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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2007年12月8日

「ワカラヌモノはわからぬままに」

劇場でもホテルでも、古くなればなるほど何かしらワカラヌモノが棲みつくらしい。棲みつくと思われるらしい。

今月一日、それこそ「降ってわいた幸運」で唄うことができた「大阪フェスティバルホール」、その上にあるホテル、どちらにもワカラヌモノはいるようで、それは「音楽の神様」だったり「廊下を姿なく歩くモノ」だったりするらしい。

「9階に出るんだよ」。少し前に一緒になったミュージシャンの楽屋話に、ふうん、でももう泊まることもないと思うよ、なんていってたのに、着いたのはそのホテル。渡されたルームキーはと見れば9階。当たりクジでも引いたような笑いが顔にはりつく。

なんだかなあ、と部屋に入り、よくよく考えてみると私の方が年が上なのだった。ホテルと年を比べていいのかとも思うが、同世代ともいえる建物なのだから、チカしい気持ちがしてくる。

それにしても50年そこそこでワカラヌモノが棲みつくなら、人間はどうする。あれ、でもワカラヌモノに居つかれてしまったような人も確かにいるな。ま、やっぱり生きてる人間よりコワイものはないかとベッドに入る。

なぜかくぐもった工事現場のような音が響いてくる。そういえば工事中の立て看もあったし、地下鉄の工事でもしてるんだろう。途中ガオーンとクレーンが倒れるような音までする。真夜中に工事なんかするなよ。

眠れないので、備えつけの「聖書」と「仏教聖典」を取り出し、仏教の方を読み始める。サトリのあたりを読む。この頃考えてることと近いので私もついにサトリに近くなっているのかしらんと思う。

翌朝、隣の部屋のスタッフに騒音のことを話すとポカンとしている。いろんな設備がうまく働かないんだろうと慰められるが、ワカラナイ。ワカラヌモノはワカラヌママに。これもサトリなのだった。

2007年12月22日

「歌い手として生きるために」

ハンパシャンソン歌手の私が、今年はなぜかフランスづいていた。

年明け早々、「シャルル・アズナブール」のインタビューのためパリに行き、夏から秋にかけては「エディット・ピアフ」の映画とのコラボレーション、ついで「ミシェル・ルグラン」との共演。ヒェー、と驚いてしまう。分不相応である。

ところが、もっと驚いたことに、この人たちと関わらせてもらったおかげで、思ってもいない財産が手に入った。それは宝石でも金でもない、歌い手として生きるための心得というか、姿勢というか、覚悟というか、まあ、そんなモノたちだ。

アズナブールからは「タフで冷静」であること、ピアフからは「立ち向かう」こと、ルグランからは「楽しむ」こと。今でもそのキーワードと共に、それぞれの姿が映像のように浮かんでくる。

人前でモノをするにはエネルギーがいる。それがないなら止めた方がいいといっていたアズナブールのステージは82才とは思えぬタフさで、それを支えるのに必要なのが冷静な判断力であることがわかったし、ピアフが舞台に出る前に握りしめた拳は、人生から逃げずに立ち向かう強さを教えていたし、譜面なしで毎回ごとに変わるルグランのピアノ伴奏はスリリングで、何より本人が音楽を楽しんでいるのがわかったし。

ああなればいい、こうなればいいと願うことは山ほどあるけれど、たとえああなれもしなく、こうなれもしなくても、唄っていこうと思えるようになった。大きな山を麓から一歩一歩登っていくように、登り続けることを楽しみながら、タフに冷静に、雨風に立ち向かいながら、ただただ歩いていく。そんなことがステキだと思えるようになった。

見上げても山の頂は見えない。山の大きさも皆目わからない。あれ、これって「人生」とおんなじなんだな。