クミコオフィシャルサイト - Kumiko Official Site

クミコ - ココロの扉をたたくウタ

茶目子のつれづれ著作権表示

2008年9月6日

「祈りも神も・・・スイカも忘れた夏」

ひどい夏だった。猛暑に続き連日の雷雨。雨の上がった夏休み最後の日、公園で野球をする少年たちが気の毒でならない。もっともっと遊べるはずだったのにねえ、ホントだったら。

どしゃ降りの雨たちが行き場を失い、舗装された道路を川にしていく。ついこの前まで草木の繁っていた土地にマンションが建っている。染み込む場所がなければ水は溢れる。自明の理ってやつだ。

ヒンヤリした朝に咲く朝顔、一斉に鳴き盛る蝉、くっきりとした青空、夕立ちの後そこここにできた水たまり、あんな美しい夏の日はもう金輪際来ることはあるまい。また雲行きの怪しい空を見ながら歩いていると、そんな確信に胸がヒリッとする。「祈り」。その写真を見た時、この言葉が浮かんだ。遠くアフガニスタンで生命を断たれた若者の、おそらく自分たちの手で育てたであろう植物の前、瞑想するように座っている写真。激しい労働の最中かもしれない。が、荒れた土を耕し水をやり作物を育てる、その大きな生命の連鎖に包み込まれるように、若者の姿は静かで穏やかだ。それは人智を越えたものへの「祈り」の姿に思えた。

本当にひどい夏だった。そんな若者はいとも簡単に殺されてしまったし、中国はオリンピックのために雨を降らさないロケット弾を何千発も打ち上げたらしいし。

「祈り」も「神」もあったもんじゃない。と憤る私は、この夏スイカを食べていないことに気づいた。子供の頃、丸々一個を食べる日をあんなに夢見ていたのに。それが許される年になったらスイカ自体を忘れている。これだもの。「夏」のバチが当たる。