2011年4月3日
あの一日
よくいわれることだが、昨日の一日と今日の一日を生きる人間。同じように見えても、実は全く違う。
なるほど、3月11日を境に、地続きに見えた日常が、崩れるように、すっかり変わってしまった。
その日、私は石巻にいた。仙台から車で一時間弱。仙石線という鉄道もありますが、車のほうがいいでしょうとのことで、メンバーと共に着いたのが、まだ昼も早い時間だった。
クミコさんの公演を最後に、この建物取り壊されるんです、記念の公演ですね。そんな主催者の言葉どおり、確かに、そこここに年輪を感じさせる建物。エレベーターもないので、楽屋へはウンショウンショと人力で荷物を運ばねばならない。
そして、2時46分。ゴオーッと頭の上を、左から右へ電車が通った。そんな気がした。
「地震だ!」
地下の楽屋の入り口に、私たち三人が団子のように、一塊。お互いの体をしっかりと握り、ただただ揺れの収まるのを待つ。ニュージーランドの崩壊した建物が頭に浮かぶ。電気が消えませんように、消えませんように。ひたすら祈る。
抱きかかえられるように、表に出た。外の明るさと助かったという思い。雪の降り出す暗い空を見上げながら、足が震えた。体が震えた。
それから、裏山で一夜を過ごし、あの手この手で、できうる限りの知恵を絞り、何とか帰ってきたのだが、帰ってみて初めて見る衝撃の映像の数々。その日から、私たちにとって、本当に辛い日々が始まったように思う。
できることは何か、何をしなければならないのか。それを模索しながら、でも時々、ふううと、体がため息をつく。こうして一日一日が、揺れながら過ぎていく。希望へ向かっていると信じながら。