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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2005年1月7日

「ココロとコトバ」

ディナーショーをやるようになったら「唄い手」ももう終わりだと、若い頃思っていた。 金に魂を売り渡した証、とも思っていた。 そのディナーショーを一昨年は2回、昨年は大阪のみでの1回を終えたのだが、魂を売り渡すどころか、魂なしでステージに立てるもんなら立ってみろと、訳のわからぬ怒りがこみ上げるくらい、これはこれで奥深くむずかしいものだった。 若い頃というのは本当に頭デッカチなもんである。  飲んで食った後だから、などと侮ってはいけない。

客席は一様に華やいではいるものの、ステージが始まるとそれこそ息を詰めるように次々と「うた」たちを吸い込んでいく。 通常のコンサートとまるで同じだ。

私の「うた」の場合、いわゆるノリで聴かせる曲がほとんどないので、ひとつひとつのコトバに気持ちを乗っけ、それをひたすらお届けするという、極めて緊張を強いられ強いる展開になってしまう。 こんな緊張するショーにわざわざ来て下さるお客様にはただただ感謝するばかりだが、終了後のサイン会で一人の女性がいった。 「愛の讃歌」、オリジナルの歌詞で唄ってくれないんですね、普通のシャンソン歌手になってしまってガッカリしました。 がっくりと落とした肩で去りゆく姿に、今度また唄いますねと叫び、でもコレって一体どういうことだろうと考えた。

「約束はしないで 誓いも欲しくない」 で始まる覚和歌子さんが私のために作ってくれた歌詞、 おなじみ「あなたの燃える手で…」で始まる岩谷時子さんの歌詞、 どちらも私にとっては「愛の讃歌」だ。 その時々の気持ちを血と肉の間を通して口から出す、ココロを通したコトバを唄う。 コトバは「意志」であるけれど、やっぱり「記号」だと思う。 ココロを表すための記号。

この日、愛犬の死を迎えたピアニストの上條泉さんが打ち上げの鍋奉行を買ってでた。 他愛もないコトバたちが彼女を支えているようだった。