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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2006年1月7日

「渡り鳥」

元旦の夕方、ふらりと近くの公園に立ち寄ってみた。人かげも少なく、静かな園内の池でカモが泳いでいる。どうやら二種類と思われるカモたちは、アッチコッチ行ったり来たりしながら、時々体を水平にしてくちばしを開け水面をスイスイと突っきっていく。
そうしてプランクトンなど食べているのだろうか。大したものだと感心していると、その中の一羽が他の一羽をくちばしで突ついた。あわてて逃げる一羽の後を少し追って、また今度は別の一羽を突っつく。

何が気に入らないのか、全く迷惑なヤツだ。そういえば、こんなヤツはハトにも必ずいて、大きく体をふくらませS字型の体勢で、他のハトを追い回している。ガンをつけるなどというのが鳥にはあるのかないのか、特定の一羽を執ようにいじめていたりする。

が、基本的には平和なのである。カモでもハトでも乱戦になって入り乱れたという話も、死がいが累々と、という話もきかない。それより、生きたままビニール袋につっこまれ埋められてしまうニワトリの映像の方が知られている。

狂牛病の時には牛が、鳥インフルエンザではニワトリが、それぞれ処分という大量殺りくにあっているが、延命だの天寿まっとうだのとは縁のないとされる生き物たちにとっては、どっちみちおんなじといえるのかもしれない。

昨年末、尊敬するシャンソン歌手が亡くなった。詩人でも画家でもある彼は、数枚の絵とべっこうの小物入れなどしか残さず、クリスマスの日に皆に見送られ天に昇っていった。「自由」と引きかえに何も持たず何も残さず自分の心のままに生きた人の写真を前に、涙はとめどなく流れたけれど、やっぱりうらやましかった。人にこそできる生き方死に方。

何十年も東京の水の中で暮らし、甥御さんの手で故郷の北国に帰る彼は、でも渡り鳥に似ていた。

2006年1月21日

「動く劇場の人々」

運転もできないので、もっぱら電車に乗っている。高名なラジオパーソナリティーの大沢悠里さんもそういえば、通勤は電車だと聞いたことがある。電車の中では実に様々な人間を見ることができるからだそうで、確かに数々の人生が交差する車内は「動く劇場」のようでもある。

今朝も、爪が指の半分ほども長くなっている女性を発見した。人間の世界にいてはモッタイナイような見事な青い爪がキラキラと光っている。一体どうやって日々の事ごとを行っているのだろうと思っていると、ヒョイとケータイ電話を持ち上げ、水平にした指の腹の部分でメールをしている。指の腹といっても、これだけの長さの爪で触れられるところといえば、もうかなり手のひらよりになっていて、自ら進んでこのような障害を備え生活するというのも、はなはだご苦労なことだなあと感心する。

そうかと思うと、二日ほど前に向かいの席に座った50歳代とおぼしきカップルも、なかなかだった。ピッタリ寄り添い、指と指をコネコネ絡めたり撫でたりしている。「恋せよ 大人たち」というタイトルのツアーを始める私としては歓迎すべきことのはずなのに何だか居心地が悪い。正視できない。

腑に落ちないミスキャストな感じとでもいうのか、天からパラパラ降ってきた「ホレグスリ」が、たまたまこの二人の上にかかったのでたちまちのうちに恋に落ちこうなりました、といった必然性のなさが感じられてしまう。ここまでの道とこれからの道が見えてこない。これからこの二人はどうなるのだろう。

まったく他人の行く末など心配しているどころではないのだが、こんなことも雪のない都会に住んでいればこそで、屋根に積もった凶器のような雪や、雪おろしの最中に亡くなった人たちを思えば、少し後ろめたい。ドアが開いた途端吹き込む北風や、どうにもききの悪い車内の暖房のことなど文句をいっていてはバチが当たる。