2008年7月5日
「言わなかった言葉」
7月になった。この月は周りに誕生日の人が多い。誰がどう決めた訳でもなかろうに、一時は会う人会う人の誕生日が7月と9月だったことがある。
ちなみに私の両親は二人とも7月生まれだ。今年で80才になる。いちどきに「老い」が押し寄せてきた感じだ。旨いモン食わせろとか、温泉に連れていけとか、何の要求もしない。ありがたいことだ。彼らにしてみれば「歌唄い」などという先の見えぬ、身一つの商売をしている一人娘に頼るなどトンデモナイと思うのかもしれない。
そういえば、まだ父親と風呂に入っていた頃、くり返しいわれたのは「好きなことをしろ」。好きなことをしない人生は人生にならぬ、ということらしかった。戦争中に育ち、好きな英語で身を立てられぬままエンジニアになった父親の無念が子供の胸にストンと落ちた。
あれから半世紀近く。今でもささいな事で言い争う両親を、まったくしょうがないなあと見つめながら、実は深く感謝していることがある。それは私に「言わなかった言葉」。三つある。その一「就職しろ」、その二「結婚しろ」、その三「孫の顔が見たい」。
これらの「言わなかった言葉」に、どれほど助けられたかしれない。言葉の重い鎖がなかったおかげで、どれほど自由になれたかしれない。
今、父親はお墓の心配をしている。娘に任せておいたら、どこかへサッサと骨を撒かれかねないと思うらしい。死んだ後なんてどうでもいいと母親が反論する。相も変わらぬ二人を見ながら「大丈夫、骨壷は二つとも私の部屋に置いといたげる」と、何の解決にもならぬことを思っている。