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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2005年6月4日

「生きている?」

横浜でのコンサートを終え、翌早朝に福岡県の大宰府天満宮に向かう。空港からの車の窓からの景色に、一体今自分はどこにいるのかフッとわからなくなる瞬間がある。やっぱり北海道、北の大地だけのことはあると、ひどい錯覚までしている。ほとんど寝ていないせいだけではない気がする。

自分のことを「芸能人」と思ったことはないが、大ざっぱなくくりでいえば当然そうなるわけで、それぞれの地方の主催者の方々にとっては「東京から来た芸能人」となる。
その「東京から来た芸能人」の中で、昨年福岡に来た何十人中、一番芸能人らしからぬ芸能人ナンバーワンになったときいた。名誉なことか恥ずべきことかよくわからないが、あまりにフツーな私のいでたちは、時としてバンドメンバーを私と思ったか、彼女の荷物をいち早く持つ人がいることからも、何かしらモンダイがあるように感じてもいた。

若い頃には考えもしなかったドレスを今はステージで着ることが多い。ドレスで唄うなんてオバサンのすることだと意気がっていた若い女も、その後きちんとオバサンになりドレス姿で唄っている。ドレスの効用、利便性など今では充分納得ずみなのだが、その反面、ステージ以外の服装がどうでもよくなってしまった。緊張をしいられる服装はしたくない、目立たなければ目立たないほどいい。

スポットライトの中、時に深呼吸をする。緊張の中の深呼吸は、ああ今確かに生きているんだと確認する一時でもある。客席にある何百という人生と私の人生が交差する濃密な時間は、それこそ先人に「ステージで死ねたら本望」といわしめる魔力に満ちている。

横浜と大宰府のステージで「生きている」実感を味わった帰路、羽田に着くともうここはどこだっけと考えた。服装同様、アタマの方もどこかユルんでいる気がする。ステージで死ぬどころか、そのへんでコケて頭でも打って終わり、てなことにもなりかねない。

2005年6月18日

「カッコいい?」

ケータイメールが鳴った。見ると友人夫婦から。「今見ているテレビ番組に化け物みたいな人たちが出てる」というのだ。続けて「どうして年相応の人がいないんだろう」とある。チャンネルを合わせると、それは懐メロもののようで、私が学生だったころ流行った歌たちを、その歌手本人が次々と唄っている。

年相応かあ、なるほど登場している人たちにはやっぱりどこかムリしてる感じがある。服装、髪形、化粧、といわゆる「若づくり」ってことなんだろうが、久しく唄っていなかったムリのせいか、「あのころ」に戻るためにとりあえず姿形だけでも戻してしまえ、といったムリが何だかとっても困ったことになっているらしい。

以前、駅で人待ちしていたら、三人の親子がやってきてやはり人待ちをしている。中学生くらいの女の子を連れたそのお母さんの姿に困ったなあ、と思った。ジーパンの上にヒラヒラのスカートをはいている。若い女の子がよくやっているスタイルだ。若い女の子がやってもけっこう難しいファッションを、このお母さんはなかなかうまくこなしているのだが、やっぱりこれは困ったなあ、と思った。

若い娘さんを持つ母親によくあることだが、突拍子もない姿のオバサンというのは、
これまでにもたびたびあった。若い人がしていることが流行、つまりカッコいいことだと思ってしまっているのだろう。

こういう人たちを見るのは居心地が悪く哀しい。これまでそれぞれに積み重ねてきた大切な人生を何の役にも立てていないようでもどかしい。かけがえのない時間をドブに捨て去ってしまっているようで切ない。

腰ではく、いわゆるローライズのジーンズのジーパンをはいていたら、どうも背中がスースーする。うかうかするとおヘソまで見えてしまう。「だあれも見たくないよ、そんなもん。」天の声が聞こえた。