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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

茶目子のつれづれ著作権表示

2006年5月13日

「どっこい生きてる」

太平洋側を走る東海道新幹線と違って、日本列島の背骨をくぐって新潟へ向かう上越新幹線では、トンネルを出るごとに風景が変わっていく。

夏みたいに汗ばんだ東京を出てどのくらいだろう。トンネルを抜けると、そこでは山のあちこちに雪が残り、駅前の雪捨て場らしき場所には氷山と化した雪の残がいが鈍い光を放っている。また別のトンネルを抜けると、そこは一面の水田。遠くや近くにポツンポツンとトラクターや人影。昼食の支度だろうか、ポットを片手に道を急ぐ田植え姿の女性が見えた。

ことの他長く苦しい冬だったことを思い、また新たに米を作り始める人間の営みを思い、何十年も何百年も日本人はこうして生きてきたことを思い、地に足のついた生活かあ、とつぶやいてみる。

4月半ばに始まったコンサートツアーも新潟で5ヵ所目になる。福岡、大阪、東京、札幌と、一ヶ月も経っていないのに、ずいぶん長いことアッチコッチ行っている気がする。流浪者、あるいはホームレスのような気さえする。

この心細さはどうやら体調によるものらしい。どうも声の調子が良くない。何だかんだいっても体は大丈夫と思ってきただけにこたえる。去年も今年もおんなじだと思っていた。ひとつ年をとっていることを忘れていた。

ベランダに出しっぱなしにしていた鉢をずらしてみると、そこにピーナッツを大きくしたような乳白色の物体が。何だかわからないが、なぜかイヤな予感。つまんで捨てるための割り箸をとって戻ると、案の上そいつはナメクジに形を変えていた。一体何十年ぶりだろうナメクジに出会うなんて。こんなもの、今の時代もう絶滅していたと思っていた。

オットドッコイ生きている、励まされるような気持ちで、そのナメクジ君をつまみ、丁寧に下の草むらへ落とした。

2006年5月27日

「つれづれ“MC”」

「MC」というのは、どうやら業界用語らしい。マスターズ・オブ・セレモニーの略だが、つまりのとこ曲と曲との間のオシャベリのことで、コンサートの進行表にMCと書かれている場合もあるし、私たちにとって普段使いの言葉でもある。

フォーク系のアーティストには、これがベラボウにうまい人が多く、話してんだか唄ってんだか渾然一体となって、お客もまた、そのMCにヤンヤの喝采を送ったりする。

音楽をやっている人というのは、本質的に内向的な人が多く、他人とうまくコミュニケートできないから唄ったり楽器を弾いたりしてるともいえるわけで、その内向性が外向性へとベクトルを変えた時が、もしかしたら「プロ」になった時といえるのかもしれない。

かくいう私も、ひと昔前にはこのMCが大嫌いだった。苦手だった。話さずに済むなら一言だって話したくない。唄うだけ唄って終わりになるならどんなにいいだろう。しゃべって唄うなんて私にはできないと文句ばかりいっていた。

それが今では話し出したら止まらなくなる勢い。先だってのコンサートでは、声の調子が悪いので二曲も減らしたはずが、終了してみるといつもより15分も長くなっていた。小さなライヴにいたっては一曲ごとにMCをしてしまうので、ステージの時間など決めることもできない。

こんなこと若い日には想像もできないこと。これは自分ではないとか、これがホントの自分だとか、唄う自分と話す自分は相容れないとか、「自分」に縛られてばかりいた。

なんのことはない。どれもおんなじ「自分」。それがシッカリしていないからウロウロする。一本通った強い芯があれば何だって平気。アッチへいこうがコッチへいこうが、唄ってもしゃべっても、行きつ戻りつ丸ごと「自分」。

こんなことが今頃やっとわかった。歩みのノロい「プロ」歌手なのだ。