2010年2月7日
『「折る」は「祈る」』
「鶴って折れる?」
こう聞くと、たいていの人は少し考え、10人のうち7人の割合で「折れると思う」と答える。「もうずいぶん昔に折ったきりだからなあ」とか「覚えてるかなあ」とかブツブツいいながら、そのうち無口になり、しばし時は流れ「できた」。そこにはきちんと鶴が一羽誕生している。
私はというと、折れない。習った記憶もない。どうやら、あまりの不器用さに幼稚園の先生があきらめたらしい。私に折れるのはだから「オルガン」だけだ。そのナサケナイ私が、折り鶴を折ることになった。今月24日発売されるシングル曲が「INORI~祈り~」という、折り鶴をテーマにしたものだからだ。
この歌の主人公は佐々木禎子(さだこ)ちゃん。広島平和記念公園に建つ「原爆の子の像」のモデル。この像、少女が折り鶴を両手に高く掲げている。2才で被爆し12才で亡くなった禎子ちゃんは、苦い薬の包み紙を広げ、押しピンを使いながら一つ一つ折ったという。千羽に届けば病気が治り、皆の待つ家に帰れると信じて。家族のもとには今もちっちゃな折り鶴が数羽残っていると聞く。
この曲の作者、禎子ちゃんの甥にあたる祐滋さんはタイトルを「祈り」とした。もちろん平和への祈りには違いないが、頭で考える以上に、実際に折り鶴を折っていると「祈る」ことがどういうことか、段々明確になってくる気がする。無心になること、無我になること、そこから生まれる透明な感情。そうだ、これが「祈り」なのだ。「折る」と「祈る」って似ている。
そして出来上がった鶴はどうみても始祖鳥なのだった。