2010年1月10日
「未熟な“不眠”」
昨年あたりから、どうも「不眠症」気味だ。
「不眠症」というほどのことではなく、ただ寝付きが悪いという程度なのだが、夏場はともかく冬には、布団に入った途端にコロンと寝入っていたのがウソのよう。一時間などザラ、ひどい時には二、三時間もゴロンゴロンと寝返りを打ち「いいアンバイ」の到来を待つ。
世の中には「不眠」などとはまったく縁のない人間もいて、そういう人と暮らす「不眠」の人ほど気の毒なものはない。
隣でゴオゴオと爆睡する人間を横目に、モンモンと夜を明かすことなど想像するだに恐ろしい。
「不眠」の人と「爆睡」の人と、この両者の間には、大きくて深い、そして決して渡れない河が横たわっているに違いない。
たとえば私の両親。「不眠」の父と「爆睡」の母と。この二人の言い争いを見るたび、どうもなにかしら奥深い相違があるような気がしていた。
「不眠」の人を「悲観的」、「爆睡」の人を「楽観的」と考えては、いかにも短絡的。そんなに単純でもなかろうが「不眠」の時のココロの巡らしかたは、本来考えなくてはならないかもしれないけど、もしかしたら考えなくてもいいことを、ただひたすら考えてしまうというもの。
これはシンドい。夜中に明るい考えなど浮かぶはずもない。いきおい「悲観的」になる。
まだまだ「不眠」初心者の私、この頃ではすっかり馴染んで、ちょっとやそっとでは動じない。でも目覚ましを二つも三つもかけてやっと起きられました、などと晴れやかにいってのける人間を見ると、ええい、そのままずっと死ぬまで寝ておれ、と思う。まだまだ未熟者である。