやって来た「ブラボー!」は、同時代を生きるオトウサンたちへの讃歌でもあるが、それと同時にオトウサンを支え共に生きてきたオカアサンたちへの讃歌でもある。

歌詞の一節「時代に名を残したさ」は、一生懸命生きてきた同時代の人々みんなへのエールだ。時代に名を残したのはエラい人たちだけではない、フツーの人たちすべてが時代を作ってきたのだ。個人名ではない名を、それぞれが時代の渦の中にきちんと残して生きてきたのだ。

作者の智子さんと初めて会った時、他人という気がしなかった。やっぱりここでお会いしましたかという感じだった。おんなじ渦の中で生きてきた、そのせいだった。