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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2006年4月8日

「幸せな職業」

今回で、この連載も3年目に入る。期限は2年と勝手に思い込んでいたので、最終回のつもりの前回には、お別れのごあいさつを考えていたくらいで、うれしい誤算になった。

あいかわらず「居候シャンソン歌手」のまま唄っている。先だっては、神宮球場のヤクルト対阪神の開幕戦で「君が代」を唄うことになった。大向こうにそびえるスクリーンに「国歌独唱クミコ」という文字が現れた時には、ここまで来たかというより、こんなとこ来ちゃっていいんだろうかと不安になった。どこまでもハンパ者の私ごときが、事もあろうにプロ野球の神聖な儀式に参加していいんだろうかという根なし草のような不安である。

昨年の覇者、岡田阪神と古田新監督率いる新生ヤクルトの選手たちが、私の控室のすぐそこ、人工芝のグラウンドで練習をしている。熱気でザワザワした球場は、私には30年ぶり。たった1回行った早慶戦以来だ。あの時観客席にいたのは二十歳そこそこの私だった。同行したディレクター氏は20年ぶりらしい。クミコさんの頃は、早慶戦の後どこに行きました?ぼくたちは歌舞伎町ですよ、噴水にとびこんじゃったりして。

きみらがそんなことするから、大学生の評判がすっかり悪くなったんだよと、当時の新聞記事を思い出す。何だかわからないけど胸が熱くなる、すべてついこの間のことのよう。

驚いたのは私の仕事に「かこつけて」やってきた男性スタッフたち。みんな少年の顔になっている。モニターテレビに映る選手たちを見て何て幸せな職業だろうと思った。大の大人を子供に変えてしまう仕事。

かくいう私は今月15日、梅田の「シアター・ドラマシティ」でコンサートをする。老女を少女に、老人を青年に変える「恋」をテーマに唄う。お客さま1人1人の心のスクリーンにステキな映像が映るよう、願わくば幸せな職業といわれる歌が唄えればと思う。

2006年4月22日

「人生は過ぎ行く」

「コーチャンがいなくなってから」と目の前のご婦人が話し始めた時、一瞬コーチャンが隣りのオバサンのような気がした。コーチャンは「越路吹雪」で、彼女が亡くなってから聴かなかった歌を、今回私のコンサートで聴いたのだと、CDジャケットが差し出された。

大阪でのコンサート終了後のサイン会でのでき事。その老齢のご婦人は、うれしそうに話しかけてくださるのだが、最後尾に近い彼女の順番からして、かなりの長い間立って待っていた計算になる。あまりの申し訳なさとありがたさに腰が浮いてしまう。

今回のツアーで「人生は過ぎ行く」という越路さんの十八番、極めつきの名曲をプログラムに入れた。好きよ、好きよ、が延々とくり返される中、男に捨てられる女の姿が次第に浮かび上がってくる。

約束の時間に遅れてやって来た男は、そばにいながら目も心も虚ろだ。男が見ているのは、ただ別な場所にいる若い可愛い女。問いつめる女に、男は後ろ姿を見せて去っていく。「捨てないで」とブザマに追いすがる女に自分自身が重なることなど考えられなかった。「若いのね、私より」なんて口がくさってもいえそうになかった。それを今唄っているのだ。「人生」がどういうもんか、どういう形をしているのか、結局のところ皆目わからないけれど、この歌を唄っている時、そいつが見えた気がする時がある。しっぽの先をつかまえた気がする時がある。

「どうしよう」ともだえ「助けて」と叫ぶ女を残し、闇の中に去って行く男の後ろ姿は、 取り戻せない時間そのものなのかもしれない。逃げて行く若さ、想い出、希望、愛。手を伸ばしても伸ばしても、しょせんは行ってしまうものたち。プラセンタの注射は若返りにいいそうですよとメイクの人に聞いた私は、エ、それってどこどこ、と夢中で尋ねている。まったく往生際が悪い。