2011年8月7日
「琥珀の記憶がいとおしい」
先月は、本当にせわしなかった。あまりにアチコチ移動しているので、自分が今どこにいるのかわからなくなってくる。
いろんなとこ行って、いろんな美味しいもの食べられてウラヤマシイ、なんてよくいわれるけど、まったくもってそんなことは、ない。食べたものを思い出しても「楽屋弁当」だけなんてことだって、ままある。もうこうなったら「楽屋弁当評論家」になろうとさえ思う。
でも、時々、ほんの時々、うれしいこともある。たとえば泊まるホテルの目と鼻の先に「地ビール」と看板を掲げた店なんか見つけたとき。「地」には弱い。ここだけよ、他にはないのよ、この味は。と耳元でささやかれたように、ふらふらと足はその店に向かう。
で、こんなふうに北海道は網走、函館、帯広と、短い滞在時間にも、それぞれを堪能した。琥珀色の濃淡の味の違いにああだこうだいいながら、コレはココのビールと脳に記憶させる。風景ではなくビールの記憶。至福の琥珀の記憶といったところか。
ところが、先日、東京に帰ってきて新宿でビールを飲んだ。ビール専門店ではあったが、これがめっぽううまい。地ビールじゃないけどうまい。いや、もしかしたらそれ以上にうまい。
なんてこったと、がっかりしたが、でも、よくよく考えれば「地ビール」とはそういうものなのかもしれない。うまい、まずいを超えた、その土地の味。網走のビールには確かに、網走の味がした。函館も帯広もしかり。その土地の風と水と太陽と。新宿のビールを飲んでも、あの風景は浮かんでこない。琥珀の記憶は風景の記憶にもなっていた。
今、こんな状態の日本だからこそ、余計に「地ビール」がいとおしい。これからもあちこちの土地土地で「琥珀の記憶」を積み重ねたいと願う。