「スーパーの“責任”」
「駅のソバ」をキャッチフレーズにしていたデパートが、私の住む街の駅前からなくなってしまった。本店なのだから、いくらなんでも大丈夫だろうと思っていたのが甘かった。世情にはさからえない。
若い頃からあったデパートなので、若い頃からの思い出も一緒くたになっていて、ただシャッターが下りただけのその建物は、大きなノッペラボーのように淋しい。
淋しいことは淋しいが、それより困るのがスーパーストア。このビルの地下にこれまた何十年も厳然とありつづけた。大手のスーパーだから、品揃えも豊富で、何より帰りがけにネギやら肉やらを買えるのが助かった。
デパートもスーパーも失くした駅南口は何だか元気がなくなった気がする。都会でこれなのだから、地方だったらと、以前行った、とある県庁所在地を思い出した。駅前商店街のほとんどがシャッターを下ろしている。やはり店は開いていてこそなのだった。開いていることで「責任」を果たしているのだった。
デパートは仕方ないにしても、スーパーストアは、そこの住民にとって生活必需品だ。店子だからといって、一緒に閉めてしまっていいものだろうか。ここにスーパーがあるからと居を定めた人は多いに違いない。スーパーはデパートとは違う。スーパーにはスーパーの「責任」がある。
こりゃ、あんまり「無責任」でっせ、ダンナ。日を追うごとに割り切れない思いをしていると、しばらくぶりにつけたテレビ画面で政治家のオッサンが何かいっている。
「辞意表明」、ウヒャー、ここにもまた「無責任」がいた。ずいぶん前にやっぱりサッサと辞めた殿様首相も浮かぶ。もう日本国中「無責任」だらけだ。
そういえば「駅のマエ」の英会話学校もなくなってしまった。ウサギの姿をしたお調子モンキャラクターが飛び跳ねていたのは、ついこの間のことだった。
「うれしい大阪」
まだ地方でのコンサートがなかった頃、何としても「大阪」に行ってみたかった。神戸の人を夫にしていたせいで、もちろん何度か遊びには行ったが、もっときちんとミナミからキタまで地図を片手に歩いてみたかった。「夫婦善哉」の場所でお参りをしてみたかったし、通天閣あたりをフラついてみたかった。
当時、永六輔さんのご縁で知り合い、同じステージをご一緒していたボードビリアンのマルセ太郎さんに、大阪へ行ったらどこへ行ったらいいでしょう、と尋ねた。
「ナンバの花月ってとこと、焼肉食べにツルハシに行ったらいい」
そのどちらにも出向いた私は、そこで見た大阪のエネルギーに圧倒された。そして何だかとても自分に合った街のような気がした。ここでなら、このまんまオバチャンになれる。
新婚の頃、待ち合わせ場所でポツンと立つ私に「それエエで履いてみ」と靴屋のニイチャンが話しかけ、ポカンとする私に「アンタ、どこの子?」
この間の抜けた「東京の子」は、それからせっせと「東京のオバチャン」になった。歌を唄うオバチャンは、幸せなことにアチコチ行けるようになったが、今でも「大阪」がうれしい。大阪に来ると「大阪のオバチャン」になれる。
中之島のフェスティバルホール。地元の人が「フェス」と呼ぶ、この由緒あるホールでそれこそ突然、コンサートをすることになった。来月の一日。こんなに急で、お客様が来てくれるかどうか。アタフタする私に、大丈夫大丈夫と、何が大丈夫なのかわからぬままハンナリと笑顔を向ける主催者。
もうこうなったらイチかバチだ。同じ五十代を迎えた「フェスさん」の舞台で唄ってみるのも、ご縁だろう。織田作之助を題材にした「織田一枝」も唄ってみようか。師走の始まり、皆様のお越しをお待ちしています。