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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2005年4月9日

「だってナマモノだもん」

“キロク”はやだなあ、モノは消えていってもらうほうがいいなあ、と思っていた。
でも歌を唄うという職業で、キロク物が残っていくのは当然、その時々にはできる限りの努力をしたキロク物が、後から聴けば聴くほど、悔やみ、空しく、怖ろしく、まるで四面を鏡に囲まれたガマのごとくになる。

クミコさんはやっぱりライヴが一番ですね、とはよくいわれていた。耳だけからよりは、表情も動きも加わるのだからヘタッピーでも三割増し、決して誉め言葉とは受け取らず、ましてそれを公の形にする日が来ようなどとは思ってもいなかった。ところが今月6日、生まれて初めてのコンサートライヴCDとDVDが同時発売された。昨年11月に東京・渋谷で行ったコンサートをキロクしたもので、その一部は昨年末にNHKの衛星放送でも流されている。

「MC(曲と曲の間のおしゃべり)、ほとんどカットされているんだね」、一足先にDVDを見た知人が言った。一枚の中にすべてを押し込むんだからそりゃそうかもと思うと同時に「やっぱり」。キロクしているのだから、少しは気をつけてしゃべればいいものを、そんなことおかまいなし。お腹をポンポン叩いては「今いくよくるよ、みたいですね」とか「次の曲は『黒い鷲』です、『黒イワシ』ではありません」とか。

どうしてクミコさんはそうなんですか、と嘆くディレクターに申し訳ないと思いつつ、だってナマモノなんだもん、お客さんも私も、と心の中で居直っている。予定調和ができるくらいだったら、そりゃライヴじゃない、一期一会こそがライヴの面白さ真髄である、と言い切ったところで、さて来週13日には大阪・シアタードラマシティでのコンサート。今回で二回目。平日にもかかわらず多くのお客さまが来てくれそうである。
桜の季節、イキのいいナマモノをお見せできるようまずは深呼吸、フーッ。

2005年4月23日

「“高田渡”という光」

高田渡さんが亡くなったという。フォークシンガーの草分けとして有名な、といってもそんなに彼のことを知るわけでもない私だが、独特な「間」のある歌と生き方に、いつもマイッタなあ、と思っていた。

初めてライヴを聴いたのが浅草。たまたま行った浅草でたまたま通りかかった建物の入り口に「高田渡」の看板。赤い提灯が列になって下がる古いホールの中、高田渡さんが唄っていた。「エー、まあ酒飲んじゃダメだって医者にいわれてるんですけどねえ、エーでもねえ」と足元に置いてある缶ビールをグビッとやる。体の具合が良くなさそうなことは、その姿を見てもわかるのだが、この人の飲むビールは実にうまそうで、うまいと思っているのなら体に悪いはずがないと、もう訳がわからない。

「エー、去年なんかねえ、収入なんてなくってねえ、12万だったかなあ、でも今やってるシチューの会社からシチューどっさり送ってきてねえ…」。ちょうどその頃、シチューのCMで高田渡さんの歌が流れていたのだ。これを聴いた時、いったいこの人は何者なんだろうと思った。どうもタダモノではないらしい。

案の定、高田渡さんはタダモノではなかった。タダモノどころか怪物だった。怪物はすべてのモノを飲み込んでしまう。それまで一生懸命考えてこう生きてこう唄ってるんですけど、なんていってる間に飲み込まれてしまう。もう台風か宗教みたいで、うかうかしていると高田渡教の信者になりそうで怖かった。

見守る観客の中、マイクの前で酔っ払って眠ってしまった高田渡さんの姿を思い出して、まるで一本のろうそくみたいだなあと思った。おっきな強い光じゃなく、でもあったかい身の丈に合った光で周りを照らす。エー、もういいやってことでと、それを吹き消す高田渡さんのニヤッとした顔が浮かんだ。