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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2007年8月11日

「コワレモノの人間」

「一本の鉛筆」という曲を唄っている。「美空ひばり」が一九七四年の「第一回広島平和音楽祭」で創唱したものだ。反戦歌といってもいい歌を「美空ひばり」が唄っていたというのは意外だったが、考えてみれば彼女もまた戦争の中で生まれ生きた人だった。

これと似たタイトルの「エンピツが一本」という曲を、この夏に唄うことになった。こちらはといえば「九ちゃん」の歌。「一本の鉛筆」より前、一九六七年に発表されている。当時活躍していたジャーナリスト「大森実」を励ますために「浜口庫之助」が作ったものらしい。ペンは剣よりも強し、のメッセージが込められた、とはいうものの、そんなことはいわれてもわからない、九ちゃんに似合う明るく弾んだ曲になっている。

そしてこの九ちゃんが、真夏の空に消えたのが今から二十二年前のこと。ついこの前、ついこの前と思っているうち、もう時はこんなに過ぎてしまっていた。あの蒸し暑い夜のことは今でもはっきり思い出せる。どこにいて何をしていたかも。

パソコンもケータイもない時代だったが、あの頃私たちはもう奢っていた。鳥のように飛べるものとどこかで思っていた。でも飛行機はやっぱり鉄の塊で、落っこちれば人間などひとたまりもなくボロキレのように焼け朽ちてしまうものだと、改めて震えた。ヒトはただのイキモノでコワレモノ、そういうことだった。

「一本の鉛筆」も「エンピツが一本」も書かれている言葉は易しい。易しいが「想い」は深い。頼りなく、でもかけがえのない、ただの一本のエンピツは、そのままコワレモノの人間に重なっていく。

深夜テレビをつけると、硫黄島から奇跡の生還をした老人たちが映った。その一人がびっしりと文字の並んだ何冊ものノートを見せた。書くこと記録することを語るその眼は、強い光を放っていた。

2007年8月25日

「ゴマムシ」

梅雨の中頃あたりから、夜になるとピチリピチリとちっちゃな黒いムシが出てくるようになった。

ゴマよりもちっちゃなそのムシを、初めは不憫に思いソッとつまんでは窓の外に逃がしていたのだが、ある夜見回せば、天井とか白い壁とか、はては敷物とかに何匹も止まっている。瞬間、頭の中にムシで埋めつくされる部屋の図が浮かんだ。

それから私の夜毎のムシ殺戮が始まった。素手というのはちょっとコワい。トイレットペーパーを少しずつちぎっては、そのゴマムシをつまみブチッと力を入れる。これで一巻の終わり。最初はイキモノを殺すという心の痛みみたいなもんがチクッとしたが、何十匹もブチブチやってるうち、快感に変わってしまう。

きっとこうして、人も人を殺すのに慣れてしまうんだろうなあ、ボンヤリ思う。高層ビルの上から見れば人の姿などホントにこのゴマムシとおんなじだ。あの一人一人に行くべき場所があって、帰るべき家もあって、大切な人もいて、なんて一つ一つ飲み込むように自分の頭にいい聞かせても、やっぱりゴマムシに見える。

ゴマムシ、と勝手に名づけたこのムシ、実は哀れなほど無害だ。ひたすら光のある方に飛んでいく。元気に動き回るのはほんのわずかな間、一ヶ所に止まるとそのうちフリーズして、やがて死んでいる。レースのカーテンに止まったまま揺られているので触るとポトリと落ちる。どこまで生きててどこから死んだのかわからない。逃げ回るわけでもなく刺すわけでもない。いともたやすく捕まる。無抵抗のガンジーみたいなムシだ。

こういうのが手強い。モトを絶たなきゃとアチコチ発生場所を探してみるがわからない。そんな訳で、このゴマムシ、別名ガンジームシのゲリラ戦は今夜も続き、私はトイレットペーパー片手に殺戮を開始するのである。